新しい社会、日本への留学

ホン ギョンジン
洪 京珍

出身国:韓国
在籍大学:東京工業大学大学院理工学研究科
博士論文テーマ:バイオサーファクタントを用いる重金属汚染土壌の修復技術に関する研究

 

 私にとって大学時代は、様々な経験により人生という長いスパンの中で自分自身はどのように生きていくべきかを自覚させてくれた貴重な期間でありました。以前は考えたことのない留学を決意したのも、学生時代を過ごしながら出会った人々から受けた感動と刺激が心に種として残り、少しずつ成長し現れた結果であったと言えます。

 高校を卒業するまで、私は学校と家のみの極限られた世界で生きていました。しかし、大学に入学して味わう自由な思考と活動は自分の中に内在した好奇心と挑戦心を引き出し、社会に対して広い視野を持たしてくれるのに十分なものでありました。まず、大学に入学した年である1988年に開かれたソウルオリンピックによる感動は、スポ−ツを通じて世界は一つになれるという意識とともに、自分も国際社会の一人であることを自覚させてくれました。オリンピックのおかげで自然に外国の文化や歴史に接する機会ができ、自分自身も外国に行って直接その国の文化や習慣を経験してみたいという挑戦心が生まれ始めました。その上、大学3年生のとき、私の学科が主催した国際シンポジウムは一層私の挑戦心を固めてくれました。外国から集まった科学者による研究発表は英語があまり理解できなかった私にも、大変感動を与えてくれました。彼らの研究によって人類に及ぼす貢献は素晴らしいものであったからでした。さらに、そのシンポジウムでは米国や日本で活発に研究活動を行なっている先輩から経験談も聞くことができ、私には有益な機会でありました。今も覚えていますが、「先進国の進んでいる技術と素晴らしい研究者達との出会いによって社会に貢献できたのは、私の人生にとって宝物であった。」と語った先輩の話は印象深く心に残りました。この言葉は、私が留学を決意したひとつの動機になりました。

 また、私が日本への留学を決心したのは、韓国の社会的状況と要求も原因になりました。今まで、韓国経済は強力な国の指導を軸にして、輸出主導の開発戦略による工業化路線をひた走って来ました。しかし、1980年代以後になって重要な転機を迎え一連の産業構造調整政策と並んで、環境保全を重点目標として取り上げました。実際、1992年には環境改善総合計画をスタートし、環境保全に対する政府の意志を確固に示すとともに、環境政策の新たな章を開くことになりました。韓国の産業構造と社会構造は日本と似ていますし、環境問題の様式も既に経験した日本と同じように発生していることから、日本の進んでいる技術とその対応方法を学び、国の現在の状況を改善するために、私の日本留学は実現することになりました。