2008年度軽井沢の饗宴
1. 前菜:親知らずの痛みと妻の裏切り添え
初めての新幹線に乗って、初めての東京駅の駅弁の蓋を開けた。
その瞬間、一人の顔が浮かんで、ピンク色の焼鮭に向かう私の熱い目線が遮られた。
歯医者の顔だった。白い帽子に白いマスク。それに、「歯を抜いた二時間以内食事禁止」といういかにも憎たらしい声が耳に響く。
ご馳走を目の前にして楽しめない。この世でこれ以上の苦痛があるのか。私は心の中で叫んだ。
私の吶喊が聞こえたかのように、隣に座っている妻が行動で答えてくれた。彼女は艶やかな笑みを浮かべながら、鮭を巧みに取っていった。
私は悟った。この世で最も苦痛なことは妻の裏切りだ。
2. スープ:日本とロシアの国交ころころスープ
そんな調子で軽井沢駅に到着。昨年、長野まで新幹線を利用した朴先輩の二の舞を演じるのはご免だ。
笑い声に包まれた研修センターに入ってまもなく、自己紹介の番が回ってきた。会場の雰囲気を壊したくない。だが、妻に復讐したい。二つの狙いが争った結果、みんなの前で妻が悪妻に仕掛けられた。翌日、同期生の前に現れると、「奥さんは肉が好きだね」と何度もいわれた。
花火タイムが過ぎて、スラヴァさんのミニセミナーが始まった。日露戦争後から第一次世界大戦までの日露関係に関するお話だった。
10年近くの短い期間の中で、日露両国は3回ほどの友好協定を結んだそうだ。両国の友情の固さというより、むしろその脆さが私には見えた。国々が利益のために安易に友情を結んだり、また利益のために平気で友情を踏み躙ったりする時代だなと思った。
初日は深夜まで流れ続けた熱い歌声の中で幕が下りた。夢の中で、私も王さんのような熱い男になった。
3. メインディッシュ:オリンピックと東アジアの平和繁栄の煮込みと東南アジアのピリ辛ソース
第32回SGRAフォーラムは午後2時から始まった。今回の宴のメインだ。オリンピックの誕生、変遷と展望をめぐって四名の学者が発表を行った。
多くの参加者は初めてオリンピックの意義について真剣に考えさせられただろう。開催国の国民の一人として、私も思いに沈んだ。
やがて、高らかな声に私の瞑想は破られた。シンガポール出身のシム先輩だった。東南アジアの出席者を代表して、日・中・韓を中心とする討論のムードに抗議を申し出たのだ。
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり。教育を受ける権利に限ってはそうかもしれない。しかし、世界の国々は生まれながら不平等だ。地理的な面など、オリンピック開催の客観的条件すらない国は多く存在するのではないか・・・シム先輩の思いと一致しないだろうが、私はそう思った。
個人的には、プリントの上に書かれた円谷幸吉選手の遺書に感動した。人間本来の感情を掻き立てるのは意外とシンプルなものだと思った。
二日目の夜、右手の腕相撲ゲームで左利きの王さんに敗れた。
4. デザート:理想郷マンデー
シム先輩のおかげで、川崎さんとわれわれ中・韓の2008年度奨学生は無事に理事長の別荘に着いた。東南アジア勢はさっそく活躍したようだ。
理事長の別荘の規模は私の想像を遥かに超えた。3LDKマンションの夢が恥ずかしくなった。
バーベキューの時間だ。
日本の赤飯やおでん、韓国のキムチ、ベトナムの春巻き、トルコの豆サラダ、中国の炒め物が揃う食卓は初めてだ。料理の種類以上に多かったのは参加者の国籍だ。この経験もまた初めてなのだ。バーベキュー会場はバベルの塔が建造される以前の理想郷になった。
食事の際に、修さんが私に言った言葉は印象的だった。「歯はもう大丈夫みたいだね。」
東京駅に着いたのは夕方だった。新幹線の出口はまるで蒸篭の入り口に変わった。熱気に包まれ、人込みに紛れ込んだ私は、軽井沢の森、川、虫、夜が急に恋しくなった。
(文責:宋剛)
軽井沢旅行の写真は下記よりご覧いただけます。
軽井沢の写真(オリガ撮影)
軽井沢の写真(谷原撮影)
軽井沢の写真(嶋津撮影)