日本留学の感想
エマニュエル アディオレ
Emmanuel Adiore
東京大学大学院法学政治学研究科
ナイジェリア出身
数年前、ナイジェリアで留学の準備をしていた頃、日本で一体どんな生活になるのか、はっきりと予想することはできませんでした。ただ、私にとって大きな挑戦だということはわかっていました。同時に、他の多くの留学生と同じように、日本こそ、私がさらに勉強を続けていくのに相応しい最終目的地なのだという短絡的な結論に達していたのでした。留学をすれば、その国のことがよくわかり、それは国際理解の促進に多いに役立つに違いなく、そこから調和のある平和な世界へと繋がっていくのだと思います。先進国、発展途上国の区別なく、複数の文化や教育交流による広範な相互作用が、国際理解に大きな影響を与えはずです。国際紛争の大きな原因が、異文化に対する誤解や蔑視にあることを考えると、異文化を研究することは、平和の実現に大きく貢献すると考えています。
日本を最終目的地として選んだのは、自分の文化と全く異なるものを学ぶことが、特に魅力的に感じたからです。私は長年西洋文化に支配された社会で育ちました。私達の社会と西洋は、極東とくらべれば、地理学的に近いです。さらに、アフリカは欧米諸国によって植民地化されたために非常に大きな影響を受けました。殆どの場合、私達の社会は西洋化され、共通の言語や宗教が押し付けられました。私達から見れば、長い歴史の中で極東は全く孤立した世界ですから、日本のようなところで国際関係論を研究するのはめったにない機会でした。日本の豊な社会や文化、特に西洋との交流にも関わらず、独自の伝統や「しきたり」を維持してきたことは大変魅力的で、日本との交流プログラムへの話を断ることなど考えられませんでした。
私にとって日本留学は興味をそそると同時に挑戦的な経験でした。ほとんど全ての経験が、ものすごく衝撃的でした。遠い昔から何年も受け継がれてきた「しきたり」が、そのまま今でも同じように残っていることに、びっくりしました。現代でも役立つように「しきたり」を学ぶことは「務め」となっています。東洋でない世界から来た者にとって、「しきたり」から学ぶ務めは、とても重要そうに見えます。日本に来て間もないころは、日本社会全体に特徴となっている厳粛な「謙そん」にとても驚いたものでした。自分の意見を強く発言することがほとんどない環境の中にいることは、不思議な感じでした。何故、様々な問題を考えないで、単純に「ノー」と言えないのか、最初は、本当に理解に苦しみました。お互いを尊敬しあう事が例外ではなく、社会的な規定であるこの社会で暮らしていくことは、私にとって大きな挑戦でした。そして、「この社会では、誰でも自分の場所がある」といつも自分に言いきかせるようになりました。この社会の階級のどこにいるかは関係なく、下の方であれ、上の方であれ、そこが欠けたり大事にされなかったら、この社会全体が上手く機能しなくなってしまうという認識です。富や権力が賛美されるような社会から来た者にとって、この社会に特徴的な平等性は実に素晴らしいと思います。
しかし、私にとって未だに理解しにくいこともあります。たとえば、教育について言わせていただきますと、日本の教育環境は大変競争的であり、学問的に優秀でない人は屈辱を受けてしまいます。これは自分より知識がないのではないかと思う同僚を助けてあげられないことを意味します。助けられた者は、助けた人を自分より優位に位置付ける恐れがあるからです。日本文化に伝わる親切と礼儀正しさによって、本当に援助を必要としている人を助けてあげられなくなってしまうことがあるのです。
異文化の国から来た我々がすべきことは、日本の社会や文化の良いところを吸収し、それを自分らの社会に適用するか、この豊かで調和的な文化と直接に接触できる機会のない人々に紹介することです。そうすることによって、我々は国際理解や国際平和に大きく貢献できるし、違った環境で学ぶ利点をさらに強化できるのだと思います。