私の人生を変えた出来事

ぐ  えん
具 延

出身国:中国
在籍大学:筑波大学大学院農学研究科
博士論文テーマ:高収率化学パルプの無塩素漂白に関する研究

 

 鎖国の時代が終わり、改革開放の時代が始まろうとした時に、私は中国の大連軽工業学院(大学)を卒業し、夢を心いっぱいに抱いてハルピン製紙会社に入社した。その後、この古い会社で十年間勤務し、努力を重ね、93年に会社の技術関連の責任者である副総技師となった。その時、一つの出来事が私の人生を大きく変えることになった。ちょうど新しい生産ラインを稼働しようという時期に、技術的な問題を解決し、先進国から技術を学ぶために、日本からJODCの専門家を要請した。93年6月に元日本加工製紙の専門家である岡田治雄氏がハルピン製紙会社を訪れた。私は交流の中で中国製紙技術の後進性をひどく感じた。今も印象に残ったことは、「日本に比べると何年遅れているか」と私が尋ねた時に「40年」と返答されたことであった。みんなは驚きながら半信半疑であった。その後もいろいろなことを話し合い、日本のことは少しづつ分かるようになった。このことがきっかけで日本に留学して先進技術を学びたいという願いが心に浮かび上がった。

しかし、留学の希望があっても実現には様々の困難があって容易なことではなかった。当時、中国は市場経済に転換したばかりで、製品の競争力がないために会社の経営は赤字に落ち込んでいた。会社は留学の費用を支給することができないので、留学するとしたら現職を休職して私費留学のほかに道がなかった。幸いなことであるが、昔東京大学に留学していた叔父が私の気持ちを理解してくれて、留学の機会を与えてくれた。しかし、生活の困難、副総技師職を失うこと、家族と離れた生活などで家族から反対の声が相次いで、眠られない夜が続いていた。日本に留学するかどうかを決意することは想像以上難しくてつらかった。この時、厳しい声が耳に漂った。「40年間の遅れ」、「今の技術は生産より環境破壊」と日本の専門家からの技術の遅れと環境破壊を指摘する痛感の声であった。このアドバイスは環境に無関心の人にとっては意味のない話であるかもしれないが、私には背中に針がさすような痛みを感じさせた。確かに、私費留学生として日本に行くと、多くの困難が直面している。しかし、人間の一生はさまざまな困難を乗り越えて、人類共通の社会をもっとよくするために生きていくことこそ価値あるのではないか。苦難が過ぎて成功の甘味を手にするとき、人生のすばらしさを感じるのではないか。留学することは私に義務と責任を果たす道を指しているのかもしれない。このことから、私は会社と家族に説明して理解を求め、日本への私費留学を決意した。

来日の後に様々な困難があったが、先生方の熱心な指導および竜竜会から親切なアドバイスなどのおかげで、カナダに留学ができ、紙パ技術協会賞を受賞し、留学生活は順調に過ごしてきた。また、日本の大学で科学知識を学んだことだけではなく、もっと重要なことは、すばらしい人と知り合い、彼らから人間社会、環境に対するやさしい気持ち、積極的に関与する考え方を学んだことであった。これから私は博士学位を取った後、中国に戻るが、このような心を持ちながら、日本とカナダの人脈を活かして、人間社会の進歩に貢献したいと思う。