日本留学―その前後の残像

キム チェソン
金 宰晟

東京大学大学院人文社会研究科

 

 6年間の韓国での大学生活や、2年3ヶ月間の軍隊の義務を済ませて間もない1991年の初めの頃、留学を決心した私は個人的に現地調査を行った。先ず、アメリカのある大学を訪ねて、有名なインド人先生に仏教学を研究することに関して相談をしたことがある。先生はアメリカで仏教を勉強するには、創造的思考と英作文の実力があればいいと話して下さいながら、日本での留学はもっと厳しいといい加えた。そこで、日本に来て東京大学のインド哲学仏教学研究室を訪ね、研究室の雰囲気と研究方法に関して先輩から助言を聞いた。そして仏教学を幅広くそして細かく研究することが出来るところは日本だと考え日本への留学を決めたわけである。

 本格的な留学生活に入る前に、私は経験したかったことがあった。それは実践的な仏教の修行であった。最初は、韓国の禅寺で伝統的な禅(臨済禅)を修めようとしたが、大学時代から私が興味を持って勉強してきた印度初期仏教と関係がある修行を行なう方がいいのではないかと思い、初期仏教の伝統をよく受け継いでいると言われている南方上座仏教の修行法を選択するようになった。

 19917月から10月まで、私はミャンマーのヤンゴンにある瞑想センターで瞑想修行をする機会があった。短い時間だったが、仏教經典でいつも読んでいる修行の中身を少しでも経験することが出来た。「釈尊が2500年前に説いた教えを私が経験することが出来るとは」と思いながら、今まで味わったことがない非常に深い幸福感を経験することが出来た。もちろん、究極的な悟りの体験ではなっかだが、これこそ私が探してきた仏教の道であると確信することが出来た。そして、この実践的な道を理論的に研究することも意味ある営みではないかと思った。この妄想(?)が日本での留学生活のもう一つの弁明になったわけである。

 日本での留学生活は常に語学との闘いであった。日本語を始めとして(日本では日本語は外国語ではない!)、特に仏教研究の為の古典語である古代印度語のサンスクリット語、南方上座仏教の経典が伝えているパーリ語、印度仏教の伝統をよく翻訳して伝えているチベット語の三つが中心となった。私は主にパーリ語とサンスクリット語の学習に集中して研究を進めてきた。少々残念なことながらチベット語は文字を覚えるぐらいにしかなれなかった。

 古典語の学習に伴い、その古典語で書かれている仏教原典の研究を通じて私は仏教修行の淵源を辿ってみようと試みた。その成果を博士論文として纏めているわけである。仏教の場合、実践修行と理論的研究作業とは必ずしも比例的な関係はないとは知っていたが、特に日本で学んだ文献学はそうであった。しかし、文献学の基礎の上に立って、思想的な研究をしなければ、いわゆる客観的な学問にはならないことを学んだことは貴重な財産になったといえよう。研究対象になるテキストの緻密な文献学的な検証の上で、普遍的な思想を探り出す研究を進めていく学問の方法論を少しでも身に付けるようになったことが、8年近くの日本での留学生活の収穫であると思っている。

 これからは、理論的に学んだ学問の方法論を用いながら、実践修行で経験したことを客観的に表現する課題が残されている。もちろん、修行経験をもっと深めることが前提になっていることは言うまでもない。これからやるべきことが見えてくる。もっと忙しくなりそうだ。