SGRAメールマガジン バックナンバー
Robert KRAFT “History and Beauty”
2025年2月13日 22:40:08
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SGRAかわらばん1050号(2024年2月13日)
【1】SGRAエッセイ:ロバート・クラフト「歴史(学)と<美>」
【2】国史対話エッセイ紹介:佐藤雄基「歴史と私(なぜ歴史研究者になったか)」
【3】催事紹介:INAF新春講演会(第29回研究会)
「沖縄を戦場ではなく東アジア平和センターに」
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【1】SGRAエッセイ#782
◆ロバート・クラフト「歴史(学)と<美>」
長い間一つの研究課題に取り組んでいると、もともとは知的興奮から選んだテーマでも、いつの間にか味気なくなってしまうという経験をしたことがある研究者は少なくないだろう。私も長年にわたって歴史研究に従事する過程で頭が疲れることがあり、その際に、失われつつあった「思考散歩」の楽しさを再び感じさせてくれたのは、一人の先輩との対話であった。そのなかでの話題に歴史(学)と「美」の関係があった。以下にそのときに湧いてきたとりとめのない考えを少しまとめてみたい。
まずは、歴史が美的判断の対象となり得るかどうかという問題である。そういった判定につながる観察の対象となり得る客観としての「歴史自体」のようなものはないであろう。歴史はむしろ人間の作ったストーリーであり、ストーリーテリングから切り離しては存在しない。確かに、単に過去のものとその変遷を「歴史」と定義すれば、人間がそれを物語ることを必要条件としない存在があるといえるかもしれない。しかし、それがひとたび「歴史」になると、その存在は消える。この一度消えた存在を復活させて現在共有できるのは、結局人間の物語る歴史である。歴史学もその一種に違いない。
では、ストーリーとしての歴史は美的判断の対象となり得るだろうか。私は、なり得ると思う。ただし、このストーリーとしての歴史の何を対象にするかにより、判断の性質が異なってくると考えられる。
例えば、(一)芸術としての歴史を対象とし、その「美」を判断する場合は純粋な美的判断に近いといえよう。歴史小説や詠史、歴史映画など、おそらくどのような歴史叙述でも、それなりに芸術的な観点から美的判断をくだすことが可能であろう。ただし、歴史学に関していえば、あくまで私見だが、多くの研究書は、客観性を高めようと努めているためか、言語用法がかなりテクニカルであり、そこに「美」を認めることは難しい。
他方、(二)歴史として語られるものを対象とする場合、美的判断が純粋ではなくなることがある。社会の激変に直面する人間が過去を美化する現象がその例として挙げられる。近代において産業化・資本主義化・都市化していく社会から失われてしまう過去の美風に憧れた人々にとっては、その客観、すなわち彼らの見た「歴史」は美しく見えたのであろう。デジタル化に伴ってまだ把握しきれない変化を受けている現代社会においても似たような傾向があるように思われる。しかし、この場合、憧れる過去の美風は単に「美しい」だけではなく、「善い」ものでもあり、理性を介し概念をつうじて理解されるようである。すなわち、それには社会・美風が何であるべきかというある目的の概念が含まれ、さらには「そういう美風のある社会に生きたい」「社会にそうあって欲しい」というような、ある種の関心が含まれているのである。
歴史学の文脈においてはどうか。歴史学者が過去の「美」を掘り出そうとすることもまれにあるかもしれないが、普段は研究対象とする人物や事象を批判的な目で見ている。私も自らの研究で過去の思想家が書いた文章を読んでいる際に、その美しい語句や一見して崇高な思想に対して美的感情を抱くことはあるが、その裏にあるさまざまな問題を分析していくにつれて、その美しさがだんだん?がれ落ちていく。その理由は、単に観察において対象を判定するのみならず、そこに何らかの道徳的観念が関与してくるからだと思う。歴史学の研究対象が人間と人間社会である以上、その対象をめぐる判断には、人間がどうあるべきかという目的の概念および人間にどうあって欲しいかという関心が含まれてくるのは当然である。美しいと判断しても、その場合の「美」は「善」と結びあっており、あえていえば「随伴的な美」である。歴史研究の一つの意義が過去から教訓を得ることにあるとすれば、この研究には現代社会をより善いもの、より美しいものにする可能性もあるのではないだろうか。
<ロバート・クラフト Robert_KRAFT>
ドイツ出身。2010年から2018年までライプツィヒ大学(ドイツ)で日本学を専攻。学士課程と修士課程においてそれぞれ1年間千葉大学に短期留学。2019年に筑波大学の日本史学の博士課程に編入学。2024年に博士号(文学)を取得。
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【2】国史対話エッセイ紹介
1月29日に配信した国史対話メールマガジン第64号のエッセイをご紹介します。
◆佐藤雄基「歴史と私(なぜ歴史研究者になったか)」
私が歴史に興味をもったのは、小学生の頃、何気なく手にとった学習マンガがきっかけだった。戦国時代の武田信玄や豊臣秀吉の人生を子ども向けに描いたもので、現代とは異なる舞台で、子ども心に憧れを抱くような英雄たちの物語に胸を躍らせた。
その前には、中世風の異世界を舞台にした『ドラゴンクエストⅢそして伝説へ…』(1988年)のようなロールプレイングゲーム(RPG)(物語の中の登場人物になって体験するゲーム)に夢中になっていた。さらに遡れば、トムソーヤの冒険のような少年向けの物語も好きだった。だから、戦国武将の英雄譚には馴染みやすかったのかもしれない。ただし、歴史はドラクエのようなフィクションとは異なり、『「本当にあった話」で、調べれば調べるほど、関連するコンテンツが無限に出てきて、いろいろなものが関連し合う底なし「沼」だった。歴史上の人物になりきって、追体験するような空想に耽るのが好きだった。自分の身の回りの日常とは異なる未知の、しかしフィクションではなく、この地球上にかつては確かに存在していた世界。その中に自分が入り込み、いろいろな体験をしている気になっていた。現実の私は、地方都市に住む平凡な子どもで、本当に狭い世界の中で、日々を暮らしていたのだが。
その後はTVゲームの影響が大きかった。家庭用ゲームが普及した1980-90年代に生まれ育った私の前後の世代の中世史研究者には、戦国時代を舞台にした国盗りゲームである『信長の野望』シリーズに夢中になって歴史に興味を持ったという人が多い。大学教員になったとき、年配の先輩教員から、「ゲームやマンガ、ドラマの影響で歴史に興味を持ち、史学科に入ってくる学生が最近は多い」と嘆かれたが、その傾向は私の世代(1981年生まれ)にはすでに始まっていた。学生とのあいだよりもむしろ先輩教員とのあいだに世代差を感じた。感覚的なものではあるが、振りかえってみると、1980年代頃を境にして、子どもたちと歴史文化との出会い方、あるいは歴史文化と大衆文化のありよう自体が大きく変わったのではないだろうか。こうした変化が、歴史研究のありかた自体にどのような影響を及ぼしているのか、あるいは全く影響はないのかは検討に値するテーマだと思う。
全文は下記リンクよりお読みください。
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【3】催事紹介:INAF新春講演会(第29回研究会)のご案内
SGRA会員で一般社団法人東北亞未来構想研究所(INAF)所長の李鋼哲さんから研究会のお知らせをいただきましたのでご紹介します。興味のある方は直接お申込みください。
◆INAF新春研究会(第29回研究会)
[テーマ]「沖縄を戦場ではなく東アジア平和センターに」
[日 時]2025年2月21日(金)18:00~20:00時(オンライン、zoom)
今年は戦後80年を迎えるが、沖縄は依然としてアメリカ駐留軍の地で、そして近年には日本の自衛隊のミサイル基地を急速に進めており、火薬の匂いが漂い始めている。沖縄を戦場にするのか、それとも東アジアの平和センターにするのか?現在は歴史的な十字路に立たされている。そこで沖縄琉球新報で長年ジャーナリストとして活躍されていた野里洋先生を講師にお迎えし、沖縄の歴史と現実、そして未来に向けたビジョンについて語り、皆さんに沖縄のことを知っていただき、問題意識を共有することが目的である。
[プログラム]
講演者:野里洋(元琉球新報専務取締役、論説委員長、沖縄・石川県人会長)
討論者:
桑原豊(INAF顧問・元衆議院議員)
羽場久美子(INAF副理事長・青山学院大学名誉教授)
林泉忠(東京大学東洋文化研究所特任研究員・INAF理事・元琉球大学准教授)
詳細・参加方法はホームページをご覧ください。
https://inaf.or.jp/
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