SGRAメールマガジン バックナンバー

  • Olga Khomenko “Soviet Period and My Childhood”

    ************************************************************** SGRAかわらばん583号(2015年8月27日) (1)論文(要旨)募集<締め切り間近!> (2)SGRAエッセイ:オリガ・ホメンコ「ソ連時代とこどもの頃」 ************************************************************** (1)締め切り間近! ○第3回アジア未来会議「環境と共生」の奨学金・優秀論文賞の対象となる論文(要旨)の投稿締め切りは2015年8月31日です。(奨学金・優秀論文賞対象外の一般論文の投稿締め切りは2016年2月28日です。)詳細は下記リンクをご覧ください。 http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/call-for-papers/ ○第6回日台アジア未来フォーラム「東アジアにおける知の交流―越境・記憶・共生―」の投稿(要旨)締め切りは2015年9月20日です。詳細は下記リンクをご覧ください。 http://www.aisf.or.jp/sgra/combination/taiwan/2015/4439/ 皆様の投稿をお待ちしています。 (2)SGRAエッセイ *8月は、以前に配信したエッセイの中で、より広い読者に読んでいただきたいものを再送しています。 ◆オリガ・ホメンコ「ソ連時代とこどもの頃」 「ソ連時代はどうでしたか?覚えていますか?」と最近よく聞かれる。たぶん大変な思いをしていたという答えを想定しているのだろう。しかし、私にとってソ連時代はこどもの頃だったので楽しい思い出が多い。政治に全く関係ない思い出。自分の国の政治体制が何か特別なものであるという意識は、ある時期までなかった。 それはブレジネフ書記長が亡くなった時のことだった。私はまだ小学生で10歳だった。共産党の一番偉い人が亡くなったので、テレビでは「白鳥の湖」のバレエや、哀しいクラシック音楽のコンサートばかり3日間連続で放映していた。そして、学校で、身近な人が亡くなった時と同じような追悼の時間があった。私は丁度その1年前に祖母を亡くしていたので、とても辛くて、「きっとブレジネフさんも誰かのおじいちゃんなので、家族は悲しんでいるでしょう」と悼んだのを覚えている。こどもたちは国のトップの人をそのような意識でとらえていたから、その点ではその存在は近かったかもしれない。 その3日間は授業がなくて、学校ではブレジネフさんの著書を読んでいた。そのようなある日、友だちと2人で学校から帰る道で、指導者が亡くなったことが話題になった。普通は小学生の話題に上がらないことなので、同級生が「ブレジネフさんが亡くなってもあまり悲しくない。よくない人だった。戦争中に指導をしていたスターリンもあまりいい人ではなかった。たくさんの人を死なせたから」と言った時、私はその言葉にとても驚いた。 「えっ?指導者なのに?あり得ない。どうしてそう思うの?国の指導者なのに」と戸惑って聞き返すと、「両親がそう言っているから、家で、誰も聞いてないときに」との返事だった。私はとてもショックを受けた。ブレジネフもそうだが、博物館や学校のあちこちに写真を飾っているスターリンまで、まさか「よくない人」と思えなかった。歴史の授業では「戦争中には『愛国のために、スターリンのために』と叫びながら、自分の体に爆弾を巻いて戦車に体当たりして死んでいった若者がたくさんいた」とも教えられた。国民の多くがそれほどに指導者を尊敬していたと教えられた。歴史教科書からお祭りのポスターまで、スターリンは国民の「父」だと語っていたにもかかわらず、まさか、「国民を死に追いやった」という表現で友人が話すとは信じがたいことだった。 この出来事が起きたのは、1982年の、もうキエフの町の中の木々の葉も落ち、町全体がグレーの霧に包まれた11月のことで、寒い時だった。家に帰るとその同級生が言ったことについてしばらく考えた。「あり得ない」としか思えなかった。夜になって家に戻ってきた両親にその話を伝えると、彼らはお互いの顔を見交わすだけで何も応えなかった。こども心に「おかしい」と疑念が残った。わが家は特に反体制ではなかったが、こどもたちと政治的な話をすることはなかった。 その日からこの社会には、口に出せなくても様々な考えを持っている人がいると思うようになった。そして同級生の家族、またその家庭で話されていることが「何か少し違う」と思うようになった。その3年後の夏に成績優秀なこどもたちが選抜されて1ヶ月間キャンプ生活をした。そこでは食事や遊び以外にいろんな講義があった。今で言う「合宿」に相当する。その講義には数学、歴史、絵画などの教科以外に「政治事情」もあった。その内容の大半は「アメリカはいかに怖い国か」だった。 ある講義で、アメリカの国旗やアメリカのシンボルをTシャツにつけている人は、自分の国を裏切っていて愛国心がないという話題になった。私はハッと気付いた。その時たまたま、買ってもらって得意になってはいていたジーンズのポケットにアメリカの国旗が付いているのだ。「どうしようか」と慌てた。それで静かにTシャツの裾をズボンから取り出し、ジーンズの上にかけた。その旗が見えないように。ズボンだけで判断して私が裏切りものと思われたら困ると思った。幸いに誰も気づかなかったので安心した。今から考えると、服は人間のアイデンティティの一部であり、服装だけで人間の思想性を判断するというのはちょっと単純すぎると思う。だがその当時、「外国」との関係は微妙であった。 両親は毎晩、テレビで9時のニュースを見ていた。私は寝る前にテレビがある部屋の近くをうろうろして、ニュースを聞くようにした。国際ニュースが一番気になっていた。なぜなら、ある時期、よくアメリカの地図が映され、この国はソ連への核爆弾を準備していて、近々わが国に落とすだろうと伝えていたから。アメリカという国を全く知らないにも関わらず、こどもの私は毎晩不安になった。怖い国としか思えなかった。アナウンサーが伝える冷静で硬く笑みのない声を今でも覚えている。 15年後、日本留学中にアメリカからの留学生数人と仲良くなった。最初はやはり昔形成された先入観をぬぐい去ることができず、友人ながら用心深く付き合い始めた。「アメリカからきている人たちは、たぶん違う。注意しなければ」というふうに。共同の台所に行くと、彼らは朝食にピーナッツバターという不思議なものを食べている。また洗濯をするときに服とスニーカーを一緒に洗うという、とんでもないことをしている。また人生観について話すと「quality_of_life(生活の質)」という不思議な言葉をよく使っている。 でもこのような違いを除けば他にはあまり違いがなくて「普通の若者」だった。ある日のこと京都の嵐山で一緒にバーベキューをしていた時、こどもの頃のアメリカの怖いイメージについて話すと、同年代のアメリカの女子学生が「私も同じようなことを思っていた。毎日ニュースを見て、ソ連が爆弾を落とすのでは、と怖かった」と。とても不思議な気分だった。鏡の裏にいる人から同じことを言われたような気がした。そのときに初めてプロパガンダの意味をよく理解できた。 だがそれを知ったのはずいぶん後の話である。こどもの頃は外国についてほとんど何も知らなかった。ただ本を読むのが大好きだった。その頃、父から誕生日に冒険小説の全集をプレゼントされた。外国作家中心の12冊の本で、全部纏めて出版されたのではなく、出版されると家に届けられた。鮮やかなカバーの色は毎号違っていた。本棚に並べてみると虹のようだった。 それを少しずつ読み、まだまだ外国へ行けなかった時代、しかもまだこどもだった自分は、頭の中であちこちに旅をしている夢をみた。ベッドに座って、本から目を離して窓の外を眺めると、そこにはスペインの町、ロンドンの時計、モロッコの道、それからアフリカのジャングルが見えた。全部虚構の世界で、私にしか見えない世界。でもいつかそこに必ず行けると信じていた。どこからそんな確信をもったかよくわからないが、「直感」であり「信念」でもあった。我に返ると手にきれいな本があるだけ。当時、就寝前の短い時間、まるで「幻想」の世界に生きる夢見る少女だったかもしれない。 ブレジネフの死から6年経つと、その話をした同級生は、自分はユダヤ人だと告白してイスラエルに亡命してしまった。ピオネール(共産圏の少年団)だった私たちはコムソモール(共産党の青年組織)に入ったが、その2年後にはコムソモールもなくなった。キエフ大学に入学すると、2年生の時に学生運動が始まり、大きな市民デモに発展して当時の首相は辞任させられた。 その半年後にウクライナはソ連から独立した。そしてそれまで知らされなかった様々な歴史的事実が明るみに出るようになった。それでブレジネフやスターリンの人生、また1933年の「大飢餓」で亡くなった多くのウクライナ人のこと、殺されたたくさんのウクライナの作家や詩人のことを知るようになった。その時、ブレジネフが亡くなった時に同級生とした話やその時の信じられなかった気分が甦った。やはり、知っている人は知っていた。例えこどもの時代であっても。 <オリガ・ホメンコ Olga Khomenko> キエフ生まれ。東京大学大学院の地域文化研究科で博士号取得。現在はキエフでフリーのジャーナリスト・通訳として活躍しながら、キエフモヒラアカデミー、国立大学OIDEで教鞭もとっている。2005年に藤井悦子と共訳で『現代ウクライナ短編集』を群像社から刊行。2014年には、SGRAかわらばんで発表したエッセイ等を纏め、エッセイ中「ウクライナより愛をこめて」を群像社から出版。 エッセイ集の詳細は下記リンクをご覧ください。 http://gunzosha.com/books/ISBN4-903619-44-6.html *本エッセイは、2013年にSGRAかわらばん327号で配信したものを、著者の承諾を得て再送します。 ************************************************** ★☆★SGRAカレンダー ◇第4回SGRAスタディツアーin福島<参加者募集中> 「飯館村:帰還に向けて」(2015年10月2日~4日福島) http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2015/4363/ ◇第8回SGRAカフェ<ご予定ください> 「ジェンダーについて考える必要性(仮)」 (2015年10月24日東京) ◇第50回SGRAフォーラム<ご予定ください> 「青空、水、くらし-環境と女性と未来に向けて」 (2015年11月14日北九州市) ◇第9回SGRAチャイナフォーラム<ご予定ください> 「日中200年―支え合う近代(仮)」 (2015年11月22日北京) ★☆★論文(要旨)募集中 ◇第6回日台アジア未来フォーラム(2016年5月21日高雄) 「東アジアにおける知の交流―越境・記憶・共生―」 http://www.aisf.or.jp/sgra/combination/taiwan/2015/4439/ 投稿締め切りは2015年9月20日です。 ◇第3回アジア未来会議「環境と共生」 (2016年9月29日~10月3日、北九州市) http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/ 奨学金・優秀論文賞の対象となる論文(要旨)の投稿締め切りは2015年8月31日です。 一般の論文・小論文・ポスター(要旨)の投稿締め切りは2016年2月28日です。 ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2015/?cat=11 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email: [email protected] Homepage: 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  • Hong Yun Shin “About Putting Form to Our Thoughts”

    ************************************************** SGRAかわらばん590号(2015年8月20日) ************************************************** *8月は、以前に配信したエッセイの中で、より広い読者に読んでいただきたいものを再送しています。 ◆洪ユンシン「思いを形にすることについて~宮古島に建つ日本軍「慰安婦」のための碑に関わりながら~」 一つの思いが形になる際、そこには、何が残るのか。宮古島に建つ日本軍「慰安婦」のための碑に関わって一年が過ぎようとしている。その間、私は、「何故、沖縄なのか」「何故、宮古島なのか」という質問に度々出会い、政治的な目的や背景があるのではないかと批判され、時には、「女性を偶像化するな」とも言われた。この碑をめぐる疑問と質問に、今日は答えたい。 私/私たちは、ただ、思いに触れて、その思いを思うがままに行動に移した一人、一人の個人であると。ごく単純に、日本軍「慰安婦」のことを忘れず、彼女たちが休んだ場所に大きな石を置いて、誰か「朝鮮」から人が来ないかと待っている素朴な農民がいた。そして、彼の証言を聞き、その思いに触れた者達が集まってきたのだと。それで納得いかないと言うなら、実際に起きた出会いを語ることで、宮古島に建つ日本軍「慰安婦」のための碑に関わった経緯を説明しよう。実行委員会のメンバーとしてではなく、何の目的も持たない私自身の思い出として。 「沖縄戦と朝鮮人」の関係を研究している私は、2006年10月と12月宮古島を訪れた。韓国でインタビューをした朝鮮人軍夫のうち、最も病弱な方が宮古島に強制動員されていたからである。私と宮古島の縁は、このような一人の朝鮮人軍夫との出会いで始まった。部屋に入るや否や「では始めましょう」と正座をしたその方は、始終、姿勢を正し冷静な語調で話をしてくれたが、何処か不安そうに見えた。「動物のなかで一番信用できないのは人間だ」という口癖のような言葉が、私を不安にさせたのかもしれない。 彼は、何故か、「慰安所」の話だけは、すべて日本語で語った。傍でただ話を聞くだけだったおばあさんが、「私は『挺身隊』にいかされると聞き、顔もしらないこの人と結婚したのよ」と呟いた一言で疑問は解けたが、あの深いため息や、彼のインタビューが終わるまでイライラしていた彼女の、どこか寂しそうな横顔を、私は忘れることが出来ない。 インタビューの終わり頃、おじいさんが前日までは座ってご飯も食べられないくらい元気を失っていたことを知らされた。おばあさんは何と退院の直後であったことも知った。沖縄に出来た「恨の碑」の除幕式に行きたかったけれど、体調が悪いためいけなかったと寂しげに語るおじいさんだった。そのとき宮古島の写真を送ろうとひそかに決めていた自分がいた。こうして、私は、宮古島に足を運ぶことになった。 調査を始めると、思いもよらない証言や人の思いに出会った。この島では、井戸など住民が生活している空間のすぐ傍に「慰安所」があったということが分かった。3万人もの日本兵が駐屯していたため、住民より軍が目立つほどだったという。沖縄本土と違い、山の少ない宮古島では、軍が組織的に作った「慰安所」を、住民の目から隠すことは不可能に近かったことも分かった。 生活空間のすぐ傍にいた朝鮮人軍夫や「慰安婦」の方々の苦労を、宮古島の住民は、生々しく覚えていた。この島で、私は、しばしばあの朝鮮人元軍夫とその妻の寂しげな横顔を思い出させる証言者に出会ったのだが、それは、戦争を経験したおじいさんの顔だったり、この島で何度も危機にさらされたおばあさんの横顔だったりした。その一人が、与那覇博敏さんである。 与那覇さんは、戦時中宮古島で日本軍の司令部が置かれていた地域に住んでいた。彼の実家の近くに、長屋の慰安所があり、朝鮮人の女性数人が居たという。水の貴重な島では洗濯をするにしろ、井戸に行かねばならない。「慰安婦」にされた女たちも、坂道を登ってその井戸まで洗濯に出かけた。そしていつも、与那覇さんの実家の前にあった木の下で腰を下ろして休んでいたという。 当時まだ小学生だった与那覇さんは、色白で綺麗な女性たちに唐辛子をあげたりして喜ばせたという。草刈をしによく「慰安所」の近くまで行ったものである。しかし、戦後、彼女たちがなぜ宮古島にきていたのかを知り、木の下で休んでいた彼女たちの何処か寂しげな姿が忘れられなかった。 与那覇さんは、彼女たちのことを忘れまいと、岩を置いたのだと話してくれた。そして、二度目の調査の際に、「この岩に、韓国語で名前を付けてほしい」と頼まれた。東京に戻ると、どうしても碑を建てたいのだと、一生懸命書かれている与那覇さんの手紙が待っていた。それは与那覇さんの強い希望だった。 2006年、私は、尹貞玉(ユン・ジョンオック)先生の沖縄調査に偶然、同行する機会を得た。宮古島調査からの帰りだった。ユン先生に、与那覇さんという宮古島の人の思いを伝えたところ「彼のように自分を覚えている人が居ることを知ったら、おばあさんたちは、どんなに喜ぶでしょうか」と、碑を建てることにすぐ賛同してくださった。 こうして、2007年5月、ユン先生を団長とする「韓国・日本・沖縄」共同調査団が、宮古島に足を運ぶことになった。新聞記事を読んで、那覇滞在の宮古戦体験者の方々からも証言したいと声が寄せられた。同調査団に参加し、どうしても碑を建てたいという与那覇さんの話を聞き、その思いの強さに感動した「聞き手」を中心に、直ちに募金活動が始まった。   2008年、二度目の共同調査を実施。合計15箇所の「慰安所」がこの島にあったことを確認した。宮古島に動員された「慰安婦」の方が韓国に生存していることも確認された。現在(2008年4月)、宮古島・東京・韓国に実行委員会が結成され、広く募金を呼びかけている。証言調査も同時に進めており、16番目の「慰安所」を確認した。沖縄の「慰安所」は130箇所だといわれてきたが、その10分の1以上がこの島に存在したことになる。そして、与那覇さんのようなたくさんの住民が彼女たちについて語っているのである。  2008年8月15日、私たちはこの島の与那覇さんの土地に「日本軍『慰安婦』のための碑」を建てる。私たちは女性を表象化する何の彫刻も建てない。ただそこには、日本軍「慰安婦」であることを強いられた韓国のおばあさんたちの多くが自分自身をその花にたとえ、好んでいた花、ドラジコット(キキョウの花)を一輪置く。宮古島の暑い夏、かつて彼女たちがそうだったように、「希望の木」(2007年5月植木)がこの石に、大きな木陰を作ってくれるだろう。 そして、いつか、あの木の下で休もうと、腰を下ろす旅人は、この真っ黒い琉球岩石を、守っているかのように囲んでいる私たちのメッセージと、小さいキキョウの花畑に出会える。そして「慰安婦」となった女性たちの10カ国の言語で刻まれた次の言葉を読むだろう。 「日本軍による性暴力被害を受けた一人ひとりの女性の苦しみを記憶し、全世界の戦時性暴力の被害者を悼み、二度と戦争のない平和な世界を祈ります。」 旅人がこの祈りの文を読み終わった後に、あの与那覇さんの石に目を留め、この場所に連れてこられた女性たちへ思いを馳せてくれればよい。あの戦争中戦場となり日本軍の要塞となった沖縄で生まれ今も米軍基地と共に生き続ける人々の思い出と、ここに座り込んでいた「慰安婦」にさせられた女性たちの記憶は、「希望の木」を植えた人々の手触りの暖かさに包まれる。飾りのない素朴な琉球岩石が、寂しく見えるはずはない。そして、この場をたまたま訪ねた人々の思いが、そのまま「祈り文」となるだろう。 これらの営みは、決して形などに留まることのない未来への強い希望として働きかけるはずだ。人の思いは形などに留められない。ただ生きているその人自身の「思い」そのもの、ごく普通の人間の思いそのものが、歴史を動かす力となることを、私は、多くの日本軍「慰安婦」証言者や沖縄戦の語り部に学んだ。それを信じている。  <洪ユン伸(ホン・ユンシン)Hong Yun Shin> 韓国ソウル生まれ。韓国の中央大学学士・早稲田大学修士卒業後、早稲田大学アジア太平洋研究科博士。専攻は一貫して「政治学・国際関係学」。関心分野は、政治思想。哲学。安全保障学。フェミニズム批評理論など。SGRA会員。 *本エッセイは、2008年にSGRAかわらばん138号で配信したものを、著者の承諾を得て再送します。2008年9月7日に、宮古島における慰安婦のための碑は建立され、その後も地元の人々によって守られているということです。碑の建立についての報告は、洪さんの下記エッセイをお読みください。 エッセイ173:洪ユン伸 「アジアに一つしかない碑:宮古島の<慰安婦>のための碑建立までを中心に(その1)」 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/sgra/2008/1306/ エッセイ174:洪ユン伸 「アジアに一つしかない碑―宮古島の<慰安婦>のための碑建立までを中心にー(その2)」 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/sgra/2008/1308/ エッセイ175:洪ユン伸 「アジアに一つしかない碑―宮古島の<慰安婦>のための碑建立までを中心にー(その3)」 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/sgra/2008/1310/ ************************************************** ★☆★SGRAカレンダー ◇第4回SGRAスタディツアーin福島<参加者募集中> 「飯館村:帰還に向けて」(2015年10月2日~4日福島) http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2015/4363/ ◇第8回SGRAカフェ 「ジェンダーについて考える必要性(仮)」 (2015年10月24日東京)<ご予定ください> ◇第50回SGRAフォーラム 「青空、水、くらし-環境と女性と未来に向けて」 (2015年11月14日北九州市)<ご予定ください> ◇第9回SGRAチャイナフォーラム 「日中200年―支え合う近代(仮)」 (2015年11月20日フフホト、22日北京)<ご予定ください> ★☆★論文(要旨)募集中 ◇第6回日台アジア未来フォーラム(2016年5月21日高雄) 「東アジアにおける知の交流―越境・記憶・共生―」 投稿締め切りは2015年9月20日です。 ◇第3回アジア未来会議「環境と共生」 (2016年9月29日~10月3日北九州市) http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/ 奨学金・優秀論文賞の対象となる論文(要旨)の投稿締め切りは2015年8月31日です。 <あと10日です!> 一般の論文・小論文・ポスター(要旨)の投稿締め切りは2016年2月28日です。 ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ◇「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ◇登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ◇エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ◇配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ◇皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ◇SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2015/?cat=11 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email: [email protected] Homepage: http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************
  • Sun Junyue “Shanliren (Part 2)”

    ************************************************** SGRAかわらばん589号(2015年8月13日) ************************************************** *SGRAかわらばん配信システム更新時に生じた不具合のために、前号の配信時に一部のメールにおいてメールアドレスが表にでてしまったことをお詫び申し上げます。 *8月は、以前に配信したエッセイの中で、より広い読者に読んでいただきたいものを再送しています。 ◆孫 軍悦「山裏人(その2)」 1985年から、安徽省南の山間部に点在していた80箇所の企業や公共施設が廃業し、2万人以上の上海人が帰郷の途についた。 1960年代、3人の子どもが次々と上海を離れた後、祖母は家を売り払い、南京の伯父と同居することにした。そのため、母は「上海に帰る」とは言っているが、実際帰るところはなかった。母は時々、もし祖母が上海を離れなかったらと悔しそうに言う。私にはそれがかえってよかった。当時、上海では人口が密集し、住居が著しく不足していた。地方で長年苦労したとはいえ、引き揚げてきた兄弟を誰もが快く受け入れたわけではなかった。法廷にもつれ込んだ骨肉の争いも決して珍しいことではなかった。母と違い、私は「血のつながり」に対して、いかなる幻想も抱かなかった。 もっとも、上海に戻ることは、決して「上海人」に戻ることではない。「上海人」は安徽省の山奥にいるときにだけ「上海人」であったが、一旦上海に戻り、別々の会社に分かれていくと、こんどは安徽省での生活経験を共有する「山裏人」という新たなアイデンティティが形成されたのである。さらに、別々の工場から引き揚げてきた「山裏人」が同じ会社に入り、同じ郊外の農家に間借りし、やがて同じマンションに入居したため、その輪がますます広がったのだ。 「山裏人」は想像の共同体ではない。彼らはそのつながりをフルに利用し、「故郷」での決して楽ではない新生活を切り開いていった。たとえば、洗剤や紙といった日用品は洗剤会社や製紙会社に勤めている「山裏人」からもらい、自転車やカメラといった当時の人気商品は、自転車会社、カメラ会社のかつての同僚に、安く購入できるよう便宜を図ってもらう。時計が壊れたら、時計会社に配属された「山裏人」の友人に届ければ、無料で修理してくれる。引っ越す時に、「山裏人」のドライバーさんに電話すれば、かならず手伝ってくれる。誕生会や、定年、還暦、子どもの結婚式、初孫の満月祝いまで、人生のあらゆる重要な場面において、彼らはともに喜怒哀楽を分かち合っていた。親戚すら一目置く存在であった。 かといって、「山裏人」は決して新しい環境に疎外感を覚える外来者の集団ではない。むしろ新しい同僚や友人関係に自然に溶け込めるのがその特徴である。というのは、彼らを結び付けるのは、郷愁でも利権でもない。ただ単に、同じ境遇であったという理由から生まれた一種の親近感と義侠心、それに、助け合いながら生きるという習慣にほかならない。だから、彼らに団結、友愛、無私といった徳目を押し付け、道徳的にもちあげるのは筋違いだろう。ただ、年を重ねるとともに、その利己心が私には生きることへの執念のように映り、多少の「不正行為」も一種の柔軟性と受け取れなくもないと思うようになった。 母が上海に戻った最大の理由は、よい教育環境で子どもたちを育てたいからだ。ただ、親にとっての「よい教育環境」と子どもにとっての「よい教育環境」とは必ずしも一致するとは限らない。 初めて上海に来た時、すでに上海の中学校に通っていた兄は自分の小遣いでアイスキャンディを買ってくれた。田舎ではアイスキャンディは紙で包むため、その密封したビニール袋をどう開ければよいかと戸惑っている私の顔を見て、兄は得意げに封を切って見せた。彼にとって、そのビニール袋はまさに都市文明の象徴であったのだろう。学校の寄宿舎に入っていた兄は、週末になると、ふらりと街に出る。同級生はみな家に帰るが、彼だけは、一人で映画を見たり、ラーメンを食べたりして、またふらりと校舎に戻る。上海は兄にとって、優しく包んでくれる空気のような存在だった。彼はこの街に深い愛着を抱いている。飲み水がまずいとか、青空が見えないとか、街路樹の葉が黒い煤煙に覆われているとか、いちいち目くじらを立てる私とは対照的であった。二人の心には、異なる原風景が描かれていた。 河北、安徽、南京、上海と4つの小学校を転々としていた私は、常によそ者だった。よそ者として来て、またよそ者として去る。しかも、どういう経緯でやって来たのかも、うまく説明できない。子どもなのに、話そうとすると長くなってしまう。特別ではないけれども、理解してもらうには複雑すぎる。自分が何者であるかを説明するために、母の人生を理解しなければならない。母の人生を理解するためには、国家の歴史を知らなければならない。そう思うようになったのはつい最近のことである。 「三線建設」は、1960年代初、アメリカ、旧ソ連との緊張関係の中で、戦争に備えるために西南、西北、中央の山間部で始めた大規模な工業、交通、国防建設を指す。1980年まで、2千億元以上の資金と、数百万の人員が投入され、1100以上の企業や関連施設が建造された。80年代に入ると、多くの軍需企業が民需企業に変わり、近辺の中小都市に移転した。現在、沿海都市から「三線」に移ってきた人々の中で、もとの居住地に戻った人と、地元に残った人との間に、生活水準に歴然とした差がある。「三線建設」の成果に関して、農民から多くの農地を奪い、巨大な物資と人力を浪費したと指摘し、「間違った時に間違った場所で行われた間違った建設」だと批判する人もいれば、いくつもの重要な工業都市が形成され、東西経済発展の格差を是正したと、評価する人もいる。 上海地方誌弁公室は、1966年から、安徽省績渓県績北道路沿線に建設された、上海軽工業局管轄下の「三線企業」について次のように記録している――1971年に生産を始めてから1983年まで、57ミリの砲弾402.8万発を製造。1978年に民需品の生産に切り替えてから、扇風機25.98万台、置時計61.59万個、腕時計の部品15万個、自転車のチェーン225万本、石炭コンベヤ82台等を製造。総生産額5.09億元。 偶然にも四川大地震の際に、日本の報道番組で珍しく「三線建設」という言葉を耳にした。なぜすぐに日本の救援隊を受け入れないかと追及された解説委員は、四川省にかつて「三線建設」が行われていたため、いまだに軍事関連施設が多く残されているからではないかと分析した。 政党、政権、政策を中心とする歴史記述は、所詮政党、政権、政策の歴史にすぎない。国家によって翻弄された個人の歴史に関する記述も、おおかた、個人を翻弄する国家という観念を前提とした、国家の歴史に関する記述にほかならない。現代中国の歴史と現状は、個々人の人生において異なる紋様としてあらわれた歴史と現実を見つめることによって、初めて見えてくるのではないだろうか。その意味で、国家の歴史が母の人生を理解する鍵というよりも、むしろ母の人生が、国家の歴史を照射する光源ではないかと思われる。 数年前、母の友人が、すでに廃屋になった安徽省の山奥のマンションを購入した。かつて住んでいた部屋を改装し、いまは別荘として悠々と暮らしている。人は最後にどこを「安住の地」として選ぶのか、それだけは、国家の政策によって決められるものでも、また国家の歴史から想像できるものでもない。 <孫 軍悦 (そん・ぐんえつ) ☆ Sun Junyue> 2007年東京大学総合文化研究科博士課程単位取得退学。学術博士。現在、東京大学教養学部特任准教授。専門分野は日本近現代文学、翻訳論。 *本エッセイは、2008年にSGRAかわらばん155号で配信したものを、著者の承諾を得て再送します。 *孫軍悦「山裏人(その1)」は下記URLよりお読みいただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/sgra/2008/1030/ ************************************************** ★☆★SGRAカレンダー ◇第4回SGRAスタディツアーin福島<参加者募集中> 「飯館村:帰還に向けて」(2015年10月2日~4日福島) http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2015/4363/ ◇第8回SGRAカフェ 「ジェンダーについて考える必要性(仮)」 (2015年10月24日東京)<ご予定ください> ◇第50回SGRAフォーラム 「青空、水、くらし-環境と女性と未来に向けて」 (2015年11月14日北九州市)<ご予定ください> ◇第9回SGRAチャイナフォーラム 「日中200年―支え合う近代(仮)」 (2015年11月21日北京)<ご予定ください> ★☆★論文(要旨)募集中 ◇第6回日台アジア未来フォーラム(2016年5月21日高雄) 「東アジアにおける知の交流―越境・記憶・共生―」 投稿締め切りは2015年9月20日です。 ◇第3回アジア未来会議「環境と共生」 (2016年9月29日~10月3日、北九州市) http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/ 奨学金・優秀論文賞の対象となる論文(要旨)の投稿締め切りは2015年8月31日です。 一般の論文・小論文・ポスター(要旨)の投稿締め切りは2016年2月28日です。 ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ◇「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ◇登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ◇エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ◇配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ◇皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ◇SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2015/?cat=11 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email: [email protected] Homepage: http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************
  • Sun Junyue “Shanliren (Part 1)”

    ************************************************************** SGRAかわらばん580号(2015年8月6日) 【1】エッセイ:孫軍悦「山裏人(その1)」 【2】論文募集:第6回日台アジア未来フォーラム(2016年5月高雄)    「東アジアにおける知の交流―越境・記憶・共生―」 ************************************************************** *SGRAかわらばん配信システム更新時に生じた不具合のために、前号が複数配信されてしまったことをお詫びします。 *8月は、以前に配信したエッセイの中で、より広い読者に読んでいただきたいものを再送します。 【1】SGRAエッセイ#467 ◆孫 軍悦 「山裏人(その1)」 「どこの出身ですか」と聞かれると、私はいつも口ごもってしまう。母の世代は「小三線」といえば、ある程度わかってもらえるが、私の世代となると、同じ経験を持つ人でない限り、もはや想像すらつかないだろう。 それは、上海から500キロ離れた、安徽省積渓県、黄山という名勝地の麓だった。硯や墨、画仙紙、緑茶が有名で、清朝の大商人胡雪岩、五四文学革命の先駆者胡適、詩人汪静之、そしていまの国家主席胡錦濤など、有名人も輩出している。一方、洪水が多発し、夏になると、見わたす限りの濁流にわずか水牛の角と屋根が浮かんでいる。そのため、故郷を離れる難民が多いことでもよく知られている。 私が幼少時代を過ごしたのは、この安徽省の山奥にある「上海光輝器材厰(工場)」というところだった。もう少し奥には、「万里厰」があって、ほかに「赤星」、「燎原」、「前進」といった工場もある。こうした山奥に作られた工場で働く上海人たちは、自分たちのことを「山裏人=山のなかの人」と呼ぶ。1980年代半ばごろ、工場が廃業し、彼らは一斉に上海に戻り、時計会社や、カメラ会社、製紙会社、洗剤会社、製鉄所、造船所などで働くことになるが、同郷の誼(よしみ)の代わりに、「山裏人」という固い絆で結ばれている。そして、私たちは、「山裏人の子ども」という奇妙なアイデンティティを共有することとなる。 工場は国産ブランドの置時計の部品を作っていた。が、かつて砲弾をつくる軍需工場だったことは一度も聞かされなかった。今思えば、このような交通不便な山奥で置時計を作ることも、近くの山頂に大砲が置いてあるのは山の猛獣を脅かすためだという大人たちの説明も、腑に落ちないものだ。真実が教えられていないことに対して不満をもっているわけではない。当事者は往々にして寡黙なのだ。ただ、現実に疑問を呈する姿勢と矛盾を追究する方法が、私たちの教育には決定的に抜け落ちている。 正確に言えば、工場ではなく、街だった。地元の農民から土地を徴用し、道路、浄水場、マンション、幼稚園、学校、食堂、図書館、保健所など、生活に必要な施設はすべて揃っていた。マンションには水洗トイレがあるが、ガスはない。一階に住んでいたため、母は家の前の空き地を利用して、かまどのある厨房と、鶏やアヒルの小屋を作った。毎朝、アヒルを川に追い込み、夕方に家に連れて帰るのが私の日課だった。卵を産まなくなった鶏を食べて、その骨を細かく砕いて餌にする。雄鶏の尾羽を使って玩具を作る。アヒルの産毛はきれいに洗い、干してからダウンジャケットに使う。 職員は朝方、県の市場から野菜を仕入れる。母は毎朝必要な野菜を日めくりカレンダーの裏に書いて、バスケットに付けてある洗濯挟みに挟んでおく。そして、私が学校に行くついでにバスケットを野菜売り場に預けて、夕方帰るときに取りに行く。今風に言えば、きわめて環境に優しい生活だった。母は石臼で豆乳を作り、お正月には団子用のもち米を挽いていた。一度、挽肉をつくる器械を使ってみたが、器械を組み立てたり洗ったりするのが面倒だったからか、それとも味に不満があったからか、結局包丁で叩くことに戻った。 「過去の生活には戻れない」とよく聞くが、母にとって、「近代化」や「効率化」と「進歩」とは少しも結びつかない。生活に必要であれば、いくらでも「後退」することができる。そもそも、彼女からみれば、「進歩」するのは、経験から培われる智恵のみである。それに従わずに、知識や理屈を信奉するほど愚かなことはないのだ。 都会からみれば、五階建てのマンションに住みながら、かまどを使い、家禽を飼う生活は、かなり奇妙ではあるが、地元の農民の自給自足(自足しているかどうかは別として)の生活とも一線を画している。農民たちは川の向こう側で畑を耕し、上海人は川のこちら側で旋盤を動かす。それぞれの技術で懸命に生きている。時には、農民たちが豚肉を担いで売りに来たり、上海人が水道を引いてあげたり、地元の大工さんに家具を作ってもらったりはするが、互いの交流はそれほど盛んではなかった。 子供の世界も変わりはない。上海人の子どもたちは、川のこちら側の子弟学校で学び、地元の子どもたちは、川の向こう側の学校で学ぶ。山道で偶然出会ってもにらみ合うことがあるほど、互いに「違い」を意識していた。農地が徴用され、工場で働くことになった人もいるが、やはり上海人のなかに完全に溶け込んでいないようだった。あるいは、上海人が彼らを完全に仲間として受け入れていなかったのかもしれない。その子どもたちは、私たちと一緒に子弟学校で学んでいた。おかげで、野いちごのような美味しいものが食べられたが、ツツジの花びらや生のソラマメなど、まずいものも随分食べさせられた。 それにしても、どこかが違うということは、おぼろげながらに分かっていた。こんな山奥にある弾丸の地でも、差別意識は歴然と存在していた。恐ろしいことに、幼い子どもでもこうした差別意識を利用し、悪事を働いたら農民の子に罪をなすりつけることを覚えた。 小学校は、丘の中腹にあった。山は天然の校庭。自然科学の授業はつまらないが、バッタや蟷螂や蛙、そして毎年岩場で咲き乱れるツツジから、生命とは何かを教わった。それは、動物との触れあいの中で命の愛おしさを知るといった奇麗事ではない。むしろ、殺しても殺しても殺しきれないという厳然たる事実から、あらゆる生物に対する畏怖の念が生まれたのである。ペットショップや動物園、水族館に囲まれた子どもたちは、征服者としての人間の傲慢さしか知らない。現代社会は、自然を前に人間が覚えるもっとも基本的な感情の一つである恐怖を、子どもたちから確実に奪っている。 小学校の先生たちは、授業中は先生であるが、放課後は隣人でもある。たとえば、数学の先生は同じマンションの四階、美術の先生は六階、校長先生はむかい側のマンションに住んでいる。三人とも奥さんに尻に敷かれていることも、子どもながらよく知っている。四階の数学の先生の奥さんが「早く夕食の支度を」という先生への伝言を母に頼んだが、使いに行かされた私は怖くて伝えられなかった。そのせいで先生が奥さんに叱られたことを、いまでも申し訳なく思っている。 遠足のときには一人の先生が何人かの生徒と一緒に行動することが決まりだったが、私はいつも美術の先生と一緒だった。二人とも無口で、不器用で、付かず離れず(不即不離)にぼうっと歩いていたことをかすかに覚えている。 低学年のクラスには、まだ十数名の児童がいるが、高学年となると、将来上海市の中学校で良い教育が受けられるように、親たちは心を鬼にして子どもを上海の親戚に預ける。もっとも、預かってくれる親戚がいれば、という幸運な場合に限った話だが。実際、兄にはいたが、私にはいなかった。ただ、私の方がもっと幸運だった。(続く) <孫 軍悦 (そん・ぐんえつ) ☆ Sun Junyue> 2007年東京大学総合文化研究科博士課程単位取得退学。学術博士。現在、東京大学教養学部特任准教授。専門分野は日本近現代文学、翻訳論。 *本エッセイは、2008年にSGRAかわらばんで配信したものを、著者の承諾を得て再送します。 【2】論文募集:第6回日台アジア未来フォーラム(2016年5月)   「東アジアにおける知の交流―越境・記憶・共生―」 フォーラムの趣旨: 「日台アジア未来フォーラム」は関口グローバル研究会が毎年台湾で主催する国際会議である。本会議では主にアジアにおける文学、言語、教育、歴史、社会、文化などの議題を取り上げる。 第六回目の開催となる今年は「東アジアにおける知の交流―越境・記憶・共生―」について議論する。 帝国主義と植民地主義の下で進められた東アジアにおける近代化の流れは、それまでの中国を中心とした朝貢システムを崩壊させ、国民国家を中心とした国際関係を東アジアにおいて成立させてきた。西欧的国家モデルをいち早く志向して近代国家の成立に成功した日本は、二十世紀東アジアにおける知の交流を語る際に常に重要な役割を果たしてきた。しかし、近年のグローバル化の急速な進展によって、国民国家制度の恣意性が明らかになり、また様々な分野の活動にみられる多くの越境者たちの存在や異なる共同体における記憶の構築、多文化主義に見られる共生の実践など、多種多様な交流の形態はこれまでのような国家単位における知の交流の形を大きく変えてきている。今日においてこうした議論は大変有意義であると思われる。本シンポジウムでは、こうした東アジアにおける知の交流の変容を、参加者たちの多様な立場とアプローチによって読み解いていきたいと考えている。 主 催: 公益財団法人渥美国際交流財団、文藻外語大学日本語学科、台湾大学日本語文学学科、台湾大学日本研究センター 会 場: 文藻外語大学(台湾高雄市) 開催日: 2016年5月21日(土) テーマ: 東アジアにおける知の交流―越境・記憶・共生― 申請方法: 2015年9月20日までに、(1)「論文發表申請書」と(2)「論文要旨【中国語・外国語】」を送って下さい。申請書は、文藻大学のホームページよりダウンロードしてください。 http://goo.gl/H8qCRU 審査結果: 結果は2015年11月30日までにEメールにてお知らせいたします。 論文提出期限: 2016年3月18日(金)までに完成した論文(8000字以上)を送って下さい。 本フォーラムでの論文発表後、修正・補充・審査を経て、審査合格論文を編集して、台湾大学「日本学研究叢書」(中国語・日本語)において出版する予定です。 詳細は下記リンクより論文募集要項をご覧ください http://goo.gl/lI3tMu ************************************************** ★☆★SGRAカレンダー ◇第4回SGRAスタディツアーin福島<参加者募集中> 「飯館村:帰還に向けて」(2015年10月2日~4日福島)  http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2015/4363/ ◇第8回SGRAカフェ 「ジェンダーについて考える必要性(仮)」 (2015年10月24日東京)<ご予定ください> ◇第50回SGRAフォーラム 「青空、水、くらし-環境と女性と未来に向けて」 (2015年11月14日北九州市)<ご予定ください> ◇第9回SGRAチャイナフォーラム 「日中200年―支え合う近代(仮)」 (2015年11月21日北京)<ご予定ください> ★☆★論文(要旨)募集中 ◇第6回日台アジア未来フォーラム(2016年5月21日高雄)  「東アジアにおける知の交流―越境・記憶・共生―」  投稿締め切りは2015年9月20日です。 ◇第3回アジア未来会議「環境と共生」 (2016年9月29日~10月3日、北九州市)  http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/  奨学金・優秀論文賞の対象となる論文(要旨)の投稿締め切りは2015年8月31日です。  一般の論文・小論文・ポスター(要旨)の投稿締め切りは2016年2月28日です。 ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ◇「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ◇登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ◇エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ◇配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ◇皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ◇SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2015/?cat=11 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email: [email protected] Homepage: http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************
  • Invitation to SGRA Study Tour in Fukushima

    ************************************************************** SGRAかわらばん579号(2015年7月30日) 【1】第4回SGRAスタディツアー「飯館村、帰還に向けて」へのお誘い 【2】第4回SGRAワークショップ「知の空間を創ろう」報告 ************************************************************** 【1】第4回SGRAスタディツアー「飯館村、帰還に向けて」へのお誘い 渥美国際交流財団SGRAでは2012年から毎年、福島第一原発事故の被災地である福島県飯舘(いいたて)村でのスタディツアーを行ってきました。ふくしまスタディツアーでの体験や考察をもとにしてSGRAワークショップ、SGRAフォーラム、SGRAカフェ、そしてバリ島で開催された第2回アジア未来会議でのトークセッションなど、さまざまな催しを展開してきました。 今年も10月初めに第4回「SGRAふくしまスタディツアー」を行います。ぜひ、ご参加ください。 日   程:2015年10月2日(金)、3日(土)、4日(日)2泊3日 参加メンバー:渥美財団奨学生、ラクーンメンバー、SGRAメンバー その他 人   数:7~8人程度 宿   泊:「ふくしま再生の会 霊山(りょうぜん)センター」 参加費:渥美奨学生、ラクーンメンバーは無料、一般参加者は新幹線往復費用+1万円 申込み締切:9月15日(火) 申込み・問合せ:渥美国際交流財団 SGRA 角田  [email protected] Tel:03-3943-7612 【プログラム(仮)】(参加の希望を聞いて最終プログラムを決めます) 第1日目 朝:東京⇒福島(新幹線) 午後:飯舘村内の視察・見学 夜:村民(避難住民)、「ふくしま再生の会」メンバー達との語らい テーマ: 「帰還に向けて-地域住民として、今語りたいこと」(菅野宗夫) 「ふくしま再生の会の活動-生活再建の試み-」(田尾陽一) 「帰還と風評被害:原発事故被災地の苦悩」(寺島英哉) 第2日目 朝:避難住民との語らい/村内見学 避難所生活を送るお年寄りたちとの語らい:「いつ自分の家に帰れるのか・・・」 午後:「ふくしま再生の会」での協働作業 地元農民、「ふくしま再生の会」のメンバーと共に「稲の刈入れ」の協働作業 夜:若い世代との語らい 若い世代との語らい:「飯舘村再生の意味」「真手(マデイ)の村造りは持続可能か」 第3日目 午前: 未定(参加者の希望で決ます) 午後: 飯舘⇒福島、福島⇒東京(新幹線) 詳細は下記リンクをご覧ください。 http://www.aisf.or.jp/sgra/wp-content/uploads/2015/07/Fukushima2015Chirashi.pdf 【3】   SGRA催事報告 ◆      趙 国 「第4回SGRAワークショップ『知の空間を創ろう』報告」 第4回SGRAワークショップが、「『知の空間』を創ろう」というテーマで、7月3日から3日間行われた。蓼科への「旅行」なのか、「ワークショップ」(しかも、かなり重いテーマである)なのか、少し不安を抱きながら参加した。以下は、極めて個人的な感想を込めた参加レポートである。 7月3日(金) 朝から激しい雨が降り続いていた。新宿を午前9時の出発予定だったが、激しい雨と思わぬ事情により、1時間程度遅れていよいよ出発。幸い目的地への道は渋滞もなく、諏訪に着くころには雨もほぼ止んだ。 お昼はSUWAガラスの里のレストラン。諏訪湖を眺めながら食事をし、食後SUWAガラスの里の美術館・ショップを見るのが定番のコースらしい。美術館で印象深かったのは、金箔の漆器箱をガラスで表現した作品だった。見た目は六角の漆器箱そっくりだが、ガラスの表面に金箔を張り付けたそうだ。わざわざガラスで造る必要があるのかとの思いもなくはなかったが(隣には、ガラスで作ったキャベツもあった!)、とにかく美しい。 次の目的地は諏訪大社。雨は降ったり止んだりしていたが、雨霧に囲まれた古社は神秘感を増した。たまたまあった茅の輪で夏越しの大祓もやってみた。くぐり方だけに気をとられて、その時は何も祈ることが出来なかったが、同期の皆さんが無事に博論を出せるように祈ったらよかったと思う。 予定より少し遅れて最終目的地、チェルトの森へ到着した。夕食後、アイスブレーキングタイムがあった。「私の強みは_______である」「私の弱みは_______である」などなど、親しい人ともなかなか話さない話題について、小グループごとに話し合う時間だった。これでアイスブレーキングができるかよく分からないが、個人的には話すうちにどんどん盛り上がってきた。また周りを見ると、積極的に、真面目に話す人や、ボンヤリのんびりとする人など、個々の個性が浮かび上がるのも面白い。続く懇親会では、聞くだけでも非常に楽しい話が長く続いた。 7月4日(土) 2日目から本格的なワークショップが始まった。午前中は劉傑先生、茶野純一先生のトークショーがあった。まずは両先生より知・空間の概念定義から始まり、知と政治との関係など、深度の深いお話を伺った。茶野先生はアメリカのthink tankと政治政策について、劉先生は中国における日本学(者)の状況などを例として取り上げ、知の問題が現実の政治権力と微妙な緊張関係にあることを鋭く指摘した。 そもそも蓼科ワークショップは、蓼科旅行とも言われているように、博論執筆に疲れている今年度の奨学生にリフレッシュの時間を与えようとの財団の配慮で、気軽に楽しむという趣旨もあるようだが、今回のテーマはなかなか重い。それゆえ参加者皆が真面目に、真摯にテーマを受け入れた様子であった。講演の後に続く質疑応答時間でも「知の空間」における東アジア共同体の可能性、知と権力との関係、「専門性」と「知」との関係設定、アカデミックの「知」と地域の「知」との結びつきなどなど、様々な側面・観点から議論が行われた。 確かに、日本史、しかも日本近現代史という狭いといえば狭い領域で暮らしていた私にとって、刺激になる、それなりに楽しめる時間だったが、他方、これからのワークショップの分科会、翌日のプレゼンテーションなどへのプレッシャーも次第に高くなった。 しかしながら、これは私の杞憂にすぎなかった。午後から始まった小グループの活動は、ワークショップ本来の趣旨の通り、気軽で、楽しめる時間だった。5つに分けられた各チームは、蓼科の自然を満喫しながら、宝探しを兼ねて知の空間をイメージする色・形や、知の空間に必要なもの、禁止すべきものなどの課題を見つけ、それについて自由に話し合う時間を持った。 その後、話し合った結果を元に、各チームは明日のプレゼンテーションに向けて準備にはいった。私のチームでは、知の空間を象徴する各種のイメージをコラージュすることにした。最初は、どういう形になるか分からずに始めたが、皆が少しずつアイデアを出して、ふさわしいイメージを探し出すことによって、作業はどんどん具体化された。よいチームワークの結果、夕食前に、明日の発表準備をほぼ終わらせることができた。これで一安心。外は少しずつ雨が降り出したが、おいしい夕食と、続く懇親会も思う存分、楽しめた。 7月5日(日) 最後の3日目。ワークショップの結果をチーム毎に発表する時間となった。各チームいずれも発表内容や形式において、個性溢れる、面白い発表であった。私のチームのコラージュは知の空間のイメージから、宇宙と秩序を背景とした人間の形状を作り出した。他の発表の面々を見ると、知の空間とその誕生を、卵の形で立派な照明効果も活用しながら表現したもの、とても面白い料理番組で知の空間へのチョコ(直行)焼きを造ったもの、知の空間のつながり・拡散を真面目な説明と分かりやすい紙工作で表現したものなどがあった。最後のチームは、発表順まで緻密に計算して、会場の全員の手をつなぎ合わせ、知の空間における人と人との結びつきを表現した。実に今回のワークショップのテーマにふさわしい最後の発表であったと思う。また、議論、まとめ、発表全体を通して、新入奨学生に任せきりではなく、奨学生のOBやOG、財団の方々、それに講師の先生方までも皆が積極的に参加してくださって、本当にありがたいと思った。 発表が終わってみんなが満足できる授賞式もあった。それからお昼を食べて、バスで東京へ向かった。短い時間であったが、自然を楽しめる(しかも鹿を二度も見ることが出来た)、皆とより一層親しくなった、貴重なリフレッシュの時間だった。 蓼科ワークショップの写真は下記リンクよりご覧ください。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/photo-gallery/2015/3822/ <趙 国(チョ・グック) Guk CHO> 歴史学専攻。早稲田大学大学院文学研究科博士課程在学中。研究分野は日本近現代史で、現在は日本の居留地における清国人管理問題について博士論文を執筆している。 ************************************************** ◆ SGRAカレンダー ◇第4回SGRAスタディツアーin福島  「飯館村:帰還に向けて」(2015年10月2日~4日福島)  http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2015/4363/ ◇第8回SGRAカフェ  「ジェンダーについて考える必要性(仮)」  (2015年10月24日東京)<ご予定ください> ◇第50回SGRAフォーラム  「青空、水、くらし-環境と女性と未来に向けて」  (2015年11月14日北九州市)<ご予定ください> ◇第9回SGRAチャイナフォーラム 「日中200年―支え合う近代(仮)」 (2015年11月21日北京)<ご予定ください> ★☆★第3回アジア未来会議「環境と共生」  (2016年9月29日~10月3日、北九州市)<論文(要旨)募集中>  http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/  奨学金・優秀論文賞の対象となる論文(要旨)の投稿締め切りは2015年8月31日です。  一般の論文・小論文・ポスター(要旨)の投稿締め切りは2016年2月28日です。 ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ◆「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ◇エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ◇配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ◇皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ◇SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。  http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2015/?cat=11 ************************************************** 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email: [email protected] Homepage: http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************
  • SGRA Cafe #7 Report

    ********************************************* SGRAかわらばん578号(2015年7月23日) *********************************************   ■文 景楠「第7回SGRAカフェ報告」 ~中国台頭時代の台湾・香港の若者のアイデンティティ~   2015年7月11日、東京九段下にある寺島文庫みねるばの森にて、台湾中央研究院近代史研究所の林泉忠先生をスピーカーに迎え、第7回SGRAカフェが開催された。SGRA運営委員のデール・ソンヤさんの司会のもと、まずSGRA代表の今西淳子さんによる開催の挨拶があり、続いて林先生による講演が始まった。以下、その様子を簡略に伝えたい。   今回の講演は、2014年に中国語圏で起こった政治的な出来事のなかでも特に印象的であった、台湾のひまわり学生運動と香港の雨傘運動を取り上げたものであった。現在の台湾と香港の状況を象徴するようなこれら二つの運動は、学生たちが立法院や道路を占有する映像とともにメディアによって大きく取り上げられ、海外の人々にも非常に強いインパクトを与えた。これらの運動が現代の中国語圏を理解する上でどのような意味をもつのかを整理し、それをもとにして、運動の主体となった台湾と香港の若者のアイデンティティの問題に進んだ。   林先生によれば、二つの運動は以下のような特徴をもつ。まず、それらはともに学生主体の運動であり、政権や社会格差への関心が主な動機として始まっている。また両者は、方法としては非暴力を、理念としては民主主義を掲げたものであり、その展開においてインターネットが重要な役割を果たしていたという点でも類似している。さらに、ひまわり学生運動と雨傘運動の中心となった若者たちが、深い関心をもって互いの活動を積極的に支援したという点も特徴的である。   すでに『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス:沖縄・台湾・香港』というタイトルの著書を上梓されていることからも窺えるように、林先生が、これらの運動を理解する際にキーワードとしたのは、「中心と辺境との距離」である。上で取り上げた二つの運動は、民主化運動といった点を重視すれば、中国語圏で行われてきた従来の政治運動と一見同様に見えるかも知れない。しかし、今回の二つの運動には大きな違いがあり、それには、近年の中国語圏における最も重大な変化、すなわち「中国の台頭」という現象が関係している。   現在の中国語圏において、中国本土と台湾、香港の力関係は従来のそれから大きく変化している。香港は以前もっていた経済的求心力を失い始め、台湾もまた爆発的な成長を見せる中国との関係をどのように保つかに苦慮している。このような関係の変化は、特に雨傘運動に対する中国政府の対応から垣間見ることができる。林先生の理解によれば、中国政府の雨傘運動への対応は予想以上に強硬なものだった。これは、香港がもっていた経済的重要性が弱まってきたことによって、現在の中国政府がある意味では香港(に住む人々)に対して優位に立つようになったという事情を反映しているといえる。   このような現実に直面している香港の学生たちが今回の運動で問わなければならなかったのは、おそらく民主主義やそのための手続きの問題だけではなく、激変する社会情勢における自分たちの立ち位置でもあったのだろう。同様の指摘は、台湾の事例にも当てはまる。中国政府の反応は香港の場合とは違って比較的おだやかなものではあったが、ひまわり学生運動がそもそも中国本土と台湾の経済的な協定が火種となったものであるという点を考えれば、台湾の若者が苦心していたものもまた、単なる政治的意思決定のプロセスの妥当性だけではなく、中国台頭時代における自らの立ち位置への不安でもあったと思われる。   このように、今回の二つの運動は、ますます中心化していく中国本土とますます辺境化する台湾・香港の関係がもつ不安定さを反映したものであり、若者による民主化運動という理解だけではこれらの内実を正確に把握することは、もはやできないのである。   中心と辺境の距離感は、講演の主題となったアイデンティティの問題に直結している。林先生の調査によれば、香港・台湾の住民のかなりが、自らを香港人・台湾人と考えている。香港人や台湾人という自己認識が何を意味するのか、さらに、この自己認識が中国語圏の今後に対して何を示唆するのかに関しては、まだ判定を下すことができない。しかし、社会情勢の変化が、中国語圏が従来から抱えていた問題の位相を変えていることは恐らく事実であり、今後このような傾向はさらに加速されるだろう。   現状の整理は上記のとおりであるが、これから中国語圏の人々が何を目指すべきかを示すことは簡単ではない。これに関して林先生は、中心となっていく中国政府が、どのように辺境の人々からの信頼を回復できるのかが鍵となるだろうと述べた。その具体的な方法は事案に応じて個別的に論じられなければならないが、その指摘は方向性としては全面的に正しいと思われる。   中国語圏の若者のアイデンティティの問題は、その地域の現実を直に反映したものである。今回の講演は、このようなアクチュアルな現象に着目することで今後の中国語圏全体のあり方を考えるという、非常に刺激的な内容であった。   <文 景楠(ムン・キョンナミ)Kyungnam MOON> 哲学専攻。東京大学大学院博士課程在学中。研究分野はギリシア哲学で、現在はアリストテレスの質料形相論について博士論文を執筆している。   当日の写真を下記リンクからご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/photo-gallery/2015/3822/   ************************************************** ● SGRAカレンダー ○第8回SGRAカフェ 「ジェンダーについて考える必要性(仮)」 (2015年10月24日東京)<ご予定ください> ○第50回SGRAフォーラム 「アジアに青空を取り戻そう―女性が社会を変える(仮)」 (2015年11月14日北九州市)<ご予定ください> ○第9回SGRAチャイナフォーラム 「日中200年―支え合う近代(仮)」 (2015年11月21日北京)<ご予定ください>   ★☆★第3回アジア未来会議「環境と共生」 (2016年9月29日~10月3日、北九州市)<論文(要旨)募集中> http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/ 奨学金・優秀論文賞の対象となる論文(要旨)の投稿締め切りは2015年8月31日です。 一般の論文・小論文・ポスター(要旨)の投稿締め切りは2016年2月28日です。 ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。   ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ● 登録および配信解除をご希望の方はSGRA事務局へご連絡ください。 ● エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ● 配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ● 皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ● SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2015/?cat=11   関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email: [email protected] Homepage: http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************      
  • Liu Jie ”Japan Studies as Asian Public Knowledge”

    ******************************************************** SGRAかわらばん577号(2015年7月16日)   【1】エッセイ: 劉 傑「『日本研究』を『アジアの公共知』に」   【2】第49回SGRAフォーラムへのお誘い(7月18日東京) 「日本研究の新しいパラダイムを求めて」(当日参加可)   【3】新刊紹介:「東アジア経済と労働移動」 ********************************************************   【1】SGRAエッセイ#466   ◆ 劉 傑「『日本研究』を『アジアの公共知』に」   日中韓の東アジア三国は歴史認識と領土問題をめぐって、70年代以来の難局に直面している。アジアインフラ投資銀行がいよいよ創設されるなか、金融を梃子にした経済提携が期待される一方、日本は中国が主導する同機構の透明性と公正性に懐疑的で、慎重な姿勢を崩していない。終戦から70年が経過するが、アジアにおける「信」の欠如は、政治的関係を著しく後退させ、国民感情にも暗い陰を落としている。長期的に安定した地域関係を構築するために、信賴の醸成は不可欠であるが、その前提条件は、共有できる「知」を編み出すことである。この重責を担う各国の知識人に求められているのは、国境を越える「知」の「公共空間」を構築することである。   歴史の束縛から解放されていない東アジアにおいて、地域研究としての「中国研究」「日本研究」及び「韓国研究」の諸分野で、「公共空間」を形成することは極めて難しい。各国がそれぞれのコンテクストの中で他地域を研究している現状は、憂慮すべきことである。各国が描く他国のイメージと当該国の自己認識との間に大きなズレが生じている。例えば、中国と韓国の研究者がもっている日本の近代史像と、日本人研究者がもっているそれとの距離は、この30年間で拡大の一途を辿った。中国研究への傾斜が顕著な今、東アジアにおける日本研究の停滞は、この地域の国際関係に大きな影響を及ぼしている。   問題は先ず日本側にある。そもそも日本のアジア研究から日本研究が排除されたことで、日本の日本研究は「日本的空間」のなかに閉じ込められた。このことが世界の日本研究に与えた影響は大きく、日本の「独自性」が特別に強調される結果をもたらした。しかし、19世紀以来のアジアの歩みには、戦争と革命はいうまでもなく、社会・経済の近代化や文化の伝達と発展など、どの分野からみても、日本が深く関わってきたことは一目瞭然である。日本研究の視野を広げ、アジア研究のなかに踏み込まなければ、本当の意味の日本研究は成り立たない。   一方、中国や韓国の日本研究のあり方にも大きな問題がある。中国についていえば、清末から中華民国時代にかけて大量の留学生が日本、アメリカそしてヨーロッパに渡ったが、彼らが追い求めたのは、中国を近代国家に進化させる道筋であった。彼らは中国の歴史から近代化のさまたげとなるものをえぐり出し、中国の歴史、思想、文化などを西洋の近代的な学問体系を用いて再解釈することに力を入れた。半面、中国の知識人は日本経由で近代の「知」の概念を貪欲に吸収しながらも、日本や欧米に対する研究には大きな関心を示さなかった。そのため、中国には本当の意味の「日本学」も「アジア学」も確立しなかった。   1980年から始まった第二波の留学ブームもこの伝統を継承した。文系を専攻とする留学生の学問的関心は相変わらず、中国近代史、中国政治、中国社会、中国経済などに集中し、日本研究を志すものは比較的少なかった。日本の教育研究機関における中国研究は大変充実しており、留学生に恵まれた環境を提供した。日本には戦前から内藤湖南や狩野直喜らがリードする「支那学」の伝統があり、戦後は「中国学」に継承された。1947年に設立された東方学会は、民間の学術団体として、日本のアジア学の発展と東方諸国の文化の進展に貢献することを目的に活動し続けている。また、アジア政経学会に集まる研究者の大半は中国研究に従事する研究者である。留学生の受け入れに積極的な日本の大学は、中国や韓国の日本研究者をどのように育成していくのか、喫緊な課題である。   東アジアの歴史和解を実現するとともに、国民同士の信頼を回復し、安定した協力関係を構築するには、「公共知」の力が求められる。日本研究をこのような「公共知」に育成することの意味は無視できない。近代日本はアジア諸国と複雑な関係を歩んできた。日本が経験した成功と失敗をアジア全体が共有する財産に昇華させることは、歴史を乗り越えることでもある。また、戦後の日本はアジアのどの国よりも、環境問題、高齢化問題、エネルギー問題、自然災害などの問題をたくさん経験し、多くの知見を蓄積してきた。これらの経験をアジア共有の財産に育て上げることの意味はいうまでもない。アジアが求めている現代日本学は、失敗と成功の2つの側面からの「日本経験」に他ならない。   それでは、「アジアの公共知」としての「日本研究」をどのように創成していくのだろうか。   第一は、歴史を乗り越えることである。そのための第一歩は、中国の「国史」と日本の「国史」、韓国の「国史」を対話させることである。「国史」研究者同士の交流は共有するアジア史につながり、日本のアジア研究に日本研究を取り入れる環境整備にもなる。   第二は、日本が中心になって日本研究のプラットフォームを形成し、これをアジアの公共財に育成することである。日本には日本研究に必要な資源がもっとも集中している。「日本文化」だけではなく、人文科学と社会科学の融合を目指した日本研究の拠点が必要である。これは多方面の提携協力が必要であるが、既存の研究環境の活用から着手することが重要であろう。   第三は、情報の共有を目指すことである。「アジア歴史資料センター」という試みは、世界の日本研究に大きな貢献をしている。歴史資料だけではなく、今まで蓄積された日本の「日本研究」の成果を、多言語に翻訳し、多様な型式で発信する事業も重要であろう。   第四は、アジアにおける日本研究ネットワークの構築である。各国には日本研究の組織が多数存在するものの、国際的な連携を図る仕掛けは存在しない。ネットワークと共同研究の場の形成に向けて、日本はハブ機能とリーダーシップを発揮しなければならない。   <劉 傑(りゅう けつ)Liu Jie> 早稲田大学社会科学総合学術院教授、博士(文学)。専門は近代日本政治外交史、近代日中関係史、現代日中関係論。北京外国語大学を経て、1982年に来日。1993年東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。1996年4月より早稲田大学社会科学部に勤務。コロンビア大学客員研究員、朝日新聞アジアネットワーク客員研究員などを歴任。著書に『日中戦争下の外交』(吉川弘文館、1995年)、『中国人の歴史観』(文藝春秋 文春新書、1999年)、『漢奸裁判―対日協力者を襲った運命』(中央公論新社 中公新書、2000年)、共著に『国境を越える歴史認識』(東京大学出版会、2006年)、『新華僑老華僑』(文春新書、2008年)、『1945年の歴史認識』(東京大学出版会、2009年)など。   *本文は、2015年7月18日に開催する第49回SGRAフォーラム「日本研究の新しいパラダイムを求めて」の問題提起として書かれたものを著者のご同意を得て、SGRAかわらばんで配信します。       【2】第49回SGRAフォーラムへのお誘い(当日参加も歓迎!)   下記の通りSGRAフォーラムを開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。SGRAフォーラムはどなたにも参加していただけますので、ご関心のある方をお誘いください。   テーマ:「日本研究の新しいパラダイムを求めて」   日時:2015年7月18日(土)午前9時30分~午後5時   会場:早稲田大学大隈会館 (N棟2階 201、202号室) http://www.waseda.jp/somu-d2/kaigishitsu/#link7   参加費:無料 使用言語:日本語 お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局  [email protected]   ◇フォーラムの趣旨   渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)は、2014年8月にインドネシア・バリ島で開催した第2回アジア未来会議において、円卓会議「これからの日本研究:学術共同体の夢に向かって」を開催した。この円卓会議に参加したアジア各国の日本研究者、特にこれまで「日本研究」の中心的役割を担ってきた東アジアの研究者から「日本研究」の衰退と研究環境の悪化を危惧する報告が相次いだ。   こうした状況の外的要因として、アジア・世界における日本の国際プレゼンスの低下と、近隣諸国との政治外交関係の悪化が指摘されている。一方では東アジアの日本研究が日本語研究からスタートし、日本語や日本文学・歴史の研究が「日本研究」の主流となってきたことにより、現代の要請に見合った学際的・統合的な「日本研究」の基盤が創成されていないこと、また各国で日本研究に関する学会が乱立し、国内のみならず国際的な連携を図りづらいこと、などが内的要因として指摘されている。   今回のフォーラムでは、下記の4つのテーマを柱とした議論を行い、東アジアの「日本研究」の現状を検討するとともに「日本研究の新しいパラダイム」を切り開く契機としたい。   1.東アジアの「日本研究」の現状と課題、問題点などの考察 2.アジアで共有できる「公共知」としての「日本研究」の位置づけ及び「アジア研究」の枠組みの中での再構築 3.「アジアの公共知としての日本研究」を創成するための基盤づくりと知の共有のための基盤づくり、国際研究ネットワーク/情報インフラの整備等の構想 4.日本の研究者、学識者との連携と日本の関係諸機関の協力と支援の重要性   詳細は下記リンクをご覧ください。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2015/3144/       【3】新刊紹介   SGRA研究員で執筆者のひとりのフェルディナント・マキトさんから新刊書をご寄贈いただきましたのでご紹介します。   ◆「東アジア経済と労働移動」   [編著]トラン・ヴァン・トウ/松本邦愛/ド・マン・ホーン   東アジアで国際間労働移動が活発化している。しかし,その実態を把握した研究は少なく,ましてや国内の労働移動との関係を分析した研究はない。本書は日本,韓国,台湾から中国,タイ,マレーシア,インドネシア,フィリピン,ベトナム,ミャンマー等,国内と国際間の労働移動,送出国と受入国の実態を分析し,持続的発展の為の政策提言を行う。   A5判並製 278頁 C3033 ISBN 978-4-8309-4867-1(4-8309-4867-1) 定価 3240円(本体 3000+税) 発行所 文真堂 発行日 2015年6月発行   http://www.bunshin-do.co.jp/catalogue/book4867.html   ************************************************** ○ SGRAカレンダー ◇第49回SGRAフォーラム 「日本研究の新しいパラダイムを求めて」 (2015年7月18日東京)<参加者募集中> http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2015/3144/ ◇第8回SGRAカフェ 「ジェンダーについて考える必要性(仮)」 (2015年10月24日東京)<ご予定ください> ◇第50回SGRAフォーラム 「アジアに青空を取り戻そう―女性が社会を変える(仮)」 (2015年11月14日北九州市)<ご予定ください> ◇第9回SGRAチャイナフォーラム 「日中200年―支え合う近代(仮)」 (2015年11月21日北京)<ご予定ください> ★☆★第3回アジア未来会議「環境と共生」 (2016年9月29日~10月3日、北九州市)<論文(要旨)募集中> http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/ 奨学金・優秀論文賞の対象となる論文(要旨)の投稿締め切りは2015年8月31日です。 一般の論文・小論文・ポスター(要旨)の投稿締め切りは2016年2月28日です。 ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。   ○「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ○ 登録および配信解除をご希望の方はSGRA事務局へご連絡ください。 ○ エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ○ 配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ○ 皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ○ SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2015/?cat=11   関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email: [email protected] Homepage: http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************
  • [SGRA_Kawaraban] David Goginashvili “Some Thoughts about

    *********************************************************** SGRAかわらばん576号(2015年7月9日) 【1】エッセイ: ゴギナシュヴィリ「イデオロギーをめぐる考え」    〜『どんな人が一番嫌い?』という質問から得られた示唆〜 【2】レポート紹介:「科学技術とリスク社会」    〜福島第一原発事故から考える科学倫理〜 【3】第7回SGRAカフェへのお誘い(7月11日東京)(当日参加OK) 「中国台頭時代の台湾・香港の若者のアイデンティティ」 【4】第49回SGRAフォーラムへのお誘い(7月18日東京)(再送) 「日本研究の新しいパラダイムを求めて」 *********************************************************** 【1】SGRAエッセイ#465 ■ダヴィド ゴギナシュヴィリ「イデオロギーをめぐる考え」 〜「どんな人が一番嫌い?」という質問から得られた示唆〜 ある飲み会で、「どんな人が一番嫌い?」 と聞かれた。「〇〇主義者」が一番嫌い だと心の中で思ったが、そう答えても、相手が理解してくれないだろうと考えたた め、反論を招かないように無難な回答をさがして、誰もが共感するであろう「裏表の ある人が嫌いだ」という答えを選んだ。 理解してもらえないだろうと思った理由は、相手が日本人であり、私とは全く違う バックグラウンドを持っていたからである。私は、長い間様々な「〇〇主義者」に よって苦しめられてきたジョージアという国で生まれ育ったのだが、そのような経験 をしていない人間にとって「〇〇主義者が嫌いだ」というような発言は、すんなりと 理解できないのは当然であろう。 ここで、そのように答えたかった私の気持ちの背景、この質問が私に提起した問題、 そしてそこから導いた結論を説明したいと思う。 私が子供だった頃は共産主義者が人々の自由を抑圧しており、ソ連崩壊後は過激主義 者と分離主義者、そしてその分離主義者を後押ししていた隣国(ロシア)の帝国主義 者がジョージアを分断しようとしていたことが記憶に刻まれている。一方で、国を守 ろうとしていた愛国主義者(彼らは私の憧れであった)もいた。ただし、その愛国主 義者の中でも健全な愛国主義と偏狭な民族主義を区別できず、イデオロギーの名の下 で内戦に火をつける人も多かった。そういった「〇〇主義者」と呼称されていた人た ちのせいで私の国は政治・経済的な危機、そして戦争に直面してしまった。当時の混 乱は、私と同じ世代のジョージア人なら誰もがよく覚えているはずだ。 21世紀に入ると、ジョージアは様々な改革を実施し、著しい発展を成し遂げたが、 「〇〇主義者」によって痛めつけられた傷は未だ国中に強く影響を残している。 大学生になって海外留学や海外旅行をしていたら、ジョージアでは見たこともない 様々な類の「〇〇主義者」に出会った。 例えば、アメリカの南部では白人至上主義者に襲われそうになったり(幸いに、私が コーカス地域出身である、すなわち、英語で白人の人種を意味する「コーカソイド」 であると認められ、白くはない肌にもかかわらず見逃してくれた)、オーストリアの ウィーン郊外のバスでは、ネオナチ主義者とトルコ人の殴り合いに巻き込まれそうに なったり(何とか逃げ出すことができた)もした。また、ある時は、ネパールのカト マンズのレストランで、私が共産主義の悪口を言っていたせいでレストランを出た途 端に、その話を聞いていた共産党毛沢東主義者の店員とその仲間に絡まれたこともあ る(幸いにも話し合いで問題を解決できた)。 一方で、上述の人々とは違う、非暴力的な平和主義者の類の人々にも会ったこともあ るが、当然そうした「〇〇主義者」に対しては決して嫌悪を感じない。しかし、残念 ながら平和主義のようなイデオロギーは極めて観念的、かつ非現実的な思想に基づい ており、暴力的な現実から目をそらすことによって、むしろ間接的に悪の繁栄を促進 しているのではないかという疑問が生じる。イギリスの哲学者ジョン・スチュアー ト・ミルが書き残したように、「悪人が成功を遂げるために必要なたった一つのこと は、善人が黙視し、何もしないことである」(注) まさに現代の世界では、いわゆるジハード主義者のボコ・ハラムやイスラム主義者の 組織と呼ばれるISILが拡大し続けているし、または神政主義者と言われているジョゼ フ・コニーが未だに子供を誘拐して、少年兵として利用している。このような事態を 許している主な原因の一つには、国際社会がそれらの被害者の叫び声に十分に耳を傾 けていないことである。 この21世紀においても人間は、宗教またはイデオロギーの名の下に、心の中にある悪 を養い、人道に対する罪まで犯している。それにもかかわらず、この悪を阻止できる はずのアクターは、利己主義または平和主義の名の下で介入を回避しているという現 実に鑑みると、「〇〇主義者が嫌いだ」という私の答えはもはや不自然ではないだろ う。 しかし、上述の問題を生み出している原因をイデオロギーや宗教に求めるという考え は完全に間違っている。イデオロギーや宗教は、憎しみが生まれ育ちやすい周囲の教 育や社会環境が存在する条件下において、偏狭な考えしか持ち合わせない人々により 「憎しみを養うためのツール」として利用されているに過ぎない。つまり、問題の根 源は人間の心の中に潜んでいる憎しみであり、その感情に対してはいかなる餌も与え てはいけないのだ。 以上のような考察を経た後で、「〇〇主義者が嫌いだ」という私自身の意見をもう一 度よく考えてみると、私が間違っていたことに気がつく。つまり「嫌いだ」とずっと 思い続けていたことこそが間違っていたのではないか。なぜなら憎しみは「さらなる 憎しみ」しか生み出さないからである。 *筆者の訳。原文は下記の通りである:"Bad men need nothing more to compass their ends, than that good men should look on and do nothing". 出所:Mill, John Stuart, Inaugural Address Delivered to the University of St. Andrews, London: Longmans, Green, Reader, and Dyer, 1867, p. 36. <ダヴィッド ゴギナシュビリ David Goginashvili> 渥美国際交流財団2014年度奨学生 グルジア出身。慶応義塾大学大学院政策・メディ ア研究科後期博士課程。2008年文部科学省奨学生として来日。研究領域は国際政治、 日本のODA研究。 【2】SGRAレポート第71号紹介 SGRAレポート第71号を発行しました。本文は下記リンクよりダウンロードしていただ けます。既にSGRA賛助会員と特別会員にはお送りしましたが、冊子本をご希望の方は SGRA事務局にご連絡ください。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/report/2015/3132/ 第47回SGRAフォーラム講演録 ■「科学技術とリスク社会〜福島第一原発事故から考える科学倫理〜」 2015年5月25日発行 <もくじ> 【問題提起】 崔 勝媛(チェ・スンウォン)理化学研究所研究員 【対談】 モデレータ:エリック・シッケタンツ 東京大学大学院人文社会系研究科特別研究員 【対談1】島薗 進(しまぞの・すすむ)上智大学神学部教授 「今のリスク社会と科学技術に欠けているもの−原発事故後の放射線健康影響問題か ら−」 【対談2】平川秀幸(ひらかわ・ひでゆき)大阪大学コミュニケーションデザインセ ンター教授 「科学の『外』の問いをいかに問うか−科学技術とリスク社会:福島原発事故から考 える−」 【オープンディスカッション】 ファシリテータ:デール・ソンヤ 上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科特 別研究員 参加者:島薗 進、平川秀幸、会場参加者 【3】第7回SGRAカフェへのお誘い(当日参加も歓迎です!) SGRAでは、良き地球市民の実現をめざす(首都圏在住の)みなさんに気軽にお集まり いただき、講師のお話を伺う<場>として、SGRAカフェを開催しています。今回は、 「SGRAメンバーと話して世界をもっと知ろう」という主旨で、台湾から来日する林泉 忠さんのお話を伺います。準備の都合がありますので、参加ご希望の方は、事前に、 SGRA事務局へお名前、ご所属、連絡用メールアドレスをご連絡ください。 ■ 林 泉忠「中国台頭時代の台湾・香港の若者のアイデンティティ」       〜『ひまわり』と『あまがさ』の現場から〜 日時:2015年7月11日(土)14時〜17時 会場:寺島文庫Cafe「みねるばの森」 http://terashima-bunko.com/bunko-cafe/access.html 会費:無料 お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局  [email protected] 講師からのメッセージ: 2001年、私は、近現代における「中心⇔辺境」関係の変遷に着目し、共に「帰属変 更」という特殊な経験をもつ台湾、香港、沖縄において出現したアイデンティティの ダイナミズムに、「辺境東アジア」という概念を提出して説明した。興味深いこと に、この3つの「辺境」地域はいずれも2014年において「中心」に対して再び激しい 反発とアイデンティティの躍動を見せている。今回のSGRAカフェでは、「中国の台 頭」という新しい時代を迎えるなか、なぜ台湾と香港では「ひまわり」と「あまが さ」という若者中心の市民運動がそれぞれ起きたのか、変化する台湾と香港の若者の アイデンティティと彼らの新しい中国観についてお話しします。 <林 泉忠 John Chuan-Tiong LIM> 台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国際政治学専攻。2002年東京大学より博士号 (法学)を取得、琉球大学法文学部准教授、またハーバード大学フェアバンク・セン ター客員研究員などを歴任。2012年より現職。著作に『「辺境東アジア」のアイデン ティティ・ポリティクス:沖縄・台湾・香港』(単著、明石書店、2005年)。 【4】第49回SGRAフォーラムへのお誘い(再送) 下記の通りSGRAフォーラムを開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご 所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。SGRAフォーラムはどなたにも参加 していただけますので、ご所属のメーリングリスト等で宣伝をお願いいたします。 テーマ:「日本研究の新しいパラダイムを求めて」 日時:2015年7月18日(土)午前9時30分〜午後5時 会場:早稲田大学大隈会館 (N棟2階 201、202号室)    http://www.waseda.jp/somu-d2/kaigishitsu/#link7 参加費:無料 使用言語:日本語 お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局  [email protected] ◇フォーラムの趣旨 渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)は、2014年8月にインドネシア・バ リ島で開催した第2回アジア未来会議において、円卓会議「これからの日本研究:学 術共同体の夢に向かって」を開催した。この円卓会議に参加したアジア各国の日本研 究者、特にこれまで「日本研究」の中心的役割を担ってきた東アジアの研究者から 「日本研究」の衰退と研究環境の悪化を危惧する報告が相次いだ。 こうした状況の外的要因として、アジア・世界における日本の国際プレゼンスの低下 と、近隣諸国との政治外交関係の悪化が指摘されている。一方では東アジアの日本研 究が日本語研究からスタートし、日本語や日本文学・歴史の研究が「日本研究」の主 流となってきたことにより、現代の要請に見合った学際的・統合的な「日本研究」の 基盤が創成されていないこと、また各国で日本研究に関する学会が乱立し、国内のみ ならず国際的な連携を図りづらいこと、などが内的要因として指摘されている。 今回のフォーラムでは、下記の4つのテーマを柱とした議論を行い、東アジアの「日 本研究」の現状を検討するとともに「日本研究の新しいパラダイム」を切り開く契機 としたい。 1.東アジアの「日本研究」の現状と課題、問題点などの考察 2.アジアで共有できる「公共知」としての「日本研究」の位置づけ及び「アジア研 究」の枠組みの中での再構築 3.「アジアの公共知としての日本研究」を創成するための基盤づくりと知の共有の ための基盤づくり、国際研究ネットワーク/情報インフラの整備等の構想 4.日本の研究者、学識者との連携と日本の関係諸機関の協力と支援の重要性 詳細は下記リンクをご覧ください。 http://goo.gl/5xYAie ************************************************** ● SGRAカレンダー ○第7回SGRAカフェ 「中国台頭時代の台湾・香港の若者のアイデンティティ」 (2015年7月11日東京)<参加者募集中> http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2015/3240/ ○第49回SGRAフォーラム 「日本研究の新しいパラダイムを求めて」 (2015年7月18日東京)<参加者募集中> http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2015/3144/ ★☆★第3回アジア未来会議  (2016年9月29日〜10月3日、北九州市)<論文(要旨)募集中> http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/ 奨学金・優秀論文賞の対象となる論文(要旨)の投稿締め切りは2015年8月31日で す。 一般の論文・小論文・ポスター(要旨)の投稿締め切りは2016年2月28日です。 ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来に ついて語る<場>を提供します。 ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員 のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読 いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ● 登録および配信解除をご希望の方はSGRA事務局へご連絡ください。 ● エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ● 配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務 局より著者へ転送します。 ● 皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ● SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただ けます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2015/?cat=11 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3−5−8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03−3943−7612 FAX:03−3943−1512 Email: [email protected] Homepage: http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************
  • [SGRA_Kawaraban] Xie Zhihai “What will happen to the Regional Revitalization Policy?”

    *********************************************************** SGRAかわらばん575号(2015年7月2日) 【1】エッセイ:謝 志海「どうなる地方創生」 【2】SGRAレポート第70号紹介   「インクルーシブ教育:子どもの多様なニーズにどう応えるか」 【3】第7回SGRAカフェへのお誘い(7月11日東京)(再送) 「中国台頭時代の台湾・香港の若者のアイデンティティ」 【4】第49回SGRAフォーラムへのお誘い(7月18日東京)(再送) 「日本研究の新しいパラダイムを求めて」 *********************************************************** 【1】SGRAエッセイ#464 ■ 謝 志海「どうなる地方創生」 地方創生はうまくいっているのだろうか?具体的には何をしているのだろうか?ぱっ と頭に浮かぶのはゆるキャラ、町おこしのプロモーションビデオ。しかしこれだけ で、都心に住む人が地方都市をどれほど知ることができるのか?行ってみたいと思う 人はいるのだろうか?実際に地方都市の人口は増えているのだろうか? もちろん地方 創生は地方だけの問題ではない、国の問題だ。政府は「まち・ひと・しごと創生本 部」を設置していて、各府省庁はそれぞれの視点で地方創生の策を練っている。 例えば、総務省は地方へ若者の人口流入を促すべく、「地域おこし協力隊」として移 住政策を推進している。移住先でローカルの仕事を斡旋する仕組みや、住居なども整 えてあげている。あるいはその土地で起業する人への財政支援もしている。これらは 大体1〜3年という期間が設けられているところが多いが、約6割の人が任期終了後も 同じ地域に定住しているそうだ。しかも若い人が多い(平成25年6月末時点。まち・ひ と・しごと創生本部資料より)。 すでに実績も出ていて、素晴らしいプロジェクトだ と思う。一方で有識者会議によるCCRC(Continue Care Retirement Community)構想も 発表されている。これは東京圏をはじめ大都市の高齢者が、本人の希望に即して地方 に移り住むことを支援するというもの(まち・ひと・しごと創生本部資料より)。 こ ちらのすごい点は、移住した後の生活まで支援体制を整えているところで、引き続き 健康でアクティブな生活を送れること、後に医療や介護が必要になった時の為の体制 も確保することを目指している。定年後は首都圏から離れて穏やかに過ごしたいが、 その術がわからずイマイチ踏み出せない、という人にチャンスを与えることができる はずだ。 このような素晴らしい地方創生のプログラムがたくさんありながら、都市部と地方に は大きなギャップがあると感じるのはどうしてだろう。現在私は地方都市に住んでい て、東京には時々仕事で行くぐらいだ。この往復で思うのは、東京と地方の温度差 (気候ではない)が未だに大きいこと。東京はやはりエネルギッシュな都会だ。オリン ピックを5年後に控え、観光客で賑わい、衰えることを知らない感じがする。他方、 地元にいると地方創生をしようという雰囲気は特に感じられない。 政府が地方の活性化にどんなにいいプログラムを策定しても効果はそれほど上がらな い。やはり、元からいる住民がその土地で楽しく暮らし、住民たちの手で広め、呼び 込むことが大事なのではないだろうか。例えば、東京の広告代理店に頼んで、地元活 性化のプロモーションビデオを作ってもらって、YouTubeにアップロードして終わり では、結局お金が東京の会社に支払われるだけで本末転倒になってしまう。プログラ ムを作った分だけ地元に還元されるべきだろう。地元の人々が、政府が用意してくれ た様々な地方創生プログラム案をその土地に合うようにカスタマイズし、運用してい く所から活性化していくのではないだろうか。実際、すでに地方創生が盛んな地域と そうでない地域の差が出始めている。地方創生がうまくいっている地域は、東京から のアクセスが良くなかったりする。ということは、きっとその地方の人々の努力の賜 物だろうと私は勝手に推測している。 これから地方創生に求められるのはスピード感ではないだろうか。人口減少必至の日 本、乗り遅れると一気に過疎化してしまうのでは?と心配になる。町が生き生きとす るかどうかは、地元に住んでいる人が自ら動き出すかどうかによるのではないだろう か。 -------------------------------------------- <謝 志海(しゃ しかい)Xie Zhihai> 共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログ ラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期 課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交 流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年 4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されてい る。 -------------------------------------------- 【2】レポート紹介 SGRAレポート第70号を発行いたしましたのでご紹介します。本文はSGRAホームページ よりダウンロードしていただけます。SGRA賛助会員と特別会員の皆様には冊子本をお 送りいたしましたが、その他の方で冊子本の送付をご希望の場合は事務局までご連絡 ください。 ------------------------- 第46回SGRAフォーラム講演録 ■「インクルーシブ教育:子どもの多様なニーズにどう応えるか」 2015年4月20日発行 <もくじ> 【基調講演】 「インクルーシブ教育の実現に向けて」 荒川 智(あらかわ・さとし)茨城大学教育学部教授 【報告1】 「障碍ある子どもへの支援」 上原芳枝(うえはら・よしえ)特定非営利活動法人リソースセンターone代表理事 【指定討論】 ヴィラーグ ヴィクトル 日本社会事業大学大学院社会福祉学研究科博士課程 【報告2】 「学校教育からはみ出た外国につながりを持つ子どもたちに寄り添って」 中村ノーマン(なかむら・ノーマン)多文化活動連絡協議会代表 【指定討論】 崔 佳英(チェ・カヨン) 東京大学大学院総合文化研究科博士課程 【オープンフォーラム】 進行:権 明愛 討論者:上記発表者 レポート全文は下記ウェブサイトよりダウンロードしてください。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/report/2015/3125/ 【3】第7回SGRAカフェへのお誘い(再送) SGRAでは、良き地球市民の実現をめざす(首都圏在住の)みなさんに気軽にお集まり いただき、講師のお話を伺う<場>として、SGRAカフェを開催しています。今回は、 「SGRAメンバーと話して世界をもっと知ろう」という主旨で、台湾から来日する林泉 忠さんのお話を伺います。準備の都合がありますので、参加ご希望の方は、事前に、 SGRA事務局へお名前、ご所属、連絡用メールアドレスをご連絡ください。 ■ 林 泉忠「中国台頭時代の台湾・香港の若者のアイデンティティ」       〜『ひまわり』と『あまがさ』の現場から〜 日時:2015年7月11日(土)14時〜17時 会場:寺島文庫Cafe「みねるばの森」 http://terashima-bunko.com/bunko-cafe/access.html 会費:無料 お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局  [email protected] 講師からのメッセージ: 2001年、私は、近現代における「中心⇔辺境」関係の変遷に着目し、共に「帰属変 更」という特殊な経験をもつ台湾、香港、沖縄において出現したアイデンティティの ダイナミズムに、「辺境東アジア」という概念を提出して説明した。興味深いこと に、この3つの「辺境」地域はいずれも2014年において「中心」に対して再び激しい 反発とアイデンティティの躍動を見せている。今回のSGRAカフェでは、「中国の台 頭」という新しい時代を迎えるなか、なぜ台湾と香港では「ひまわり」と「あまが さ」という若者中心の市民運動がそれぞれ起きたのか、変化する台湾と香港の若者の アイデンティティと彼らの新しい中国観についてお話しします。 ------------------------------ <林 泉忠 John Chuan-Tiong LIM> 台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国際政治学専攻。2002年東京大学より博士号 (法学)を取得、琉球大学法文学部准教授、またハーバード大学フェアバンク・セン ター客員研究員などを歴任。2012年より現職。著作に『「辺境東アジア」のアイデン ティティ・ポリティクス:沖縄・台湾・香港』(単著、明石書店、2005年)。 ------------------------------ 【4】第49回SGRAフォーラムへのお誘い(再送) 下記の通りSGRAフォーラムを開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご 所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。SGRAフォーラムはどなたにも参加 していただけますので、ご所属のメーリングリスト等で宣伝をお願いいたします。 第49回SGRAフォーラム ■「日本研究の新しいパラダイムを求めて」 日時:2015年7月18日(土)午前9時30分〜午後5時 会場:早稲田大学大隈会館 (N棟2階 201、202号室)    http://www.waseda.jp/somu-d2/kaigishitsu/#link7 参加費:無料 使用言語:日本語 お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局  [email protected] ◇フォーラムの趣旨 渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)は、2014年8月にインドネシア・バ リ島で開催した第2回アジア未来会議において、円卓会議「これからの日本研究:学 術共同体の夢に向かって」を開催した。この円卓会議に参加したアジア各国の日本研 究者、特にこれまで「日本研究」の中心的役割を担ってきた東アジアの研究者から 「日本研究」の衰退と研究環境の悪化を危惧する報告が相次いだ。 こうした状況の外的要因として、アジア・世界における日本の国際プレゼンスの低下 と、近隣諸国との政治外交関係の悪化が指摘されている。一方では東アジアの日本研 究が日本語研究からスタートし、日本語や日本文学・歴史の研究が「日本研究」の主 流となってきたことにより、現代の要請に見合った学際的・統合的な「日本研究」の 基盤が創成されていないこと、また各国で日本研究に関する学会が乱立し、国内のみ ならず国際的な連携を図りづらいこと、などが内的要因として指摘されている。 今回のフォーラムでは、下記の4つのテーマを柱とした議論を行い、東アジアの「日 本研究」の現状を検討するとともに「日本研究の新しいパラダイム」を切り開く契機 としたい。 1.東アジアの「日本研究」の現状と課題、問題点などの考察 2.アジアで共有できる「公共知」としての「日本研究」の位置づけ及び「アジア研 究」の枠組みの中での再構築 3.「アジアの公共知としての日本研究」を創成するための基盤づくりと知の共有の ための基盤づくり、国際研究ネットワーク/情報インフラの整備等の構想 4.日本の研究者、学識者との連携と日本の関係諸機関の協力と支援の重要性 詳細は下記リンクをご覧ください。 http://goo.gl/5xYAie ************************************************** ● SGRAカレンダー ○第4回SGRAワークショップin蓼科 (2015年7月4日〜5日)<参加者募集中> http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2015/3137/ ○第7回SGRAカフェ 「中国台頭時代の台湾・香港の若者のアイデンティティ」 (2015年7月11日東京)<参加者募集中> http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2015/3240/ ○第49回SGRAフォーラム 「日本研究の新しいパラダイムを求めて」 (2015年7月18日東京)<参加者募集中> http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2015/3144/ ★☆★第3回アジア未来会議  (2016年9月29日〜10月3日、北九州市)<論文(要旨)募集中> http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/ 奨学金・優秀論文賞の対象となる論文(要旨)の投稿締め切りは2015年8月31日で す。 一般の論文・小論文・ポスター(要旨)の投稿締め切りは2016年2月28日です。 ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来に ついて語る<場>を提供します。 ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員 のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読 いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●自動登録および配信解除は下記リンクから行えます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/entry/mailing_form/ ● エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ● 配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務 局より著者へ転送します。 ● 皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ● SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただ けます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2015/?cat=11 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3−5−8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03−3943−7612 FAX:03−3943−1512 Email: [email protected] Homepage: http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************
  • [SGRA_Kawaraban] Che Kyounghun “Paralyzed in Sleep by the Ghost Next to

    *********************************************************** SGRAかわらばん574号(2015年6月25日) 【1】エッセイ: 蔡 炅勳「隣の幽霊の金縛り」 【2】第7回SGRAカフェへのお誘い(7月11日東京)(再送) 「中国台頭時代の台湾・香港の若者のアイデンティティ」 【3】第49回SGRAフォーラムへのお誘い(7月18日東京)(再送) 「日本研究の新しいパラダイムを求めて」 *********************************************************** 【1】SGRAエッセイ#463 ■ 蔡 炅勳「隣の幽霊の金縛り」 日本のホラー映画が世界的に有名であることに異論のある人はあまりいないだろう。 最近では少し停滞しているが、一時期『リング』や『呪怨』のような日本のホラー映 画が外国で注目を集め、ついにハリウッド映画でリメイクされることにもなった。 『リング』の場合は、韓国でもリメイクされ、『リング』に出た幽霊の貞子は、長い 間人々の話題となっていた。ホラー映画は、他ジャンルの映画に比べて好き嫌いが はっきりと分かれ、観客層が限られている。そのため、映画ランキングの第1位を占 めるのは容易ではない。正確な記憶ではないが、『リング』や『呪怨』も 映画ラン キング1位を占めたことはなかったと思う。にもかかわらず、それらの映画をはじ め、日本のホラー映画が注目を浴びたのには何か特別な理由があるのだろう。 その理由の一つとして、私は日本映画に出てくる幽霊のそれぞれの存在理由が、主人 公に劣らず詳しく描かれ、物語がより豊かになっているからだと言いたい。幽霊の存 在感を浮き彫りにするこのような傾向は、他者を眺める日本人の視線に関係があると 思う。字数が限られおり、また映画の批評でもないため、複雑な話は省略したいが、 重要なことは、幽霊や怪物がこの社会の他者を形象化した存在であり、日本のホラー 映画の幽霊は他者としての強力な存在根拠を持ち、主人公に決して避けられない恐怖 を与えるのだ。 映画のみならず、アニメーション、漫画、小説、ビデオゲームなど、日本の大衆文化 の中には幽霊や妖怪や怪物のような異質の存在がしばしば登場する。これらは通常、 恐ろしくてグロテスクだが、時には『隣のトトロ』のように親しみやすく、『ポケッ トモンスター』のように可愛く、そして『うる星やつら』のように人間と大きく変わ らない存在としても出てくる。もしかすると、日本人の中に、主流の特定宗教がな く、唯一神の信仰が定着していないこととも関係があるのかもしれない。また、八百 万の神を祀っているという話のように、あまりにも多くの異質の存在が到る所にいる からかもしれない。私はこのような日本文化の特徴の中に、現代人に求められる人間 的な価値や美徳の大きな可能性があると思う。 前述したように、幽霊、妖怪、怪物のような異質のものは、その社会の他者の形状を 通じて生まれた、つまり他者化された存在である。すべての他者がそのようなもので はないのだが、ほとんどの他者は、個人にとっても社会においても脅威の存在とみな される。そのため、他者は追放されるか封印されるべき存在であり、社会追放と封印 の過程を経て、全体性の中に整然と統合される。中世の魔女狩りが共同体の構成員の 同質性を回復し、共同体の存立のためになされる他者化の代表的な例であろう。我ら 人間は、このような他者の犠牲のおかげで自分の世界を維持することができたのだ。 そして、魔女狩りは現在も続いている。 しかし、現代社会は他者に関する新たな視点と理解を求めている。特に、様々な人々 が国境を越えて自由に移動し、コミュニケーションをとっている現代社会で、他者と のコミュニケーションはますます重要な問題となっている。2年前のOECDの調査報告 書でも、移住の問題は、宗教、民族、人種などが幅広く関連しているため、現代社会 の中で最も重要な問題の一つだと指摘されている。激しい宗教紛争、民族問題、人種 差別、領土紛争などが起きている今日、自分に代表される同一者と他者との葛藤は、 もはや従来の認識論的体系では解決不可能の状態にある。これまでの同一者中心の欧 米のロゴス的認識体系では、他者とのコミュニケーションに限界があることを知り、 他者に関する新たな模索を試み、他者を他者本来の位置に戻そうとしている。 他者も皆それぞれの歴史を持ち、自分なりの物語を持つ。それを私たちが判断し、評 価を下すことはできない。そもそもそのような権利さえない。他者は他者として、幽 霊は幽霊として、妖怪は妖怪として存在しなければならない。また何よりも、私たち 自身も幽霊の姿をしている他者であることを覚えておかなければならない。このよう なことから、私は他者との共存可能性の糸口が日本の文化の中にあると思うのだ。ハ リウッド映画の優しいモンスターは常に人間の味方で人間のために戦い、ある意味で は、神のような特別な存在である。一方、日本の怪物は日常の中で生きながら人々と 付き合い、時には葛藤したり、喧嘩したりして共存する存在として登場する。もちろ ん、最終的には物語の主人公の世界観や社会の一般常識によって異質性が評価され、 統合されてしまう限界はあるが、怪物を怪物として、幽霊を幽霊として認識し、受け 入れようとする試みが見られるのが日本の大衆文化の特徴だと思われる。 八百万の神を祀っていることは、一方で八百万以上の犠牲になった他者(即ち幽霊や 妖怪や怪物のような異質のもの)が存在していると考えることもできるかもしれな い。その分、他者を徹底的に排除してきたとも言えるが、同時に幽霊や怪物は、すで に消えた他者を記憶して哀悼する方法でもある。実際に私たちの社会は他者の犠牲に よって存立しているが、すでに忘れ去られて幽霊や怪物にもならなかった無数の犠牲 者がいたことも忘れてはいけない。他者を少しでも多く、より長い間覚えて悼もうと するために、八百万にも達する神を祀っているのかもしれない。このように考えて、 私は日本文化に他者とのコミュニケーションの取り方の可能性を見るのである。 しかしながら、現代の日本社会は、本来日本文化の中に存在しているはずの「異質な ものをそのまま受け入れる」力が失われてしまっているのではないだろうか。現代の 日本社会は、他者に関する想像力が非常に低いようにみえる。この問題は、自分自身 も鬼の姿をしている他者でもあるということを認めようとしていないためではないだ ろうか。「おもてなし」に代表される他人への配慮は、むしろ他者に向かって自分の ことを隠して他者の視線から避ける行為のように見える。他人のことを先に考え自分 のことを譲るのも、他者に対する配慮ではなく、他者との衝突を避ける卑怯な行為の ようにも見える。日本人は他者を認めようと努力はしているが、自分自身が異質の存 在として他者の位置に置かれることは恐れているようだ。しかし、自分もまた他者と して、他者の生を規定し、規定されるのは、あまりにも当然のことで、避けることは 絶対に不可能なのである。 ということで、他者の怖い目つきに堪えなければいけない。恐怖そのものであるけれ ども、私たちは他者という異質の存在に直面しなければならない。これがエマニュエ ル・レヴィナスの話した他者に向かう無限の責任であり、他者に対する倫理ではない だろうか。『リング』の貞子がテレビの画面を突き抜けて私たちの前に顕現すること をちゃんと見つめ、『ステキな金縛り』の武士の幽霊と一緒に過去の真実を裁判所で 証言しなければならない。他者との出会いで葛藤は避けられないが、重要なことは、 葛藤と向き合うことによって他者に一歩近づくことができるということであり、それ はまた、他者の金縛りになった我らを自ら解放させることなのである。 ------------------------------ <蔡炅勳(チェ・キョンフン)Che Kyounghun> 韓国外国語大学校卒業、東国大学校大学院文学修士号取得。映画評論家として活動。 2010年来日。現在、東京芸術大学大学院映像研究科博士後期課程映像メディア学博士 号候補者。実験映画監督として作品活動。研究テーマは、他者性を基にして記憶と空 間の問題を扱い、在日韓国・朝鮮人の映画的な表象と映画の中の風景との関係を研究 している。論文のタイトルは、『風景として現われた在日朝鮮人−映画的な記憶と在 日朝鮮人の表象』。 ------------------------------ 【2】第7回SGRAカフェへのお誘い(再送) SGRAでは、良き地球市民の実現をめざす(首都圏在住の)みなさんに気軽にお集まり いただき、講師のお話を伺う<場>として、SGRAカフェを開催しています。今回は、 「SGRAメンバーと話して世界をもっと知ろう」という主旨で、台湾から来日する林泉 忠さんのお話を伺います。準備の都合がありますので、参加ご希望の方は、事前に、 SGRA事務局へお名前、ご所属、連絡用メールアドレスをご連絡ください。 ■ 林 泉忠「中国台頭時代の台湾・香港の若者のアイデンティティ」 〜『ひまわり』と『あまがさ』の現場から〜 日時:2015年7月11日(土)14時〜17時 会場:寺島文庫Cafe「みねるばの森」 http://terashima-bunko.com/bunko-cafe/access.html 会費:無料 お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局  [email protected] 講師からのメッセージ: 2001年、私は、近現代における「中心⇔辺境」関係の変遷に着目し、共に「帰属変 更」という特殊な経験をもつ台湾、香港、沖縄において出現したアイデンティティの ダイナミズムに、「辺境東アジア」という概念を提出して説明した。興味深いこと に、この3つの「辺境」地域はいずれも2014年において「中心」に対して再び激しい 反発とアイデンティティの躍動を見せている。今回のSGRAカフェでは、「中国の台 頭」という新しい時代を迎えるなか、なぜ台湾と香港では「ひまわり」と「あまが さ」という若者中心の市民運動がそれぞれ起きたのか、変化する台湾と香港の若者の アイデンティティと彼らの新しい中国観についてお話しします。 ------------------------------ <林 泉忠 John Chuan-Tiong LIM> 台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国際政治学専攻。2002年東京大学より博士号 (法学)を取得、琉球大学法文学部准教授、またハーバード大学フェアバンク・セン ター客員研究員などを歴任。2012年より現職。著作に『「辺境東アジア」のアイデン ティティ・ポリティクス:沖縄・台湾・香港』(単著、明石書店、2005年)。 ------------------------------ 【3】第49回SGRAフォーラムへのお誘い(再送) 下記の通りSGRAフォーラムを開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご 所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。SGRAフォーラムはどなたにも参加 していただけますので、ご所属のメーリングリスト等で宣伝をお願いいたします。 テーマ:「日本研究の新しいパラダイムを求めて」 日時:2015年7月18日(土)午前9時30分〜午後5時 会場:早稲田大学大隈会館 (N棟2階 201、202号室) http://www.waseda.jp/somu-d2/kaigishitsu/#link7 参加費:無料 使用言語:日本語 お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局  [email protected] ◇フォーラムの趣旨 渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)は、2014年8月にインドネシア・バ リ島で開催した第2回アジア未来会議において、円卓会議「これからの日本研究:学 術共同体の夢に向かって」を開催した。この円卓会議に参加したアジア各国の日本研 究者、特にこれまで「日本研究」の中心的役割を担ってきた東アジアの研究者から 「日本研究」の衰退と研究環境の悪化を危惧する報告が相次いだ。 こうした状況の外的要因として、アジア・世界における日本の国際プレゼンスの低下 と、近隣諸国との政治外交関係の悪化が指摘されている。一方では東アジアの日本研 究が日本語研究からスタートし、日本語や日本文学・歴史の研究が「日本研究」の主 流となってきたことにより、現代の要請に見合った学際的・統合的な「日本研究」の 基盤が創成されていないこと、また各国で日本研究に関する学会が乱立し、国内のみ ならず国際的な連携を図りづらいこと、などが内的要因として指摘されている。 今回のフォーラムでは、下記の4つのテーマを柱とした議論を行い、東アジアの「日 本研究」の現状を検討するとともに「日本研究の新しいパラダイム」を切り開く契機 としたい。 1.東アジアの「日本研究」の現状と課題、問題点などの考察 2.アジアで共有できる「公共知」としての「日本研究」の位置づけ及び「アジア研 究」の枠組みの中での再構築 3.「アジアの公共知としての日本研究」を創成するための基盤づくりと知の共有の ための基盤づくり、国際研究ネットワーク/情報インフラの整備等の構想 4.日本の研究者、学識者との連携と日本の関係諸機関の協力と支援の重要性 詳細は下記リンクをご覧ください。 http://goo.gl/5xYAie ************************************************** ● SGRAカレンダー ○第4回SGRAワークショップin蓼科 (2015年7月4日〜5日)<参加者募集中> http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2015/3137/ ○第7回SGRAカフェ 「中国台頭時代の台湾・香港の若者のアイデンティティ」 (2015年7月11日東京)<参加者募集中> http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2015/3240/ ○第49回SGRAフォーラム 「日本研究の新しいパラダイムを求めて」 (2015年7月18日東京)<参加者募集中> http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2015/3144/ ★☆★第3回アジア未来会議 (2016年9月29日〜10月3日、北九州市)<論文(要旨)募集中> http://www.aisf.or.jp/AFC/2016/ 奨学金・優秀論文賞の対象となる論文(要旨)の投稿締め切りは2015年8月31日で す。 一般の論文・小論文・ポスター(要旨)の投稿締め切りは2016年2月28日です。 ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来に ついて語る<場>を提供します。 ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員 のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読 いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●自動登録および配信解除は下記リンクから行えます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/entry/mailing_form/ ● エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ● 配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務 局より著者へ転送します。 ● 皆様のエッセイを募集しています。SGRA事務局へご連絡ください。 ● SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただ けます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/date/2015/?cat=11 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3−5−8 渥美国際交流財団事務局内 電話:03−3943−7612 FAX:03−3943−1512 Email: [email protected] Homepage: http://www.aisf.or.jp/sgra/ **************************************************