2007年度奨学生、首都高速中央環状新宿線シールド工事現場を見学
2007年7月3日、それは2007年度の渥美奨学生にとって忘れない一日となりました。渥美財団と鹿島建設のおかげで、一般の方が普段立ち入ることのできない大規模地下トンネル工事の首都高速中央環状新宿線の現場を見学することができたからです。都心の地下の高速道路を作るこのプロジェクトは東京都の交通および環境の改善に大きな意義がありますが、世界的最先端のシールドトンネル建設技術を使っています。
午後2時、今西常務理事、嶋津事務局長はじめ、世界各地からの留学生は工事現場事務所に到着し、鹿島建設の方々から暖かい歓迎を受けました。今回参加した奨学生は世界から集まった留学生であり、普段は大学院博士課程で土木に限らず様々な分野を専攻しています。日常生活に係わっている道路や水道、電気などインフラの作り方は知りませんから、今回の見学に興味津々でした。鹿島建設工事事務所の森口所長からの説明は30分の予定でしたが、たくさんの質問によって大幅に延長されました。また、施工現場で使ったカッタービットやセグメント継手用のボルトを見たり触ったりすることができ、トンネルの現場を見る前に、留学生たちはもうすでにすっかり感心してしまいました。
森口所長の説明によると、鹿島が担当している首都高速中央環状新宿線の工区は、初台立坑から2660m先の到達点松見坂到達立坑の区間です。今回の見学ルートは神山換気所から50m地下に下りて、渋谷の到達立坑まで約1kmの完成したトンネルです。この工区に使用したシールドマシンは外径約13m、重量約2500t、機長12.8m、マシンを前進させる総推力は約17万kN、土を削るカッターの回転トルクは約24000kNm。このマシンは先端技術―カッタービット交換装置を採用しています。土の掘削により磨耗したカッタービットや切羽状況に応じてカッタービットを、機内中央バルクヘッド部に設けたマンホールから作業員がカッターディスク内に入り交換作業を行うことができるのです。これにより約1600mの礫層区間を含む2660mを、中間立坑なしで掘進可能となり、工事のコストが削減できました。また日本初のエアバブル方式を採用しています。これはチャンバー内にエアー室を設け、エアーの吸排気調節によって切羽の水圧を制御でき、緊急圧がかかった場合もその圧を抑止する役目を持っているそうです。
留学生からは、「どうやって穴を掘るか、掘った土はどうやって出すか」、「マシンはどうやって前に進めるか」、「どうやってトンネルを造ったか」など質問が次々出され、森口所長は皆が納得するまで丁寧に答えてくれました。「穴を掘るのはシールドというマシンを使う。外から送った泥水により先頭のカッターを付けた円盤(カッタヘッド)の安定性を図りながら、カッタヘッドが回わって土を削り、その掘削土が泥水状として、排泥ポンプと排泥管により外の処理設備へ運ばれる。処理した泥水をカッタチャンバーに再び運んで再利用する。1リングの長さの穴を掘ったら、セグメントをマシン中に組み立てトンネルの本体を造り、それをシールドマシンの前進の反力台となってジャッキによりシールドを前進させる。」最後には、質問から議論にかわり、東大の?さんが、シールドマシンの胴体は、深い地下の土水圧を耐えるために、今研究中の飛行機に使われるCFRP先端材料を使えばよいのではないかと提案しました。議論の末、結局はコストが高いので、残念ながら断念されました。
午後3時半、いよいよ見学が始まり、皆ヘルメットをかぶって軍手をして、神山換気所に到着しました。そこから階段で、地下50mのトンネルに降りました。最初に感じたのは地下の涼しさと土の匂いでした。トンネル中でも、森口所長の説明を聞きながら、松見坂の立坑方向へ歩きました。留学生からの「セグメントはどうやって組み立たてるのか」という質問に対して、「セグメントを最初両側から下から上の順に組み立て、最後に楔状の系Kセグメントを使って、一リングのトンネルを完成させる」と丁寧に教えてくださいました。終点に到着したとき、見学者は、本物のシールドマシンの直径約15mのカッタヘッドの前で、驚き、感心の様子を隠せず、森口所長の解説を聞きながら、記念写真をたくさん撮りました。午後5時、現場見学が終わり、再び工事事務所に戻って、鹿島建設の皆さんに感謝しながら、工事現場事務所を後にしました。
今回、地下道路トンネルの建設を勉強でき、日本のもの造り技術の素晴らしさを改めて感じることができました。留学生一同、この有意義な社会勉強の機会を提供してくださった鹿島建設と渥美財団に、深く感謝します。
文責:王剣宏
見学会の後、奨学生たちは新宿京王デパートの屋上のビヤガーデンで、長い階段の昇降と、長い地下トンネルを歩いた体を休めました。話題は次第に「中国に今、民主主義は必要か」に移り、白熱した議論とともに中ジョッキの注文数も増したのでした。