SGRAかわらばん2014

エッセイ430:奇 錦峰「憂慮すべき現在の中国大学生(その1)」


特別寄稿:SGRAでは、会員の奇錦峰さんのエッセイ「中国の大学の現状」を2007年にかわらばんで配信し、「われら地球市民」(ジャパンブック、2010年)に収録しましたが、2014年8月にバリ島で開催した第2回アジア未来会議でさらなる報告がありましたので数回に分けてご紹介します。
-----------------------------------------------

どの国でも、伝統的に大学生は国のバックボーン、社会発展のパイオニアであり、しかも民族振興の希望として見られている。彼らは崇高な夢を持ち、一生懸命に勉強し、仕事に熱心である。彼らは強い競争意識を持って、献身的な精神で社会のために頑張っており、国の発展になくてはならない。

1980 年代以降、急速な経済発展の下で、中国社会全体の考え、モラル、文化などが新しい時期に入り、かなりの人々が現実から逃避し、嘲笑正義、カルペディエム(一日の花を摘め)、物質的快適さを追求した結果、すべてを"お金"で考え、各産業が短期的な利益を追求するようになってしまった。社会のこれらの変化が大学生に大きな影響を与え、甘やかされて育てられたこの時期の大学生たちの素質がさらに激しく下落してしまった。しかもこれが成長中の次の世代の大学生へ継承されてしまった。

文化大革命の期間に“紅衛兵”だった奮起した親たち、大勢の真面目で、かつ伝統的な小、中、高等学校の教職員たちの定年退職に伴い、学校教育は本来行うべき思想、道徳教育を軽視したため、ティーンエイジャーたちは、人生への追求心、科学的思考、正義感、誠実、友情、思いやりなどを徐々に消失してしまった。人口増加および市場化経済への移行が、更に小、中、高等学校の“試験志向教育”を極端化させ、大学は政府の「産業化」、「大衆化」への呼びかけに答えた結果、名門大学も含めて、多くの大学が“xxxx職業技術学院(センター)”というあだ名で民間に伝わっている。例えば北京大学は“円明園職業技術学院”に成り下がってしまった。その結果、産業化および大衆化した教育がどんどん社会へ不良品(人柄が悪い、知識もない大学生)を生産し続けてしまった。

一般人の認識では、中国の現代の大学生というイメージはおそらく1989 年、つまり大学が学費を徴収するようになった時からの大学生を指すと思われる(その前は学費はなかった)。1995 年に、大学の学生募集が爆発的に拡大し、今もその傾向が続いている。人類の歴史の中で前例のない大学「大躍進」が始まったとも言える。社会一般の観点から言えば、1980年代、1990年代に卒業した大学生が優良で、特に80 年代に大学を卒業した人は(今日、彼らは中国社会の主力である)もっとも優れていると認められている。しかし、2000 年以降の中国の大学生は、まずは数が多くて、価値が下がり、偏って成長したため、「大学生は国家のエリートで未来の誇り」というアイデンティティは、このわずか数年で崩壊し、ジャンクの代名詞と、堕落の化身となり、広範な社会からの批判のターゲットとなってしまった。 

「中国現代の大学生の九つの罪」というブログの初掲載は2005 年8 月17 日であったが、その後多くの中国のウェブサイトに転載され、今日までも、高いクリックスルー率である。「変な大学生」というサーチワードでネット検索すれば、大学生についての批判は数え切れない。昨今の大学生が如何なる状況かということを、2013 年07 月17 日の北京イブニングニュース(北京晩報)が「南都週刊」と「百度知道」の共同調査の結果を引用して、「中国式の教育:変更または変更させる」というテーマで報告している。

その結果をみると、今の大学のキャンパスで勉強が忙しい大学生は1.1% 、恋愛で忙しい大学生は28%、残りはボーっとして毎日を送っているようだ。私はこの中国の現代の大学生とすでに10 年間付き合っている(私は2003年に帰国してからずっと大学教育に携わってきた)。直接教えた大学生数は概算で5000人以上(今の大学のクラスは大きく、100人以上は普通)。長い間大学教育の前線で働いてきた者として、この「九つの罪」を自分の経験や個人的な調査をもとに分析してみたので報告する。(つづく)

---------------------------------------------------
<奇 錦峰(キ・キンホウ) Qi Jinfeng>
内モンゴル出身。2002年東京医科歯科大学より医学博士号を取得。専門は現代薬理学、現在は中国広州中医薬大学の薬理学教授。SGRA会員。
---------------------------------------------------


2014年11月5日配信