SGRAメールマガジン バックナンバー
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SIM ChoonKiat “The Hard Journey of an Active Singaporean in Pushing Active Learning at Japanese Universities”
2019年4月4日 12:03:00
********************************************* SGRAかわらばん765(2019年4月4日) ********************************************* SGRAエッセイ#592 ◆シム・チュンキャット「アクティブなシンガポール人が日本の大学でアクティブラーニングを進める奮闘記」 「僕はアクティブな人間です」と宣言したら、恐らく異を唱える人はいないでしょう。小学校ではマーチングバンド兼室内吹奏楽部のコルネット担当で、中高時代になると炎天下のシンガポールではマーチングバンドを続けるのがさすがに辛いということもあって、また劇場なら冷房が必ず効いているという理由で、今度は一変して演劇部の俳優・脚本担当・演出担当などを、日本の大学へ留学するまでずっとやっていました。留学後も国家公務員の仕事の傍ら演劇界に復帰し、再び日本の大学院に再留学するまでセミプロとして年2回ぐらいシンガポールの国立劇場などで長年舞台に立っていました。そのような隠れた(?)過去があることから、今でもステージや人前に立つと、自ずと姿勢を正したうえで声を張り上げたり注目を集めたり主役や主賓を立てたりする僕がいます。そして、演劇をやめて久しい今となっては、大学の教壇が僕のステージなのです。 さて、僕の新しいステージとしての日本の大学の教壇なのですが、それはそれはシンガポールで経験したものと雲泥の差がありました。何と言ってもオーディエンスの学生の反応が薄い、というか、能面をかぶっているかと思えるぐらいウンともスンとも言わない場合もあるのです。もちろん、学士・修士・博士の教育課程を、全部加算したら10年以上も日本の大学で授業を受けてきた僕ですから、日本人学生の「インアクティブさ」はとっくの昔に承知済みです。日本国内の最高学府と言われる東大大学院でさえ授業中に活発な議論が飛び合うことはほとんどありません。 日本人の奥ゆかしさを身をもって表現したいのか、もしくは自分の発言でバカだと思われたくないのか、はたまた実は何も考えていないのかは定かではありませんが、とにかく沈黙は金なりということで日本の大学の教室はとかくギンギラギンにさりげなく静かなのです。日本の文科省が学校や大学に対してアクティブラーニング、つまり「グループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワークなどによる課題解決型の能動的学修」を展開しなさい、と声高に唱え続けている所以がここにあります。 文科省に促されるまでもなく、そもそもアクティブな僕が能面の学生をそのまま放っておくはずはありません。というより、長年舞台の上で活躍してきた自分のプライドが許さないのかもしれません。ただ、相手も長年指定席の硬い椅子に座ったまま一方通行の学校教育を受けてきた学生であるゆえに、並大抵なことではその固い口を開かせることはできません。そこで、多くの大学教員がやるように、最初は授業後にリアクションペーパーにコメントを書かせることにしました。ただし、日本人学生が書きがちな「○○を初めて知ってびっくりした」「驚いた」「勉強になった」「面白かった」「楽しかった」など小学生並みの感想は禁止、減点の対象にし、質問、疑問、反論を書くように求めました。 そのうえ、次の授業で良いコメントを幾つかパワポで発表し、更なる議論の材料にしました。そうしたら、多くの学生は自分のコメントが次の授業で取り上げられることを目指して一生懸命書くようになったため、この方法は意外と功を奏したわけです。なんだ、皆言いたいことがちゃんといっぱいあるではないか、だったらこの場で言い合おうよと思った僕は、今度はマイクを直接に学生の口の前に持っていくことにしました。なぜなら、リアクションペーパーを書かせることはリアクティブラーニング、即ち反動的学修であって、能動的学修を目標とするアクティブラーニングではないと僕は考えたからです。 当然のことながら、マイクを向けられて顔を背ける学生、緊張してしまって何も喋れない学生や的外れな発言をする学生が続出しました。そこはもう即興演劇のように、どのような回答や反応が返ってきてもうまく受け止めて、どんな発言や応答でも大丈夫だよ~という雰囲気を作り上げながら、議論の本題につなげていくしかありません。だからこそ、教員がひたすら話すような一方通行の授業よりアクティブラーニングのほうが数段も難しいのです。しかしここで強調しておきたいのは、ディスカッションを行えばいい、学生が何か喋ればいいということでもありません。専門的な理論や知識に基づいて実のある議論が展開されないと、ただお互いに自分の考えを述べて終わりという意見交換的なパターンになりかねません。それではどうすればいいのか、このことについて紙面上で説明するのは簡単ではありません。演劇を通じて培われてきたノウハウが今大学の教壇というステージで活かされているとだけ言っておきましょう。 一方、数年前から、実のある議論があったとしても、話題を提供するのが教員の僕だけでいいのか、ググったらたくさんの情報が簡単に入手できるこの時代において教材を教員が一々用意するのは果たして必要なのか、などの疑問が僕の中で芽生えました。そこで幾つかの授業では、シラバスにおいてだいたいの流れは教員の僕が定めるとして、例えば「社会問題概観」の授業でどの課題を取り上げて問題提起するのか、あるいは「現代社会論」の講義でどの国のどの課題について発表するのかなど、具体的なテーマはすべて学生に決めてもらうことにしました。それから、発表するときは、間違えることを恐れているのか政治家や公務員までを含む多くの日本人が好む原稿読み上げスタイルはもちろん禁止、減点の対象になります。学生の主体性に任せると言って、これで僕の仕事が楽になったと思うことなかれ。どのようなテーマが選ばれようと対応できるようにしなければならないために、より広く深く準備することが重要となり、むしろ教員の僕がまず超アクティブになることが前提なのです。 さらにコンピュータ室で行われる授業では、もともと教科書を指定したことがない僕は、今度は講義資料を配ることもやめました。というよりは、講義自体をやめました。主な課題だけを出して、あとは学生がネットから信頼できる情報を集めて、新たな課題を発見しながら自分に一番適した教科書を作ればいいと判断したからです。一人で取り組んでもいいし、グループでわいわい話しながら資料をまとめていってもいいということにしました。僕はというと、教室内を歩き回りながら、良い資料を自分の言葉で整理した学生のことを皆の前で褒めたり、逆に理解もせずにネットからウソを含む情報をただコピペした学生には質問を投げかけたりします。簡単に想像できると思いますが、このような授業では教員がより忙しくなることは言うまでもありません。 紙幅の関係で僕の「奮闘記」をここで全部記すことはできませんが、嬉しいことに以上述べてきた授業スタイルに対する学生の評価が高かったりするのです。そのような授業を受けることによって学生も確実に変化していきます。多くの日本人学生が「インアクティブ」になってしまっているのは、長年の学校教育で慣らされてきたせいであって、国民性とか民族気質とかとは何ら関係ないと僕は考えます。一方通行の講義より、協働型・双方向型の授業が学生の興味関心をより引き起こすに決まっています。なぜなら、授業というのは教員と学生とが一緒に作り上げていくものになるべきだからです。 今年の9月から、米国ペンシルベニア州立テンプル大学の日本校が僕の勤務校のキャンパスに移転してきます。日米のキャンパスが同一敷地内に置かれるのは日本では初めてのことで、外国人大学生の増加だけでなく何より授業への男子学生の参加が見込まれる中で、僕の「奮闘」もさらにヒートアップしていきそうで、今からワクワクしている次第であります! <Sim_ChoonKiat シム・チュンキャット> シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。昭和女子大学人間社会学部・現代教養学科准教授。SGRA研究員。主な著作に、「選抜度の低い学校が果たす教育的・社会的機能と役割」(東洋館出版社)2009年、「論集:日本の学力問題・上巻『学力論の変遷』」第23章『高校教育における日本とシンガポールのメリトクラシー』(日本図書センター)2010年、「現代高校生の学習と進路:高校の『常識』はどう変わってきたか?」第7章『日本とシンガポールにおける高校教師の仕事の違い』(学事出版)2014年、「東アジアにおける中等教育の大衆化:歩みを比較して(英文)」(New_York:Routledge)2019など。 ********************************************* ★☆★SGRAカレンダー ◇第5回アジア未来会議「持続的な共有型成長:みんなの故郷みんなの幸福」 (2020年1月9日~13日、マニラ近郊)<論文(発表要旨)募集中> ※奨学金・優秀賞の対象となる論文の募集は締め切りました。一般論文の投稿(発表要旨)は6月30日まで受け付けます。 http://www.aisf.or.jp/AFC/2020/call-for-papers/ アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ★☆★お知らせ ◇「国史たちの対話の可能性」メールマガジン(日中韓3言語対応)を開始! SGRAでは2016年から「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」円卓会議を続けていますが、関係者によるエッセイを日本語、中国語、韓国語の3言語で同時に配信するメールマガジンを開始しました。毎月1回配信。SGRAかわらばんとは別にお送りしますので、ご興味のある方は下記より登録してください。 http://www.aisf.or.jp/sgra/research/kokushi/ ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/sgra/ ●SGRAは、渥美財団の基本財産運用益と法人・個人からの寄附金、諸機関から各プロジェクトへの助成金、その他の収入を運営資金とし、運営委員会、研究チーム、プロジェクトチーム、編集チームによって活動を推進しています。おかげさまで、SGRA の事業は発展しておりますが、今後も充実した活動を継続し、ネットワークをさらに広げていくために、皆様からのご支援をお願い申し上げます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/kifu/ 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 (公財)渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ ********************************************* -
Song Han “Some Impressions about the Era Name”
2019年3月28日 12:28:28
********************************************* SGRAかわらばん764号(2019年3月28日) ********************************************* SGRAエッセイ#591 ◆宋晗「元号雑感」 このエッセイを執筆している2019年3月の時点で、巷では元号選定がトピックの一つである。改元の社会に及ぼす影響は色々とあるようだが、漢文学を専門としている筆者からすれば、日本の古典からの出典を検討、とのニュースが興味深い。中国の古典を出典とするのが元号選定の慣例だが、今回は『古事記』や『日本書紀』からの引用も俎上にのぼっているとのこと。ネットを見る限りではなかなかに活発な議論を引き起こしている。やれ、『古事記』や『日本書紀』は漢籍をベースにして漢文で編纂された史書なので、この二つの古典から引用しても結局は漢籍由来になってしまうので不毛。やれ、そんな細かいことはどうでもいいから日本の古典から引用しろ。――日本文化の独自性が争点のようである。元号選定は日本の問題であり、外国人の筆者がしゃしゃり出る幕はない。出る幕はないのだが、元号は中国由来の文化制度なので、雑感を述べたいと思う。 そもそも元号は、今の私達が当たり前のように使っている西暦と同じように、年数を計算するための紀年法の一種である。清代の歴史家・趙翼の考証によれば、漢の武帝が紀元前140年に制定した「建元」が中国最古の元号であり(『二十二史札記』)、ということは東アジア最古の元号ということにもなる。漢の武帝といえば、中国史上屈指の専制君主であり、武帝の治世下で統一帝国としての漢王朝の支配体制が確固たるものになったとされている。元号を話題にしているのに本筋からずれた話をしているように思われるかもしれないが、実は大いに関わりがある。ちょうど紀元前45年にユリウス暦がカエサルによって制定されたように、古代国家は領土(=空間)だけではなく、時間をも支配する。それも当然のことで、当時の農民にとって農事を計画的に行うための暦が必要不可欠であり、古代の世界では国家だけが毎年の暦を計算し布告する技術力を持っていた。つまり、元号は統一帝国の時間に対する支配権を象徴する制度だった。 古代中国社会における元号の政治的意味は、三国時代を例とするとわかりやすい。英雄・曹操の後継者である曹丕は後漢最後の皇帝の献帝から帝位を譲り受け(禅譲という)、魏王朝を創始した。曹丕は帝位に即くにあたって元号を「黄初」としたのだが、魏に対抗する呉の孫権は後漢王朝を正統と仰ぎ、献帝の元号である「建安」を使用し続けたのが、出土文献によって明らかとなっている。つまり、孫権は魏王朝の支配権を認めなかったのである。このケースを応用するとすれば、古代東アジアにおいて独自の元号をもつことが独立国家としての表明に等しかった。例えば東アジアにかつて存在していた高句麗・高昌・新羅といった古代国家は独自の年号をもっていた。 だいぶ遠回りしてしまったが、日本の元号に話を戻す。日本最古の元号は、大化の改新で知られる孝徳天皇の「大化」である。当時の首脳陣は元号の意味を精確に理解していたであろうから、この時に日本は独立国家としての立場を内外に表明したと考えられる。以降、短期間の断絶を挟みながら、元号は現代まで日本に生き続けている。このような歴史的経緯をふまえた上で、今の元号選定問題を考えると、やはり興味深い。古代においては漢籍から引用された元号を持つのが独立国家としての意思表示だったが、今や漢籍を出典とすること自体が日本文化の独自性の観点上、一部の有識者から不都合だと思われている。してみると、時を経ても不変と認識されがちな文化の独自性というものも、結局は時々の価値観次第でいかようにも変わるのである。それは元号だけに、日本だけに限った話ではない。どの国の文化にも言えることだろう。 もっとも自分自身が、そして自分の所属する共同体、社会、国家が、本質的に独創的であることを望まない人間はいない。口先ではどうとでもこの主張に反論できるが、ふとしたきっかけでナショナリスティックな態度を人は見せるもの(筆者もまたしかり)。ただ、文化の独創性をつきつめると、文明の揺籃であるイラク・シリア・エジプトあたりが最もオリジナリティがある、ということになりはしないか。いや、人類が誕生したアフリカではないのか。こう考えてみると、なんとも味気ない議論である。味気ないついでに、芥川龍之介がぼやいたようにぼやいてみよう。文化は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。しかし重大に扱わなければ危険である。 <宋晗(そう・かん)Song_Han> 2017年度渥美奨学生。2018年東京大学大学院人文社会系研究科博士号取得(文学)。現在、フェリス女学院大学文学部日本語日本文学科助教。専門は平安朝漢文学を中心とする日中比較文学研究。 ********************************************* ★☆★SGRAカレンダー ◇第5回アジア未来会議「持続的な共有型成長:みんなの故郷みんなの幸福」 (2020年1月9日~13日、マニラ近郊)<論文(発表要旨)募集中> ※奨学金・優秀賞の対象となる論文の募集は締め切りました。一般論文の投稿(発表要旨)は6月30日まで受け付けます。 http://www.aisf.or.jp/AFC/2020/call-for-papers/ アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ★☆★お知らせ ◇「国史たちの対話の可能性」メールマガジン(日中韓3言語対応)を開始! SGRAでは2016年から「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」円卓会議を続けていますが、関係者によるエッセイを日本語、中国語、韓国語の3言語で同時に配信するメールマガジンを開始しました。毎月1回配信。SGRAかわらばんとは別にお送りしますので、ご興味のある方は下記より登録してください。 http://www.aisf.or.jp/sgra/research/kokushi/ ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/sgra/ ●SGRAは、渥美財団の基本財産運用益と法人・個人からの寄附金、諸機関から各プロジェクトへの助成金、その他の収入を運営資金とし、運営委員会、研究チーム、プロジェクトチーム、編集チームによって活動を推進しています。おかげさまで、SGRA の事業は発展しておりますが、今後も充実した活動を継続し、ネットワークをさらに広げていくために、皆様からのご支援をお願い申し上げます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/kifu/ 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 (公財)渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ ********************************************* -
Khin Maung Htwe “From Physicist to Hotel Owner”
2019年3月21日 16:00:17
********************************************* SGRAかわらばん763号(2019年3月21日) 【1】エッセイ:キン・マウン・トウエ「物理学者からホテル経営者へ」 【2】「国史たちの対話の可能性」メールマガジン第2号 村和明「国史間の対話を続ける、深めるために」 ********************************************* 【1】SGRAエッセイ#590 ◆キン・マウン・トウエ「物理学者からホテル経営者へ」 人にはそれぞれの夢があり、その夢が実現できた方もいれば、異なった人生を歩んでいる方もたくさんいます。医者になりたい、エンジニアになりたい、芸術家、学者、ビジネスマン、様々な分野に興味を持ち、その分野に関する技能を磨いて、その世界で有名になろうという夢を持った子供が世界中にたくさんいます。私自身も子供の頃は飛行機のパイロットになりたいと思っていました。ところが今、私は、ミャンマーのピン・ウー・ルウィンという、日本の軽井沢のような高原観光地にあるホテル秋籾(あきもみ)の経営者になっています。 1988年10月にミャンマーから日本へ留学しました。父親はじめ兄弟たちが眼科医の家庭でしたが、私は、医学には興味がありませんでした。パイロットになりたかったけれど両親が反対でした。その結果、マンダレー大学で物理学を専攻し、卒業後に日本へ留学することになりました。留学中、旅行や学会発表、ゼミ合宿などの様々な機会で日本各地を訪れることができ、日本国内でもそれぞれの土地で異なった景色や文化を体験し、様々な日本食文化を楽しみました。 1970年代、私が子供の頃にミャンマー国内を旅行をした時には、ホテルや民宿ではなく、親戚の家や別荘、あるいは父親の仕事の関係で国営の招待所などで泊まることが多かったのです。当時、ホテルは外国人旅行者たちが使用することが殆んどでした。高校卒業後にカローと言う高原観光地へ行った時に、イギリス時代に創られたカローホテルに泊まったのが、私とホテルの出会いです。カローの町は、イギリス植民地時代に夏の別荘地があったところで、パインヒル(松山)とも呼ばれています。今でも外国人、特に欧米からの観光客が多く、トリップアドバイザーではトレッキング等で有名な町です。恋人との初めての出会いのように、ホテルで泊まった時の気持ち、部屋の準備や朝食の味、良い空気やイギリス植民地スタイルの環境などは、私の人生で忘れられない思い出になりました。しかしながら、その後カローに何回も行き、このホテルに泊まりたいと思いましたが、まさかホテルの経営者になるとは夢にも思いませんでした。 1997年に早稲田大学理工学研究科から博士号を取得し、応用物理学科で助手を1年間勤めた後ミャンマーへ帰国しました。帰国後は「物理学者」と言う立場はなくなり、「経営者」として日本で経験した様々な分野から応用できることをミャンマーのために実現してきました。「研究者」であった留学時代と同様に、ミャンマー帰国後は「工学博士の海老漁師」、「科学的な農家」、そして「異文化と環境保全を考慮したホテル経営者」として頑張っています。 私には現在の日本より、昔の日本のイメージが心に残っています。建造物にしても、伝統的な木造技術を駆使した建物に最も興味を惹かれます。ホテル秋籾を建てた時、日本のイメージを表したいので日本の伝統的な木造建築に造詣が深い70歳代の日本人建築家にお願いして、約2年間かけて私の夢の日本イメージを表現しました。日本食レストランは勿論、大浴場、屋台などの日本のイメージをミャンマーにある物を利用しながら再現しました。さらに、日本で経験した最高のサービス、最高の技術の移転を目指しました。その結果、今では宿泊した多くのお客様から「小さな日本人村」と評価されています。 国際的な評価として、トリップアドバイザーでは4~4.5/5、Booking.comでは8.3~8.7/10、Agodaでは8.0/10をいただいています。また、2018年1月には、ASEAN_Green_Hotel_Standard_Awardを受賞しました。この賞にはミャンマーの全ホテルの中から5つのホテルが選ばれ、ホテル秋籾はその中でトップでした。 新しいことに何でも挑戦できる自信、成功するまで続ける努力、お客様の反応を大切にする心、自分の仕事に関連することは常に調査することなどが「物理学者からホテル秋籾の経営者」になった人生の大きな自負です。 ホテルに関する情報は下記リンクをご覧ください。 https://akimomi-mm.book.direct/ https://www.youtube.com/watch?v=PY17CmpGFYs&feature=youtu.be https://www.facebook.com/Hotel-AKIMOMI-1568086390113627/ <キン・マウン・トウエ ☆ Khin Maung Htwe> ホテル秋籾創設者、オーナー。ミャンマーのマンダレー大学理学部応用物理学科を卒業後、1988年に日本へ留学、千葉大学工学部画像工学科研究生終了、東京工芸大学大学院工学研究科画像工学専攻修士、早稲田大学大学院理工学研究科物理学および応用物理学専攻博士、順天堂大学医学部眼科学科研究生終了、早稲田大学理工学部物理学および応用物理学科助手、Ocean_Resources_Production社長を経て、ホテル秋籾を創設。SGRA会員。 -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- 【2】「国史たちの対話の可能性」メールマガジン第2号を配信しました。 ◆村和明「国史間の対話を続ける、深めるために」 https://us20.campaign-archive.com/?u=8a804637298104d9c09f6d173&id=23ae8c16c3 SGRAでは2016年から「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」円卓会議を続けていますが、関係者によるエッセイを日本語、中国語、韓国語の3言語で同時に配信するメールマガジンを開始しました。これから毎月1回配信する予定です。SGRAかわらばんとは別にお送りしますので、ご興味のある方は下記より登録してください。 ◇国史メルマガ購読希望の方は下記リンクから登録してください。 https://aisf.us20.list-manage.com/subscribe?u=8a804637298104d9c09f6d173&id=3d099d9147 ◇国史メルマガ第1号:金キョンテ「第3回国史たちの対話の可能性円卓会議報告」 https://mailchi.mp/051d2debf452/sgra-kokushi-email-newsletter-1?e=d44a2344b3 ********************************************* ★☆★SGRAカレンダー ◇第5回アジア未来会議「持続的な共有型成長:みんなの故郷みんなの幸福」 (2020年1月9日~13日、マニラ近郊)<論文(発表要旨)募集中> ※奨学金・優秀賞の対象となる論文の募集は締め切りました。一般論文の投稿(発表要旨)は6月30日まで受け付けます。 http://www.aisf.or.jp/AFC/2020/call-for-papers/ アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ★☆★お知らせ ◇「国史たちの対話の可能性」メールマガジン(日中韓3言語対応)を開始! SGRAでは2016年から「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」円卓会議を続けていますが、関係者によるエッセイを日本語、中国語、韓国語の3言語で同時に配信するメールマガジンを開始しました。毎月1回配信。SGRAかわらばんとは別にお送りしますので、ご興味のある方は下記より登録してください。 http://www.aisf.or.jp/sgra/research/kokushi/ ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/sgra/ ●SGRAは、渥美財団の基本財産運用益と法人・個人からの寄附金、諸機関から各プロジェクトへの助成金、その他の収入を運営資金とし、運営委員会、研究チーム、プロジェクトチーム、編集チームによって活動を推進しています。おかげさまで、SGRA の事業は発展しておりますが、今後も充実した活動を継続し、ネットワークをさらに広げていくために、皆様からのご支援をお願い申し上げます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/kifu/ 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 (公財)渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ ********************************************* -
Tsunoda Eiichi “SGRA Forum 62 Report”
2019年3月14日 15:55:50
********************************************* SGRAかわらばん762号(2019年3月14日) 【1】SGRAフォーラム「再生可能エネルギーが世界を変える時?」報告 【2】新刊紹介:尹ジンヒ「現代韓国を生きる若者の自立と親子の戦略」 ********************************************* 【1】角田英一「第62回SGRAフォーラム・APYLP+SGRAジョイントセッション」報告 ◆「再生可能エネルギーが世界を変える時…?-不都合な真実を超えて」 2019年2月2日、東京・六本木の国際文化会館で、第62回SGRAフォーラム・APYLP+SGRAジョイントセッション「再生可能エネルギーが世界を変える時…?-不都合な真実を超えて」が開催された。このフォーラムは、国際文化会館がアジア太平洋地域の若手リーダー達を繋ぐことを目的として組織し、SGRAも参加する、「アジア太平洋ヤングリーダーズ・プログラム(APYLP)」とのジョイントセッションとして開催された。 今回のフォーラムは、2015年のCOP21・パリ協定以降、急速に発展しつつある「再生可能エネルギー」をテーマとして、その急速な拡大の要因や将来の予測を踏まえて「再生可能エネルギー社会実現の可能性」を国際政治・経済、環境・技術(イノベーション)、エネルギーとコミュニティの視点から、多元的に考察することを目的とした。 フォーラムで行われた、研究発表と基調講演を概観してみよう。 午前中のセッションは、120名の会場が満杯となる盛況の中、デール・ソンヤ氏(一橋大学講師)の司会、今西淳子氏(渥美国際交流財団常務理事・SGRA代表)の挨拶で始まった。 第1セッションでは、3名のラクーン(元渥美奨学生)の研究発表が行われた。トップバッターの韓国の朴准儀さん(ジョージ・メイソン大学兼任教授)は、「再生可能エネルギーの貿易戦争:韓国のエネルギーミックスと保護主義」の発表を行い、専門の国際通商政策の視点から文在寅政権の野心的すぎる環境政策、中国の国策の大量生産による市場独占、アメリカの保護主義政策などを分析しながら、韓国の太陽電池生産の衰退を取り上げ、再生可能エネルギービジネスが大きく歪められている現状に警鐘を鳴らし、政策転換の必要性を力説した。 第2の発表は、高偉俊氏(北九州市立大学教授)による「中国の再生可能エネルギー政策と環境」。中国の環境問題を概観した上で、深刻な環境汚染を克服するために「再生可能エネルギーへの転換が必要だ」と訴え、政府主導で中国国内や外国で展開される中国製大規模プロジェクトを紹介したが、一方で、中国は大規模プロジェクトに傾斜せず、きめ細かな環境政策が必要であると強調した。第3の発表は、葉文昌氏(島根大学准教授)の「太陽電池発電コストはどこまで安くなるか?課題は何か?」で、PVの独自のコスト計算を披露しながら、太陽光発電コストを削減するための様々なイノベーションの可能性を示した。その上で、発電と同時に蓄電のイノベーションの必要性を訴えた。 春を思わせる陽光の下、庭園で行われたコーヒーブレイク後の第2セッションでは、原発被害からの復興と地域の自立のために「再生可能エネルギー発電」を新しい地域産業に育てようと試みる福島県飯舘村の事業が紹介された。まず、飯舘村の村会議員佐藤健太氏が、2011年3月11日の福島第一原発事故による被害と昨年まで7年間の避難生活を振り返りながら、飯舘村の再生、新しい地域づくりの核に「再生可能エネルギー発電」を取り上げる意義と将来のヴィジョンを語った。次に登壇した飯舘電力の近藤恵氏は、既に飯舘村内で実施中のコミュニティレベルの小規模太陽光発電プロジェクトなどの取組を紹介すると共に、現在の日本国内の規制、制度の下での地域レベルの発電システム拡大の難しさを語った。 午後のセッションは、2本の基調講演と分科会でのディスカッションが行われた。 1本目の基調講演はルウェリン・ヒューズ氏 (オーストラリア国立大学准教授)の「低炭素エネルギー世界への転換と日本の立ち位置」。この講演の中でヒューズ氏は、低炭素エネルギーへの転換の世界的な流れを概観し、気候変動対策等を重要な政策とかかげ、低炭素エネルギーの振興を語りながらも、明確な指針が定まらない日本のエネルギー政策を多様なデータを用いながら解説した。 これに対して2本目の基調講演者ハンス=ジョセフ・フェル氏(グローバルウォッチグループ代表、元ドイツ緑の党連邦議員)は「ドイツと世界のエネルギー転換とコミュニティ発電」の中で、1994年に世界初の太陽光発電事業者コミュニティを設立し、ドイツ連邦議会の一員として再生可能エネルギー法(EEG)の法案作成に参画、その後世界の再生可能エネルギーの振興に取り組んできた経験を紹介しながら、「Renewable_Energy_100」のスローガンの下に、再生可能エネルギー社会の実現を訴えた。 午前中の5本の発表、午後の2本の基調講演の後、講演者、参加者が「国際政治経済の視点から」、「環境・イノベーションの視点から」、「コミュニティの視点から」の3分科会に別れて、熱い議論が展開された。 今回のフォーラムは、一日で「再生可能エネルギー社会実現のための課題と可能性」を探ろうという試みであり、さまざまな分野の多くのトピックスが取り上げられ、また様々な疑問、問題点も提起された。これらの議論を消化することは、容易ではないことを改めて感じさせられた。 フォーラム全体を通じて私が感じたのは、まず、「世界の脱炭素化、再生可能エネルギー社会に向かう傾向は後戻りできない現実、あるいは必然であろう」という認識が講演者だけでなく会場全体で共有されていたことである。 しかし、すべてが楽観的に進行して行くとは思えないことも、発表の中で明らかになった。また、分科会でも、各国、各分野がさまざまな課題を抱えていることが指摘されたし、このフォーラムで必ずしも疑問点が解消されたと言うこともできない。 例えば、地球温暖化の影響で顕在化する気候変動、資源の枯渇などを考えれば再生可能エネルギー社会(脱炭素エネルギー社会)への転換は、地球社会が避けて通ることができない喫緊の課題である。しかしながら、グローバルなレベルで大資本が参入し、化石燃料エネルギーから自然エネルギーに転換したとしても、地球環境問題は改善されるであろうが、大量消費文明を支える大規模エネルギーの電源が変わるだけで、大量生産大量消費の文明の本質は変わらないのではなかろうか、という疑問に対しての答えは得られなかった。 また、分科会では、巨大化するメガソーラが景観や環境を破壊するとして、日本でもヨーロッパでも反対運動が生まれていること、太陽光パネルの製造過程で排出される環境汚染物質などの問題も提起された。 FIT((売電の)固定価格買い取り制度)がもたらす、買い取り価格の低下による後発参入が不可能となる問題、財政が圧迫する(ドイツの事例による)などの問題点。蓄電システムなど技術的なイノベーションの必要性なども議論された。 当然のことながら、こうした地球社会の未来にもかかわる大きなテーマに簡単な解や道が容易に導き出されるとは思えないし、安易な解答、急いで解答を求める姿勢こそ「要注意」だと思える。 様々な課題や困難があろうが、再生可能エネルギー社会が世界に普及、拡大して行く傾向は、ますます大きな流れとなることは、間違いのない現実だろう。 ここで思い起こされるのが、このフォーラムのサブタイトルである「『不都合な真実』を超えて」というフレーズである。これは、アメリカ元副大統領アル・ゴアが地球環境問題への警鐘として書いた本のタイトルである。 大きな力強い流れがおこっている中では、流れに逆らう「不都合な真実」はともすれば語られず、秘匿される。 「再生可能エネルギー」の議論の中でも、福島第一原発事故においても、さまざまな「不都合な真実」が語られず、秘匿されてきたことが明らかになっている。 再生可能エネルギーの普及に向けた市民のコンセンサスのために、そして科学技術信仰のあやまちを繰り返さないためにも、さまざまな「不都合な真実」を隠すことなく、軽視することなく、オープンにして市民レベルでの議論を繰り返して行くことが求められる。 フォーラムの写真は下記リンクよりご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/photo-gallery/2019/12572/ 《角田英一(つのだ・えいいち)TSUNODA Eiichi》 公益財団法人渥美国際交流財団理事・事務局長。INODEP-パリ研修員、国連食料農業機関(バンコク)アクション・フォー・デヴェロプメント、アジア21世紀奨学財団を経て現職。 -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- 【1】 新刊紹介 SGRA会員で同志社大学准教授の尹ジンヒさんより新刊著書をご寄贈いただきましたのでご紹介します。 ◆尹ジンヒ「現代韓国を生きる若者の自立と親子の戦略―文化と経済の中の親子関係―」 急速な社会変動を経験した韓国社会における若者の自立の困難とその背景にある親子関係を描き出し、新たな家族社会学理論により分析検討。家族政策に関する現実的な支援の方途や政策的な提言を可能にするための基礎的研究。 著者:尹ジンヒ著 発行所:風間書房 発行年月日:2019年02月20日 頁数:272頁 判型:A5 ISBNコード:978-4-7599-2267-7 詳細は下記リンクをご覧ください。 https://www.kazamashobo.co.jp/products/detail.php?product_id=2285 ********************************************* ★☆★SGRAカレンダー ◇第5回アジア未来会議「持続的な共有型成長:みんなの故郷みんなの幸福」 (2020年1月9日~13日、マニラ近郊)<論文(発表要旨)募集中> ※奨学金・優秀賞の対象となる論文の募集は締め切りました。一般論文の投稿(発表要旨)は6月30日まで受け付けます。 http://www.aisf.or.jp/AFC/2020/call-for-papers/ アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ★☆★お知らせ ◇「国史たちの対話の可能性」メールマガジン(日中韓3言語対応)を開始! SGRAでは2016年から「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」円卓会議を続けていますが、関係者によるエッセイを日本語、中国語、韓国語の3言語で同時に配信するメールマガジンを開始しました。毎月1回配信。SGRAかわらばんとは別にお送りしますので、ご興味のある方は下記より登録してください。 http://www.aisf.or.jp/sgra/research/kokushi/ ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/sgra/ ●SGRAは、渥美財団の基本財産運用益と法人・個人からの寄附金、諸機関から各プロジェクトへの助成金、その他の収入を運営資金とし、運営委員会、研究チーム、プロジェクトチーム、編集チームによって活動を推進しています。おかげさまで、SGRA の事業は発展しておりますが、今後も充実した活動を継続し、ネットワークをさらに広げていくために、皆様からのご支援をお願い申し上げます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/kifu/ 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 (公財)渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ ********************************************* -
KABA Melek “Suriyeliler – New Turkish Word and its Implication”
2019年3月7日 15:20:41
********************************************* SGRAかわらばん761号(2019年3月7日) ********************************************* SGRAエッセイ#589 ◆カバ・メレキ「トルコ語の新しい単語『シリア人達』の意味合い」 私の国はトルコ。トルコの日常生活の中で「今日はいい天気ですね」のような会話は少ない。その代わりに政治・経済と宗教という3つの大問題についての議論こそ、人々が飽きることなく話題にし続ける最も重要なもの。この頃「Suriyeliler(シリア人達)」がその議論に仲間入りをした。「シリア人達」という新しい言葉は「シリア難民」「シリア人」「シリアの人」と言った民族的または出身国に関する属性を指す「無邪気な」言葉ではない。その言葉は、道を歩いている時、バスに乗っている時、あるいは大学の授業の時など、様々な場面で耳にする。毎回その言葉が気になって仕方がない。 少し具体的にみると、2011年3月15日からトルコにシリアからの難民が入ってくるようになった。トルコ政府内務省入国管理局によると、現在(2019年2月)は357万人のシリア人が我々トルコ人と一緒に暮らしている。トルコ以外にもヨルダン、レバノン、イラクやヨーロッパ諸国にもシリア難民はいるが、トルコは地理的に近いし、国境を歩いて越えられるという容易さがある。 ただし、数字は人々の日常生活の現実をどの程度語りうるのだろうか。戦争から逃れた人々が、宗教的に親近性があっても文化も言語も異なるトルコ社会に溶け込むのはそう簡単ではない。トルコはオスマントルコ時代から異民族が共に生きる国だと教わった。しかし、今の自分は「私の国の人々は自分とは異なる国の人に対してそれほど寛容なのだろうか」と言う疑問を抱く。 トルコ政府としては様々な形でシリアからの難民を支えようとしている。特に数の多い子供と若者に対して特別学校が設けられたり、学校の先生に対して難民の子供の教育についての講習があったり、大人向けのトルコ語講座や就職サポートが行われたりしている。しかし日常生活の中でシリア人に対するトルコの人々の眼差しには少し疑問を抱かされる。 教室で「『シリア人達』はトルコの大学に試験なしに無条件で入れるみたいですよ。不平等!こっちはずっと受験勉強してるのに」とある大学生が言った。調べてみたらシリア難民は他の留学生と同じ手続きやトルコ語能力試験の点数で入学できることになっていた。大学入学試験を受けずにシリア難民を受け入れる大学もいくつかあったが、その数はとても少なかった。 ある日、近所の年金生活者のおばさんが「『シリア人達』は毎月我々より高いお給料をもらっているみたい。なんか嫌よね」と文句。調べてみたら、無職のシリア難民に普通のレストランで5回外食できる程度の給料の支援が毎月あった。ある大きい新聞の見出しに「シリア難民に1300トルコリラの給料」とあった記事を読むと、これは仕事をするシリア難民に毎月払われる最低賃金の定めのことであり、見出しと記事のニュアンスは違っていた。 シリア難民の女性と子供の問題を書くのは心がつらくなる。女性に対する様々な暴力がある。シリアから来た未亡人を第二婦人として迎える事例、売春の問題。一部には登校もしないで働く子供たちもいる。 一方、引越しの手続きをしに水道局へ行ったら、カッパドキアの典型的な民族衣装を着た中年の女性が一生懸命、トルコ語がわからない難民の借りた家の水道の手続きを手伝っていた。近所の人が皆で家具を揃えてその難民一家が住める部屋を作ったそうだ。心が温まる。 経済的に恵まれているシリア難民はトルコでも豊かな生活をしていることは見てすぐにわかる。ただし貧困者の問題はこの先もまだ続くだろう。 最近になって学術論文でも新たなテーマとしてシリアからの難民を取り上げるようになった。ある論文でシリア難民に関して使われている言葉をメディアの中から調べていた。その中で「人身売買」「違法」「犯罪」「伝染病持ち」「売国奴」「物乞い」「子だくさん」が最も頻繁に使われている。こうしたメディアの言説を見ると、ヨーロッパで非ヨーロッパ圏から来た移民や労働者が受けた差別と偏見を思い起こす。例えばトルコは1950年代から多くの出稼ぎ労働者をドイツへ送った。韓国人も同じ目的でドイツに移住した。時代が変わりトルコの人々は「シリア人達」と言う自らの「他者」を作り上げた。「他者」は「いじめることができる、自分が優越感を感じられる」対象である。インド人がイギリス人にとって、そしてアフリカの人々がフランス人にとってそうであったことと同様に「シリア人達」はトルコ人にとって「他者」として機能している。自分は「善」である、なぜなら「悪」は眼前にいる「シリア人達」だから。 トルコ語の新しい単語「シリア人達」にはなぜか慣れることができない。その意味合いはなぜか気になる。隣の国の人々で文化も近いし同じイスラム教徒でもある。万物を愛するイスラムの教えはこの中東ではもうすでに忘却されていることだけは確かである。 <カバ・メレキ KABA_Melek> 渥美国際交流財団2009年度奨学生。トルコ共和国ネヴシェル・ハジュ・ベクタシュ・ヴェリ大学東洋言語東洋文学部助教授。2011年11月筑波大学人文社会研究科文芸言語専攻の博士号(文学)取得。白百合女子大学、獨協大学、文京学院大学、早稲田大学非常勤講師、トルコ大使館文化部/ユヌス・エムレ・インスティトゥート講師を経て2016年10月より現職。 ********************************************* ★☆★SGRAカレンダー ◇第5回アジア未来会議「持続的な共有型成長:みんなの故郷みんなの幸福」 (2020年1月9日~13日、マニラ近郊)<論文(発表要旨)募集中> ※奨学金・優秀賞の対象となる論文の募集は締め切りました。一般論文の投稿(発表要旨)は6月30日まで受け付けます。 http://www.aisf.or.jp/AFC/2020/call-for-papers/ アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ★☆★お知らせ ◇「国史たちの対話の可能性」メールマガジン(日中韓3言語対応)を開始! SGRAでは2016年から「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」円卓会議を続けていますが、関係者によるエッセイを日本語、中国語、韓国語の3言語で同時に配信するメールマガジンを開始しました。毎月1回配信。SGRAかわらばんとは別にお送りしますので、ご興味のある方は下記より登録してください。 http://www.aisf.or.jp/sgra/research/kokushi/ ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/sgra/ ●SGRAは、渥美財団の基本財産運用益と法人・個人からの寄附金、諸機関から各プロジェクトへの助成金、その他の収入を運営資金とし、運営委員会、研究チーム、プロジェクトチーム、編集チームによって活動を推進しています。おかげさまで、SGRA の事業は発展しておりますが、今後も充実した活動を継続し、ネットワークをさらに広げていくために、皆様からのご支援をお願い申し上げます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/kifu/ 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 (公財)渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ ********************************************* -
Park Jonghyuk “Sports Fool”
2019年2月28日 17:38:31
********************************************* SGRAかわらばん760号(2019年2月28日) ********************************************* SGRAエッセイ#587(私の日本留学シリーズ#28) ◆朴ジョンヒョク「スポーツバカ」 韓国の「受験戦争の事情」は日本のメディアでも度々取り上げられている。韓国の大学受験、いわゆる日本でセンター試験に当たるものは「大学修学能力試験」といわれ11月に行われる。毎年警察が出動するという騒ぎも起きる。そのため、韓国が日本以上の学歴重視社会であると認識されている方が多いだろう。これは韓国の失業率に起因すると言われており、いわゆる「よい大学」に合格することが、少なくとも就職するための最初のハードルである。良い大学に合格するために、受験生は早朝から夜遅くまでひたすら勉強のみで毎日を暮らしている。そしてまだ受験生ではない子供でも、複数の塾に通いながら1日中机に向かって生活しているのが大半である。 韓国では、勉学面だけでなく、エリート体育(アスリート)の場面においても事情は変わらない。子供の時からある種目を決め、そのスポーツを本格的に始めたら、プロスポーツ選手になることを目標に人生をそれだけに邁進して生きていく。勉学よりスポーツが優先になる。すなわち、スポーツか学業かどちらかを選ばざるを得ない。 実は、私は後者であった。率直にいえば、前者のような受験の大変さは経験していない。アスリートとして、学生時代にやるべき勉強はさておき、サッカーだけで学生時代を過ごしてきた。私は、プロサッカー選手を目指し、小学生の時から大学1年までサッカーだけをやってきた。当時は、ヨーロッパや日本の部活のようにスポーツと勉学が両立できる環境ではなく、小学校の時から寮で合宿しながらプロサッカー選手を目指して、ひたすらサッカーの練習をしなければならない厳しい環境であった。いわゆる「スポーツバカ」であった。夏休みだけではなく、新学期が始まっても、全国あちこちで大会があったため、大会に出るのが当たり前のことであった。学校の先生には「すみません、サッカー部ですけど…」と一言告げればすべてが許された。授業を受けなくても、宿題なんてしなくても運動部は大会で成績さえ出せればすべてのことが許される環境であった。学生時代に他の学生たちにいつも「サッカー部はいいな。勉強しなくても進学できちゃうんだから…」と言われた。当時は、自分もラッキーだと思っていた。 中学校まではせめてもと午前中の授業は受けさせられた。高校のときは、練習、練習、練習…授業すらも受けず、朝、昼、夜をひたすら練習で費やした。サッカー部は学校の制服も持っていなかった。恥ずかしい話だが、高校3年間このような感じで、真面目に授業を受けたことが1日もない。サッカー部の中には自分のクラスが何組か知らない子もいて、そしてほとんどが自分のクラス担任の先生のお名前も知らなかった。高校1年の秋、全国大会で予選落ちしてしまい、翌日監督は怒りながら「お前ら、授業を受けてこい!」と叫んだ。サッカー部の罰というのは授業を受けさせることであった。制服も持っていない私たちが、背中に「○○高校サッカー部」と書いてあるジャージ姿で、しかもめったに入ったことのない教室に入るなんて…とにかく、みんなが勇気を出してそれぞれの教室に入った。すると驚いたことに、私のクラスに私の机と椅子はなかった。いつも空席なのでその机と椅子は倉庫にしまわれてしまったのである。しかも教室で勉強していた学生たちは、「あの人、誰?誰?」とこそこそ話していた。 ショックだった。同じクラスメートなのに1人も知り合いがいない。恥ずかしくて、どうすればいいのか戸惑った。この時のショックから、私は大学に入ったら授業も受けて、レポートも書いてみたい、勉強のストレスを味わいたい、と熱望するようになった。しかし、大学生になっても授業を受けずにひたすら練習をする環境は全く変わらなかった。ガッカリした。ある日、午後の練習のためにグラウンドに向かっている時だった。キャンパスを横切ってグラウンドまで歩いていくのだが、そこには、授業に遅れたのか腕時計をみながら走る学生、授業が終わったのかノンビリしている学生たち、かっこよく片手には分厚くて難しそうなテキストをもっている学生が目に入った。これが大学のごく普通の風景かもしれないが、私にはまるで別の世界のように見えた。 その時、決心した。スポーツ選手であってもみんなと同じく勉強がしたい。しかし、どちらかの道を選ばなければならなかった。サッカーを続けるか、退部して一般の学生と授業を受けるか。今までできなかった分、より広い世界でたくさんのことを学びたいと強く思うようになった。散々考えたあげく、監督と相談し、10年以上やってきたサッカー部をやめ、新たな出発点に立つことにした。最初は、サッカーをやめても本当にうまくやっていけるのか、全く異なる世界に入って大丈夫なのか、不安でいっぱいだった。しかし、10年以上の時間をサッカーに注いできたことに関して、決して無駄だったと思ったことはない。むしろ、スポーツ選手生活をやってきたからこそ今の自分がいると思う。ただ、あの時、強制的ではなく、そして勉学とスポーツが両立できる環境だったら自分の人生はどう変わっていたのだろう、とずっと思っていた。 結果的に私はプロサッカー選手にはなれなかった。しかし、その時に味わった挫折感は逆に私に勇気を芽生えさせてくれた。その時に新しい道を歩もうとした決断は決して間違っていなかったと思う。そして2010年、大学卒業後に日本へ留学した。その時の決断のおかげで、日本に来て研究することができ、最先端の実験技術を習得することもできた。そして渥美財団の奨学生になる機会にも恵まれた。2018年には医学博士号も取ることができた。 今の時代は、私の時と比べて大分変わったらしい。小学校のサッカー大会は夏休み中や週末に行うことが義務化され、大学生の選手も学業の成績が何点以上とれないと大会に出場できないなどスポーツ先進国システムを真似しつつある。とはいうものの、まだ試合結果重視の昔の方式で行われている所も残存している。 私は現在、運動と脳機能に関する研究を行い、研究成果を学会、論文に随時公表し、総合的に研究者として実績を積んでいくことを希望している。そして将来的には、私のようなスポーツバカの学生たちに、この道の楽しさを教えてあげたい。また、日本での修士・博士課程及びポスドク時に習得した経験や知識を活かして、母国のスポーツ生理学やスポーツ医学分野の発展に貢献したいと強く願っている。 <朴ジョンヒョク(パク・ジョンヒョク)Park Jonghyuk> 渥美国際交流財団2017年度奨学生。韓国出身。韓国の世宗大学体育学科を卒業後、2010年来日。 2013年日本体育大学体育科学研究科にて修士課程を修了し、2018年東京慈恵会医科大学医学研究科にて博士号を取得。現在、日本医科大学スポーツ科学のポスト・ドクター研究員。実験動物を用いて、高強度の走運動が脳、とりわけ認知機能や記憶を司る海馬機能向上に及ぼす影響について研究を行っている。 ********************************************* ★☆★SGRAカレンダー ◇第5回アジア未来会議「持続的な共有型成長:みんなの故郷みんなの幸福」 (2020年1月9日~13日、マニラ近郊)<論文(発表要旨)募集中> ※奨学金・優秀賞の対象となる論文の募集は締め切りました。一般論文の投稿(発表要旨)は6月30日まで受け付けます。 http://www.aisf.or.jp/AFC/2020/call-for-papers/ アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ★☆★お知らせ ◇「国史たちの対話の可能性」メールマガジン(日中韓3言語対応)を開始! SGRAでは2016年から「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」円卓会議を続けていますが、関係者によるエッセイを日本語、中国語、韓国語の3言語で同時に配信するメールマガジンを開始しました。これから毎月1回配信する予定です。SGRAかわらばんとは別にお送りしますので、ご興味のある方は下記より登録してください。 http://www.aisf.or.jp/sgra/research/kokushi/ ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/sgra/ ●SGRAは、渥美財団の基本財産運用益と法人・個人からの寄附金、諸機関から各プロジェクトへの助成金、その他の収入を運営資金とし、運営委員会、研究チーム、プロジェクトチーム、編集チームによって活動を推進しています。おかげさまで、SGRA の事業は発展しておりますが、今後も充実した活動を継続し、ネットワークをさらに広げていくために、皆様からのご支援をお願い申し上げます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/kifu/ 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 (公財)渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ ********************************************* -
Dinu Bajracharya “Culture of Hakama and My Dream”
2019年2月21日 16:19:26
********************************************* SGRAかわらばん759号(2019年2月21日) 【1】エッセイ:ディヌ・バズラチャルヤ「袴の文化と私の夢」 【2】「国史たちの対話の可能性」メールマガジンを開始しました!是非ご購読ください。 日中韓3言語に対応!日本語だけでなく、中国語・韓国語の読者にもご宣伝ください。 ********************************************* 【1】SGRAエッセイ#587(私の日本留学シリーズ#27) ◆ディヌ・バズラチャルヤ「袴の文化と私の夢」 2006年3月18日に初めて留学生として来日してから12年、博士号を取得することができました。長期間の留学生生活から社会に出て、今後は母国で研究と仕事を頑張って行きたいと思います。そこで、この場をお借りして、日本で過ごしたこの12年間を振り返りながら、日本の大切な「袴」の文化と、高校生の頃からの私の夢とその実現についての感想を皆さんと共有したいと思います。渥美財団の研究報告会の「誰にでもわかるようにすることが重要である」ということに留意し、簡単明瞭な文章を心がけました。 私は子どもの頃から学校へ行くのが好きで、就学する年齢ではなくても、姉の代わり、また姉と一緒に学校へ行っていました。当時の公立学校では、1人の教員に対して50~65人の児童が1つのクラスで一緒に学習するのが普通であったため、バレることは無かったのです。勉強に対する私の興味に気付いてくれた父は私を基本就学年齢より1年早く就学させ、無事SLC(10年間の後期中学校)を卒業することができました。 私は子どもの頃、「いつか私も留学して、卒業式には黒い帽子とガウンを着て写真を撮る」と言う夢を持っていました。しかし、高校を卒業後、突然父が亡くなったために経済的な問題に直面し、留学する夢は叶いそうにありませんでした。働きながら経営学部で興味のないマネジメントを学んで卒業しましたが、2006年に偶然日本へ留学する機会がありました。日本は平和で治安の良い国なので、女性一人で留学することに母からも許可を得ることができました。 日本での生活では様々なハードルに直面しました。一番大変だったのは、日本語、ひとり暮らし、食文化の違いでした。日本語について12年経った今振り返ってみると、修士と博士論文を日本語で書いたことは自分でも信じ難いです。また、初めて日本へ来たネパール人に「日本でひとり暮らしをすることは一番安全で楽ですよ」とアドバイスができるようになりました。ところが、12年経っても日本の名物であるお寿司は食べられません。それから、ゴミの分別も未だに苦手です。 以上は、日本で経験した忘れられない思い出です。それとは別に日本へ留学して最高によかったことは、子どもの頃にずっと気になっていた友人の不登校・中退に関する問題の答えを得ることができ、それをテーマにした研究で社会学の博士号を取得できたことです。そして、博士専用のガウンと帽子を着用し、写真を撮る夢も叶えられました。 ここで、読者の皆さんはきっと「なぜ、ネパールの大学の卒業式や日本の修士課程の卒業式でガウンを着なかったのか」という疑問が浮かぶでしょう。ネパールの場合、卒業式はそれぞれのキャンパス別には実施しません。合格の成績を得てから約半年後、国立大学全体の卒業式を一度に実施します。私は卒業式の時にはもう日本へ留学していたため、ネパールの大学の卒業式に参加することができませんでした。日本の学部と修士を卒業したときも、亜細亜大学では、袴かスーツが普通でした。実は袴を着たかったのですが、そのレンタル代が高すぎて最終的にスーツで卒業式に参加しました。 2018年3月に博士課程を卒業することができ、今度こそ博士専用のガウンを着る夢を実現できると思っていましたが、残念ながら、お茶の水女子大学(以下お茶大)の卒業式でも主に袴かスーツを着用するのが一般的であることを知りがっかりしました。ガウンを着る夢はもう叶えられないと思いながら、最後の卒業式の良い思い出を作るため、たとえいくら高くても袴を着ることにしました。しかし、博士課程の卒業生は袴を穿かないという情報を事務の方から聞き、さらにがっかりしました。参考のためにお茶大の担当者から送ってくれた前年度の卒業式の写真を見たところ、確かに博士課程の卒業生は全員スーツ姿でした。 ところが、その写真であることに気付きました。それは、ある70歳代の卒業生がガウンの姿で写っていました。それを担当者に確認したところ、個人で用意できれば、ガウンでも大丈夫と言うことを聞き、本当に嬉しくてしかたなくなりました。早速卒業式の前日までにガウンの予約をし、自分の夢である博士課程専用の黒い帽子とガウンを着用し、卒業式に参加して、たくさん写真を撮りました。 また、ある留学生の友人の貴重な情報のおかげで、国立(くにたち)国際交流会の担当者と出会い非常に安く袴をレンタルすることができました。70代の先輩の写真一枚のおかげで、ガウンと袴を両方着用して卒業式を楽しく迎えました。ここでコミュニケーション及び情報の伝達は研究だけでなく、毎日の生活にも非常に重要であることを実感しました。お茶大及び他大学の友人や国立国際交流会の担当者とコミュニケーションを取り、相談をした結果、私の夢が実現しました。私の様に日本へ留学する多くの留学生は、日本の袴の文化も経験したがっていると思いますが、なかなか手が届きません。国立国際交流会のような情報をもっと広げることができれば、様々な国から来た留学生が日本の大切な袴の文化の経験もできると強く思い、このエッセイのテーマも袴を中心にしました。 以上のように、日本へ留学できたことと、留学中に支援してくださったたくさんの方々のおかげで、興味のある分野の研究ができ、中退・中退リスクまた不登校に関する知識を深めることができました。さらに、自分の夢も実現することができました。本当にありがとうございました。 (2018年3月記) <ディヌ・バズラチャルヤ Dinu_Bajracharya> 2018年、お茶の水女子大学より博士号を取得。博士研究テーマは「ネパールの初等教育における中退リスクの規定要因」。修士論文のテーマはネパールの初等教育と社会経済開発。学部から日本留学をして博士号を取得するまでの期間(2008~2017年)、JASSO、小林国際奨学財団、とうきゅう奨学機関、本庄国際奨学財団、渥美奨学財団から奨学金を受給。現在、ネパールのR&D_Bridge_Nepalでプロジェクトマネージャーとして働いている。 -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- 【2】「国史たちの対話の可能性」メールマガジンを開始しました!是非ご購読ください。 日中韓3言語に対応!日本語だけでなく、中国語・韓国語の読者にもご宣伝ください。 SGRAでは2016年から「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」円卓会議を続けていますが、関係者によるエッセイを日本語、中国語、韓国語の3言語で同時に配信するメールマガジンを開始しました。これから毎月1回配信する予定です。SGRAかわらばんとは別にお送りしますので、ご興味のある方は下記より登録してください。 また、このプロジェクトに関心のありそうな方にご宣伝ください。日本語だけでなく、たくさんの中国語と韓国語の読者にも購読していただきたいと思いますので、ご紹介をよろしくお願いします。 ◇国史メルマガ第1号は下記よりご覧ください。 https://mailchi.mp/051d2debf452/sgra-kokushi-email-newsletter-1?e=d44a2344b3 ◇国史メルマガ購読希望の方は下記リンクから登録してください。 https://aisf.us20.list-manage.com/subscribe?u=8a804637298104d9c09f6d173&id=3d099d9147 ■国史対話プロジェクトの経緯: 2015年7月の第49回SGRAフォーラムにおいて、「東アジアの公共財」及び「東アジア市民社会」の可能性について議論が交わされました。そのなかで、劉傑先生(早稲田大学教授)のイニシアティブにより、先ず東アジアに「知の共有空間」あるいは「知のプラットフォーム」を構築し、そこから和解につながる智恵を東アジアに供給することの意義を確認しました。 このプラットフォームに「国史たちの対話」のコーナーを設置したのは2016年9月の第3回アジア未来会議の機会に開催された第1回「国史たちの対話」でした。いままで3カ国の研究者の間ではさまざまな対話が行われてきましたが、各国の歴史認識を左右する「国史研究者」同士の対話はまだ深められていない、という意識から、先ず東アジアにおける歴史対話を可能にする条件を探りました。具体的には、三谷博先生(東京大学名誉教授)、葛兆光先生(復旦大学教授)、趙珖先生(高麗大学名誉教授)の講演により、3カ国のそれぞれの「国史」の中でアジアの出来事がどのように扱われているかを検討しました。 第2回国史対話は、自国史と国際関係をより構造的に理解するために、「蒙古襲来と13世紀モンゴル帝国のグローバル化」というテーマを設定しました。2017年8月北九州にて、日本・中国・韓国・モンゴルから11名の国史研究者が集まり、各国の国史の視点からの研究発表の後、東アジアの歴史という視点から、朝貢冊封の問題、モンゴル史と中国史の問題、資料の扱い方等について活発な議論が行われました。この会議の諸発表は、東アジア全体の動きに注目すると、国際関係だけでなく、個別の国と社会をより深く理解する手掛りも示すことを明らかにしました。 第3回国史対話のテーマはさらに時代を下げて「17世紀東アジアの国際関係」と設定しました。2018年8月ソウルに日本・中国・韓国から9名の国史研究者が集まり、日本の豊臣秀吉と満洲のホンタイジによる各2度の朝鮮侵攻と、その背景にある銀貿易を主軸とする緊密な経済関係、戦乱の後の安定について検討しました。また、3回の国史対話を振り返って次に繋げるため、早稲田大学主催による「和解に向けた歴史家共同研究ネットワークの検証」のパネルディスカッションが開催されました。 国史対話円卓会議は2016年度から毎年1回、全部で5回開催する計画です。残りの2回は近現代をテーマとして取り上げます。3言語に対応したレポートの配布とリレーエッセイのメールマガジン等により、円卓会議参加者のネットワーク化を図ります。 ■円卓会議のレポートは下記よりご覧いただけます。 SGRA_Report_no.79 「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性(1)」 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/report/2017/8730/ SGRA_Report_no.82 「第2回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性 ―蒙古襲来と13世紀モンゴル帝国のグローバル化」 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/report/2018/10611/ ※第3回国史対話のレポートは2019年秋に発行予定です。 ********************************************* ★☆★SGRAカレンダー ◇第5回アジア未来会議「持続的な共有型成長:みんなの故郷みんなの幸福」 (2020年1月9日~13日、マニラ近郊)<論文(発表要旨)募集中> ※奨学金・優秀賞の対象となる論文の募集は締め切りました。一般論文の投稿(発表要旨)は6月30日まで受け付けます。 http://www.aisf.or.jp/AFC/2020/call-for-papers/ ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/sgra/ ●SGRAは、渥美財団の基本財産運用益と法人・個人からの寄附金、諸機関から各プロジェクトへの助成金、その他の収入を運営資金とし、運営委員会、研究チーム、プロジェクトチーム、編集チームによって活動を推進しています。おかげさまで、SGRA の事業は発展しておりますが、今後も充実した活動を継続し、ネットワークをさらに広げていくために、皆様からのご支援をお願い申し上げます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/kifu/ 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 (公財)渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ ********************************************* -
Letizia Gualini “My Continuing Trip of Opening Up the Options”
2019年2月14日 12:19:16
********************************************* SGRAかわらばん758号(2019年2月14日) ********************************************* SGRAエッセイ#586(私の日本留学シリーズ#26) ◆レティツィア・グアリーニ「選択肢を広げる旅が続く私」 日本で暮らしている外国人は、初対面の人に必ずと言っていいほどこの質問を聞かれます。 「なぜ日本に興味を持ったのですか?」 聞かれるたびに私は高校時代に遡り、迷子になっていた当時の自分を思い出します。 私が通っていた高校は、ほとんどの生徒が大学に進学し、7割ぐらいは法学か医学を勉強する学校でした。最終学年になるとやはりみんなその話に夢中になる。最初から目的を持って進路を決めている人もいれば、やりたいことがなかなか見つからない人もいました。いずれにせよ両親の期待に応えるべきかどうかという点は、みんなにとって大きな問題でした。私の周りにも自分の夢を諦めて言われるままに法学や医学に進学した人が少なくありません。そして、私にも同じ期待が寄せられていました。 「私は日本語を勉強する」 娘が医者か弁護士になることを疑ってもいなかった母は、私の報告を聞いた時あまりのショックに「あなたが何を考えているのか全然理解できない」と繰り返すばかりでした。一歩も譲らない私に対して「せめてロシア語にしたら?」と母が説得しようとしました。なぜ日本語はダメで、ロシア語ならよかったのか、その理由は今でも謎ですが、おそらく母にとって日本は地理的にも文化的にもあまりにも遠い国だったのでしょう。母はまだ切れていなかった精神的なへその緒が日本までは届かないと恐れていたのかもしれません。 実は、当時私にとってはロシア語でもよかったのです。なんとなく日本文化には興味を持っていたのですが、日本文化のオタクだったわけでもなく、「中国語でもいいかな?」と思うぐらい軽い気持ちでした。私が本当にやりたかったのは、日本語を勉強することではなく、とにかくどこか私も私の周りにいる人も誰も知らない世界へのドアを開けてみたかっただけです。将来何になりたいかをなかなか決められなかった18歳の私は、単純にその決定を延期し、選択肢を広げたいと思っていたのです。 地元から離れた街に移り住み、大学の教室や若者が溢れる広場で新しい出会いを繰り返し、そして小説の中で知らない世界を発見している中で、「これじゃ足りない、もっともっと自分の選択肢を広げたい」と思いを強め留学の決意に至ったのです。「今度こそ娘を失う」と心配していた母と、「行かないでほしい」とせがんでいた当時の彼氏の気持ちとぶつかりながら、私も私の周りにいる人も誰も知らない世界へと入っていきました。 今から考えると私の研究の出発点はそこにあるのかもしれません。母の支配、父の不在(そういえば、日本語を勉強することに対しても、留学することに対しても父が反対したかどうか全く覚えていない)、男女の関係…日本語を勉強する決心をせず、日本に来ていなかったらそれらの問題について考えることなく生活を送っていたのではないかと思います。その意味においても私の選択肢は大いに広がったと言えましょう。というのは、母国から離れた国に住むことによって知識はもちろん、自分自身を見つめる意識の面でも深めるたくさんの機会が与えられたからです。 日本で暮らしている外国人は、初対面の人によく聞かれるもうひとつの質問があります。 「いつまで日本にいますか?」 そう聞かれる度に私は10年前最初来日したときに遡り、過去の自分を今の自分と見比べてみます。誰かの希望に応えるのをやめようとしている自分。外国語で言いたいことが言えないもどかしさに悩む自分。居場所を探して、見つけて、またそれを失う自分。劣等感を抱く自分。罪悪感を抱く自分。目的を達成する自分。新しい出会いによって新たな発見ができる自分。知識を深め続ける自分。自分に向ける意識を深め続ける自分。 日本にいる限りこの変化が永遠に続くような気がします。しかし同時に、滞在が長ければ長いほど「知らないもの」が減って、「当たり前のもの」が増えていくことも実感しています。そう考えると、「これじゃ足りない」という声が改めて自分の中に響き始めるのです。 もしかすると私の中にいる「選択肢を広げたい」と望む18歳の自分がまだ満足していないのかもしれません。やはり次の旅へと出る時期が近づいてきたような気がします。そろそろもう一度私も私の周りにいる人も誰も知らない世界へのドアを開けてみようかと思います。 <グアリーニ・レティツィア GUARINI Letizia> 2017年度渥美奨学生。イタリア出身。ナポリ東洋大学東洋言語文化科(修士)、お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科(修士)修了。現在お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科に在学し、「日本現代文学における父娘関係」をテーマに博士論文を執筆中。主な研究領域は戦後女性文学。 ********************************************* ★☆★SGRAカレンダー ◇第5回アジア未来会議「持続的な共有型成長:みんなの故郷みんなの幸福」 (2020年1月9日~13日、マニラ近郊)<論文(発表要旨)募集中> ※奨学金・優秀賞の対象となる論文の募集は締め切りました。一般論文の投稿(発表要旨)は6月30日まで受け付けます。 http://www.aisf.or.jp/AFC/2020/call-for-papers/ ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/sgra/ ●SGRAは、渥美財団の基本財産運用益と法人・個人からの寄附金、諸機関から各プロジェクトへの助成金、その他の収入を運営資金とし、運営委員会、研究チーム、プロジェクトチーム、編集チームによって活動を推進しています。おかげさまで、SGRA の事業は発展しておりますが、今後も充実した活動を継続し、ネットワークをさらに広げていくために、皆様からのご支援をお願い申し上げます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/kifu/ 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 (公財)渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ ********************************************* -
Lim Chuan-Tiong “Four Factors of Disapproval”
2019年2月7日 22:33:10
********************************************* SGRAかわらばん757号(2019年2月7日) ********************************************* SGRAエッセイ#585 ◆林泉忠「台湾社会が「一国二制度」を支持しない4つの要因」 (原文は『明報』(2019年1月28日付)に掲載。平井新訳) 習近平は1月2日に台湾統一に向けた「習五条」の重要談話を発表した。これは、北京当局の習近平「新時代」における対台湾政策の指針である。これに対して、台湾メディアでは連日議論が紛糾し、多くの識者がさまざまな角度から分析と評論を行なっており、台湾問題というこの古くて新しい話題は確かに相当程度、盛り上がりを見せた。しかし、多くの人々にとって理解し難いのは、北京はなぜ40年にわたって台湾社会では受け入れられることのない「一国二制度」を両岸統一の唯一の枠組みとして堅持するのだろうか、という問題である。 「一国二制度」に対する台湾からの否定的反応 「習五条」の統一攻勢に対して、台湾の与野党二大両党はそれぞれ別々の反応を示した。政権を握る民進党政府は、蔡英文が自ら当日午後に臨時の記者会見を開き、「台湾は絶対に『一国二制度』を受け入れない。絶対多数の台湾民意は、『一国二制度』への反対を堅持する。これは『台湾共識(台湾コンセンサス)』である」と表明した。こうした蔡英文の反応は、決して意外ではなかった。むしろ北京が注目したのは、国民党の態度である。呉敦義が主席を務める国民党は、習談話の翌日、党中央委員会文化伝播委員会(文伝会)から6項目にわたる声明文を発表しこれに応じた。 その中では、たしかに国民党は「一中各表(双方とも『一つの中国』は堅持しつつ、その意味の解釈は各自で異なることを認める)」の「九二共識(92年コンセンサス)」を支持すると強調したものの、習近平が定義した「九二共識」の「新たな内容」すなわち「国家統一を目指し共に努力する」への直接な言及を避けた。しかし「一国二制度」に対しては、「現段階で「一国二制度」は台湾の多数民意の支持を得ることはおそらく難しいだろう」と間接的に否定するという形で応じたのである。 その後、「平和的統一、一国二制度」を内包した「習五条」談話についての世論調査が続々と発表された。1月9日、台湾民間シンクタンク両岸政策協会が発表した世論調査では、80.9%にも上る台湾市民が「一国二制度」に賛成しないと回答しており、賛成はわずか13.7%であった。ほどなくして行政院大陸委員会が17日に記者会見を行い、関連した世論調査を公表したが、「一国二制度」に賛成しない市民は75.4%に上り、賛成はわずか10.2%であった。しかも、習近平談話の中に定義されていた「両岸は一つの中国に属しており、共に国家統一を目指して努力する」という「九二共識」の実質的内容に対しても、74.3%が「受け入れない」としており、「受け入れる」と答えた市民の割合はわずか10%だけだった。 台湾の民主化と本土化の影響 実際、行政院大陸委員会や一部のメディアは、1990年代以来何度も台湾市民の「一国二制度」に対する賛否を問う世論調査を行ってきた。そうした調査の結果において「一国二制度」への賛成がこれまで3割を越えたことは一度もなかった。この40年来、台湾において民意の多数派が「一国二制度」を支持しないのは、以下の4つの要素にその理由を見いだすことができるだろう。 第1に、台湾社会が1990年代の「本土化」の波を経験した後、民意の多数派は両岸統一を再び支持することは無くなったということである。これ以前には、台湾の国民党政府は、1949年以前の中華民国の命脈を維持する残存政権として、蒋介石の「大陸反攻」から蒋経国の「三民主義による中国統一」にいたるまで、中国統一を国策として高く掲げていた。1990年代の李登輝政権初期までは、依然として「国家統一委員会」を設置し、「国家統一綱領」を制定していたのである。しかし、その後の憲政改革の推進に伴う台湾社会の「本土化」運動の興隆によって、1994年以降は「中国人」であると認識する台湾市民の割合が再び民意のメインストリームになることは無くなった。こうした政治社会状況の変化のもとで、両岸統一を支持する思想も民意の多数派の耳目を浴びるものでは無くなっていった。これこそ、2008年に馬英九の国民党が政権に返り咲いた後も、「国家統一委員会」も「国家統一綱領」も復活させることがないばかりか、さらには両岸政策において「統一しない」という方針を採った所以である。 第2に、「一国二制度」が必然的に「中華民国」の消失を招くと台湾社会は認識しているということである。これは国民党の人々にとっても受け入れることのできないことだ。たしかに国民党の党憲章の中には、今でも「国家の繁栄と統一という目標の追求は、一貫して変わらない」という旨の条文があり、これは「国家統一綱領」に掲げられた国家統一の理念と相通じている。しかし、こうした思想が「中華民国」という国体から続く国家アイデンティティを意味するものである以上、あくまで「中華民国」の旗の下の中国統一を追求するものであって、「中華民国」の放棄を含む統一を受け入れるものではない。 北京が提起した「一国二制度」の統一枠組みは、国民党にとって「中華民国の消滅」を前提とした統一の論理であり、たとえ「深藍(もっとも忠実な国民党支持派)」の国民党の人々であっても受け入れ難いものであろう。したがって、「一国二制度」の枠組みが、「中華民国」の存続の可能性を内包したものでない限り、国民党がその態度を改めることはないであろうし、「本土化」の影響を強く受けた国民党支持者ではない台湾の人々は言うに及ばない。 キーポイント:台湾版「一国二制度」における両岸の地位の位置づけ 第3に、「一国二制度」の枠組みにおける大陸と台湾の関係は、多くの人々にとって中央政府と地方政府の関係として理解されているということである。これは、1990年代の政治的民主化の後、台湾社会が受け入れることのできない施策である。たしかに、習近平が提出した「一国二制度の台湾方案」は未定稿であり、大陸と台湾の具体的な関係も明確とはいえない。大陸の学者である王英津は、統一後の両岸関係を条件付きで「中央政府と準中央政府」の特殊関係と規定する研究をかつて行なっている。しかし、王英津を含めこうした議論は、中国社会科学院台湾研究所所長補佐彭維学が提起した「中央全面統治権の確保」の原則を前提としたものである。言い換えれば、「一国二制度の台湾方案」における大陸と台湾の関係の位置づけは、「中央対地方」の関係を原則としない可能性を示すことができなければ、台湾の主要政党及び社会が「一国二制度」の統一案を受け入れることは難しいだろう。 第4に、香港で「一国二制度」が実施されて20年余りが経過するが、未だ成功例を台湾に示せていない。周知の通り、香港とマカオで実施されている「一国二制度」は、もともと台湾統一に向けた構想であった。2017年の香港返還20周年の習近平の談話であれ、今回の「習五条」の講話であれ、北京としては、香港における「一国二制度」の実施は非常に成功していると捉えている。しかし、こうした政府公式の見方と現実のギャップは、台湾市民の眼に映っているのみならず、香港社会においてすら「一国二制度」への信頼ははっきりと揺らいでいることからも伺える。 香港大学の民意研究プロジェクトの「一国二制度」への信頼に関する調査では、1997年香港返還当初、「一国二制度」を「信頼する」と答えた香港市民の割合は63.9%で、「信頼しない」と答えたのはわずか18.5%であった。ところが、「一国二制度」施行後21年経った今日、最新の調査では、「信頼する」と答えた香港市民の割合は45.5%にまで低下しており、「信頼しない」と答えた46.9%よりも低い結果となった。しかも、香港における普通選挙もソフトランディングできずにおり、2014年に勃発した空前の「オキュパイ・セントラル/雨傘運動」も、台湾人の「一国二制度」への不信をさらに高めることになったのである 実際、将来「一国二制度の台湾方案」の内容がどのように発表されるのかは依然として未知数である。しかし、上述したように、台湾社会の「一国二制度」への信頼に対してマイナスの影響を与える要素に関して、十分に考慮を重ねて改善を図り、台湾社会が受け入れ可能な方案を制定すること無しに、国民党を含めた台湾社会の「一国二制度」及び両岸統一に対する態度を変えようと一方的に頑なに希望することは、おそらく永遠の希望的観測に過ぎないのである。 <林 泉忠(リン・センチュウ)John_Chuan-Tiong_Lim> 国際政治専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国立台湾大学兼任副教授、2018年より台湾日本総合研究所研究員、中国武漢大学日本研究センター長を歴任。 ********************************************* ★☆★SGRAカレンダー ◇第62回SGRAフォーラム/APYLPxSGRAジョイント・セッション 「再生可能エネルギーが世界を変えるとき・・・?―不都合な真実を越えて」 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2018/12082/ ※無事成功裡に終了しました。 ◇第5回アジア未来会議「持続的な共有型成長:みんなの故郷みんなの幸福」 (2020年1月9日~13日、マニラ近郊)<論文(発表要旨)募集中> ※奨学金・優秀賞の対象となる論文の募集は締め切りました。一般論文の発表要旨は6月30日まで受け付けます。 http://www.aisf.or.jp/AFC/2020/call-for-papers/ ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/sgra/ ●SGRAは、渥美財団の基本財産運用益と法人・個人からの寄附金、諸機関から各プロジェクトへの助成金、その他の収入を運営資金とし、運営委員会、研究チーム、プロジェクトチーム、編集チームによって活動を推進しています。おかげさまで、SGRA の事業は発展しておりますが、今後も充実した活動を継続し、ネットワークをさらに広げていくために、皆様からのご支援をお願い申し上げます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/kifu/ 関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)事務局 〒112-0014 東京都文京区関口3-5-8 (公財)渥美国際交流財団事務局内 電話:03-3943-7612 FAX:03-3943-1512 Email:[email protected] Homepage:http://www.aisf.or.jp/sgra/ ********************************************* -
Giglio “My Nichiren (Part 4)”
2019年1月31日 14:38:20
********************************************* SGRAかわらばん756号(2019年1月31日) 【1】エッセイ:ジッリオ「私の日蓮(4):日蓮遺文の思想史的研究の方法論について」」 【2】SGRAフォーラム/APYLPxSGRAジョイント・セッションへのお誘い(最終案内) 「再生可能エネルギーが世界を変えるとき・・・?」(2019年2月2日、東京) ********************************************* 【1】SGRAエッセイ#584 ◆エマヌエーレ・ダヴィデ・ジッリォ「私の日蓮(4):日蓮遺文の思想史的研究の方法論について」 「私の日蓮(1):日蓮研究に至った背景について」 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/sgra/2018/10280/ 「私の日蓮(2):日蓮の多様性」 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/sgra/2018/10534/ 「私の日蓮(3):宗教的主体性」 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/sgra/2018/10866/ 日蓮はまず歴史的人物だと言えるが、歴史を超える「何か」、すなわち『法華経』の教えの普遍性を踏まえて活躍した宗教者に違いない。言い換えれば、歴史の中にいながらも、歴史を超えた次元を前提に活躍した人である。また、科学は、数多くの文献について日蓮の真作かどうか答えることができても、何のためにその真偽問題を解決しなければならないのかは答えられない。「意味」も「目的」を持たない、ありのままの事実しか提供できないものだから。となると、「宗教的主体性」は問題を抱えているが、「科学的主体性」にも大きな限界があると言わざるを得ない。前者は「意味」と「目的」を提供することができても「思想史的研究」には相応しくなく、後者は何故「思想史的研究」を行うのかを説明できないからだ。 では、「疑い」続けられるものは、科学以外にもあるのだろうか。あるとすれば、それは哲学であろう。しかし、哲学は定義として、科学のように理性の活動でありながらも、所属の文化と時代の諸設定を乗り越えたところですべてを考え直す試みであり、ラディカルな批判性がある。そのため、日蓮遺文の「思想史的研究」に活用するとすれば、必然的に日蓮系の諸宗派と各教団の伝統・解釈・カテゴリー・研究方法へのラディカルな批判として働き出すことになるだろう。しかし、諸宗派と各教団の伝統・解釈・カテゴリー・研究方法と現代思想の諸設定を乗り越えたところで日蓮遺文の中身を考え直していく必要があると言えるが、このような「哲学的主体性」はどこまで現在の各教団に許されるのだろうか。更に、「哲学的主体性」こそ最良の手段であるということも、どこまで言い切れるのだろうか。筆者が研究している日蓮の「写本遺文」のケースを考えれば、答えが出てくる。 日蓮の「写本遺文」は、後代の弟子たちの「写し」しか残らず、日蓮の「真蹟」はないからこそ真偽について即断できないという点に加え、これまでの日蓮研究ではあまり指摘されてこなかったもう一つの大きな特徴が存在する。それは、どのような読み方をするかによって「真蹟」の内容と矛盾するかどうかが決まってくるということである。すなわち、「矛盾しない」という読み方を探っていくことも可能だという特徴である。しかし、日蓮教団の伝統に強く縛られていれば、そのようなことは簡単には出来ない。 筆者の研究では次のような方法を考えた。日蓮の「真蹟遺文」は2種類ある。 (ア)日蓮の代表作に該当する「真蹟完存の遺文」;これらは「真蹟遺文」の20%で、多くは日蓮が当時の有力な人物たちに宛てた論書である。今の日蓮各教団で最も信頼され研究されている資料である。 (イ)今の日蓮各教団ではあまり参考にされない「真蹟断片のマイナーな遺文」;これらは「真蹟遺文」の80%で、一般の信者の一人ひとりに宛てた資料である。 これまでの研究においては、日蓮の「写本遺文」の内容は(ア)としか比較されなかったが、(イ)とも比較すれば、次のようなプラスの3点が明らかになる。 (1)「真蹟断片のマイナーな遺文」は同じテーマに関して、より多面的で様々な角度を提供している。内容が豊富な資料であるため、「写本遺文」の内容と「真蹟遺文」とが矛盾するかどうか判断しやすくなる。(矛盾しないと考えやすくなる) (2)「代表作」(上記(ア))という狭い範囲から「真蹟断片のマイナーな遺文」」(同(イ))にも視野が広がるということで、「真蹟遺文」のカテゴリー自体がより広くなる。 (3)(イ)との比較において発見できる日蓮思想の様々な側面を比較材料に導入することができるので、日蓮思想の全体像がより広くなる。 しかし、この作業には大きな限界が存在する。それは、2つの可能性に同時に導いてしまうことである。確かに、(1)日蓮の「写本遺文」の中身は、彼の「代表作」と「マイナーな遺文」から描かれる「日蓮本来の思想」に「ありえなくはない」ため、「真作らしい」と考えることもできる。だが、(2)日蓮の真作に見えるように後代の優れた弟子たちによって非常に巧みに偽作された可能性もある。 結局、日蓮の「写本遺文」は歴史的にも本当に彼の著作かどうかは確実な答えが出ていないままで、むしろ特に「信仰の立場からは問題ない」と言える箇所、すなわち「真蹟完存の主な代表作」と「真蹟断片のマイナーな遺文」のどれかに似ているとある程度言えるような理論を含んだ箇所に注目してこそ、逆に上記のような二重の可能性に最も導きやすく、結論を更に曖昧で複雑にしてしまうことになる。これが、諸宗派と各教団の伝統・解釈・カテゴリー・研究方法と現代思想の諸設定を乗り越えたところで日蓮遺文の中身を考え直していくという、「哲学的主体性」の大きな限界であろう。 どうしても、確実な答えに導いてくれる「何か」を新しく発見することが必要不可欠のように思える。例えば、現存する日蓮の「写本遺文」の1つずつが文献として歴史に初めて登場した時点から間も無く、「この書はこう言った理由で現在の~さんに作られ、師匠・日蓮の著作として最近はじめて収録されたものである」と根拠付けて明確に記す資料(宗門内の注釈書)さえ発見することができれば、筆者の研究はもう少し楽になるかもしれない。残念ながら現段階では、これは干し草の山で針を探すような試みである。しかし、同時に、今の日蓮研究では至難の試みであるからこそ、多くの研究者が日蓮の「写本遺文」に関心を抱き、魅力を感じる大きな理由になっている。 <エマヌエーレ・ダヴィデ・ジッリォ☆Emanuele_Davide_Giglio> 渥美国際交流財団2015年度奨学生。トリノ大学外国語学部・東洋言語学科を主席卒業。産業同盟賞を受賞。2008年4月から日本文科省の奨学生として東京大学大学院・インド哲学仏教学研究室に在籍。2012年3月に修士号を取得。2015年に大田区日蓮宗池上本門寺の宗費研究生。2006年度に仏教伝道協会の奨学生。現在は博士後期課程所定の単位を修得のうえ満期退学。身延山大学・国際日蓮学研究所研究員。 -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- 【2】第62回SGRAフォーラム/APYLPxSGRAジョイント・セッションへのお誘い(最終案内) ◆「再生可能エネルギーが世界を変えるとき・・・?-不都合な真実を越えて」 SGRAは今年から国際文化会館の主宰するアジア・パシフィック・ヤング・リーダーズ・プログラム(APYLP)に参画していますが、下記の通り、第62回SGRAフォーラム/APYLPxSGRAジョイント・セッションを国際文化会館と共催いたしますので、奮ってご参加ください。 本フォーラムでは「再生可能エネルギー社会実現の可能性」を、国際政治・経済、環境・科学技術(イノベーション)、そして「エネルギーとコミュニティー」の視点から総合的に考察します。SGRAメンバー(元渥美奨学生)に加え、ドイツやオーストラリア、福島県飯舘村からスピーカーが集まり、脱炭素化社会のこれからについて国際的かつ学際的に検討します。ドイツの脱原発政策を牽引してきた緑の党の連邦議員を務め、現在エナジー・ウォッチ・グループ代表のハンス=ヨゼフ・フェル氏や、震災で多大な原発被害を受けた飯舘村でエネルギー問題に取り組む若手リーダーの声を直接聞くまたとない機会です。講演の後には、気軽に意見・情報交換ができるワークショップも予定しております。締め切りは1月25日(金)ですが満席になり次第締め切ります(先着順)ので、お早目に下記よりお申し込みください。 【第62回SGRAフォーラム/APYLPxSGRAジョイント・セッション】 テーマ:「再生可能エネルギーが世界を変えるとき・・・?-不都合な真実を越えて」 日時:2019年2月2日(土)10:30am~5:30pm(開場:10:00am) 会場:国際文化会館岩崎小彌太記念ホール 言語:日本語/英語(基調講演・発表は同時通訳つき) 参加費:無料(要予約:定員120名、各ワークショップは先着20名) ※ご希望の方は昼食(500円)を申し込み時に予約してください。 ※国際文化会館イベント案内ページ https://www.i-house.or.jp/programs/apylp_jointsession20190202/ ●一般申し込み https://www.i-house.or.jp/programs/registration_apylp20181014jp/ ●ラクーン会員(渥美奨学生)申し込み https://www.i-house.or.jp/eng/programs/registration-apylp20190202/ ◇詳細は下記リンクよりご覧ください。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2018/12082/ ◇アジア・パシフィック・ヤング・リーダーズ・プログラム(APYLP)については、下記リンクよりご覧ください。 https://www.i-house.or.jp/programs/activities/apylp/ ********************************************* ★☆★SGRAカレンダー ◇第62回SGRAフォーラム/APYLPxSGRAジョイント・セッション<参加者募集中> 「再生可能エネルギーが世界を変えるとき・・・?―不都合な真実を越えて」 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/schedule/2018/12082/ ◇第5回アジア未来会議「持続的な共有型成長:みんなの故郷みんなの幸福」 (2020年1月9日~13日、マニラ近郊)<論文(発表要旨)募集中> ※奨学金・優秀賞の対象となる論文の募集は締め切りました。一般論文の発表要旨は6月30日まで受け付けます。 http://www.aisf.or.jp/AFC/2020/call-for-papers/ ☆アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心がある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。 ●「SGRAかわらばん」は、SGRAフォーラム等のお知らせと、世界各地からのSGRA会員のエッセイを、毎週木曜日に電子メールで配信しています。どなたにも無料でご購読いただけますので、是非お友達にもご紹介ください。 ●登録および配信解除は下記リンクからお願いします。 http://www.aisf.or.jp/mailmaga/entry/mailing_form/ ●エッセイの転載は歓迎ですが、ご一報いただければ幸いです。 ●配信されたエッセイへのご質問やご意見は、SGRA事務局にお送りください。事務局より著者へ転送します。 ●SGRAエッセイやSGRAレポートのバックナンバーはSGRAホームページでご覧いただけます。 http://www.aisf.or.jp/sgra/active/sgra/ ●SGRAは、渥美財団の基本財産運用益と法人・個人からの寄附金、諸機関から各プロジェクトへの助成金、その他の収入を運営資金とし、運営委員会、研究チーム、プロジェクトチーム、編集チームによって活動を推進しています。おかげさまで、SGRA 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