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Enkh-Amgalan ONON “Second Place Fits Me Well”
2024年12月12日 12:29:02
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SGRAかわらばん1043号(2024年12月12日)
【1】エンフアムガラン・オノン「私には第2位がよく似合う」
【2】李趙雪「東アジア日本研究者協議会パネル『植民地・租界の美術と美術史』報告」
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【1】SGRAエッセイ#779
◆エンフアムガラン・オノン「私には第2位がよく似合う」
私の趣味は大学の提示板を見ることです。それは学部生時代からの習慣になっていました。「看板に頼る」習慣がいつか実を結ぶと信じていたからです。
学部2年生の時、モンゴル国立大学日本語学科の廊下にある看板を頻繁にチェックしていたところ、日本モンゴル開発センターで日本語スピーチコンテストが開かれると書いてありました。ぜひとも参加したいと思い、準備に入り、最終的にはステージでスピーチすることになった6人のうちの1人になりました。結果は第2位でした。第1位になれば、1週間日本へ交換生として招待されることになっていました。第2位は記念品です。少し残念に思いましたが、1カ月後に日本学科の先生から連絡があり、日本語能力試験の結果と成績などで評価し、教員たちの話し合いの結果、「奨学金付きで日本への1年間留学に推薦するので応募してみないか」という素敵なお誘いをいただきました。そして国際教養大学に1年間、交換留学生として留学しました。心の中では「第2位になって良かった」と思いました。
それから長い年月が経ち、2017年から東京外国語大学の研究生となり、その後は修士課程、博士課程に進みました。
1年半前の夏のある日、東京外国語大学の掲示版をチェックしたい気分になり、向かった結果、渥美国際交流財団の奨学生募集のポスターを見つけました。全部読み終わって「必ず合格する」と決意しました。書類の準備やスピーチの練習、きれいな日本語のスピーチを何時間も聞く練習など、よりよい自分づくりに時間をかけました。自分でできる準備は少し整えられたと思った後、たまたま日本の有名な武将である徳川家康が敬仰したという箱根神社の歴史を知り、次は自分のメンタル(精神面)を強くするためお参りに行きました。とても美しい自然に囲まれた夢のような場所です。日本の神様は外国人の願いを聞いてくださるのかなと少し不安でしたが、日本語でお願いすれば問題ないだろうと思いました。最終的に12月に合格通知を目にして、とてもうれしく、「やったー!」と言いたかったのですが、息子が寝ていたので、心の中で「よかった、やったー!」と叫びました。
4月になり奨学生リストを拝見して、自分の名前が名簿の2番目に記載されており、私には「2」という数字が合うんだなと実感するようになりました。言語学では複数とは「2つ」以上を指すと言われています。私の研究も複数であり、私の名前「オノン(Onon)」も複数である数字の名で、仏教の36桁の数字をOnonと言います。
息子との6年半に渡る日本での留学期間は人生の黄金時代だと思っています。私は勉強と研究に励み、息子は色々なことにチャレンジし様々なことを学び、小学校で「漢字博士賞」を頂いて、漢字を愛する、日本国を尊敬する少年になりました。
今後の課題としてはモンゴルの教育機関で活躍するとともに、日々の研究を基に学会発表などを通して海外の研究者と交流を深めていく予定です。モンゴルにおける言語学研究、日本語教育、高等教育学という3つの大きなカテゴリーを中心に活躍し、また深く続けて学んでいきたいと思っております。日本で得た知識や研究仲間、ネットワークを大切にして、次の20年、30年を有意義な時間にし、次世代の若手教員、研究員の育成にもいつか携わる側になると信じ、日々努力して参ります。渥美国際交流財団のメンバーになれたことも心から嬉しく思っており、優秀な研究者たちとネットワークを作る機会を与えてくださったことは感謝してもしきれないです。この絆を大切に思い、今後も全力で進んで参りたいと思います。
<エンフアムガラン・オノン Enkh-Amgalan_ONON>
2009年モンゴル国立大学言語文化学部日本学科を卒業、2020年東京外国語大学修士課程卒業、2020年東京外国語大学博士課程入学、2024年4月からモンゴル国立大学アジア学科非常勤講師を務める。
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【2】李趙雪「東アジア日本研究者協議会パネル『植民地・租界の美術と美術史』報告」
2024年11月8日から10日にかけて、「東アジア日本研究者協議会第8回国際学術大会」が台湾の淡江大学で開催され、東アジアの近代美術史研究者6人が「植民地・租界の美術と美術史」をテーマにパネル発表を行った。
1980年代末以来、美術史の既存の枠組みを再考し、近代日本美術史の叙述から排除された植民地美術史の研究が本格的に日本で始まった。近年、多くの研究成果を挙げていることを背景に、本パネルは天津租界や満洲・大連、台湾、朝鮮での記念碑や建築、絵画、書芸などの造形・言説に焦点を当て、美術史の視点から植民地・租界の都市空間や市民生活、アイデンティティーの交錯などを検討した。
会期中、台北に隣接する淡水という港町は小雨が降っていた。本パネルは2日目午後の最初のセッションで、座長に国立台湾大学芸術史研究所の邱函●(女+尼)先生を迎え、時間軸に沿って発表の順序を調整した。「天津租界公園の記念亭と記念碑―東アジアのモニュメントの成立」(李趙雪:南京大学)、「戦前大連の文化住宅と郊外空間」(楊昱/グロリア・ユー・ヤン:九州大学)、「植民地台湾から『外地』を視る―水彩画家・石川欽一郎の朝鮮旅行を中心に」(鈴木惠可:中央研究院)、「植民地における朝鮮の書芸―呉世昌(1864-1953)を中心に」(柯輝煌:東京大学)の4つの発表と、東洋英和女学院大学のマグダレナ・コウオジェイ(Kolodziej,_Magdalen)先生のコメントと発表者の議論を経て、フロアからの質問を受けた。
私の発表は天津の英国租界のビクトリア公園(1887年)と日本租界の大和公園(1909年)の奏楽堂や記念碑を手がかりに、東アジアのモニュメント概念の受容について検討した。「公園」という西洋の近代的な都市装置が天津租界に移植された結果、新しい都市理念を示すだけでなく、英国の権威や日英同盟、日本の対外姿勢と自己主張の視覚シンボルとなったことを明らかにした。国際政治や外交の要因を背景に、欧州の奏楽堂(bandstand)は中国の礼制建築と奈良時代の寺院建築との融合や対話を経て、天津の租界のなかで「記念亭」の雛形として成立した経緯が分かった。
楊氏の発表は日露戦争後の大連の住宅建設に注目し、日本の生活改善運動にも影響を与えた満州の生活改善展覧会(1921年10月29日-11月2日)の状況を明らかにした。日本国内での中流階級の住宅・イメージを作ろうとした動きは、満州の植民地建設にも見られる。満州の場合、現地の地域性も重視され、大連では1920年代に多くの文化住宅や和洋折衷の住宅が建てられた。ところが、満州の住宅建設を通して明らかにしたように、植民地建設には理想と現実が混在していた。満州の中流住宅は一部だけの日本人に支持され、時には中国人の上流・中流階級の理想の対象にもなったという複雑な状況は今後さらに研究が求められる点とされた。
鈴木氏の発表は水彩画家・石川欽一郎(1871-1945)の朝鮮旅行に注目し、その歴史背景や朝鮮滞在中の活動、経緯などについて考察した。天津や北京、欧州、台湾、福州などの各地での旅行後、1933年に石川は朝鮮に旅立った。石川の朝鮮への眼差しは、内地からの画家というより、台湾への植民経験を有する宗主国の画家という自負を持っていたことが分かった。
柯氏の発表は植民地支配下の呉世昌の作品を取り上げ、そこに絡んでくる「檀君と箕子」の問題を提示した。先行研究においては、植民地期に入り、檀君ナショナリズムと天皇制のイデオロギーの間に起きている衝突がしばしば強調されているが、檀君と箕子は互いを排除する関係でしか捉えないのかと疑問を提示した。それを背景に、呉世昌の書芸において檀君と箕子はどのような役割を担っていたかを検証した。戦時期には箕子朝鮮と楽浪文化が内鮮一体や日本の大陸進出などの言説と絡んでおり、呉世昌の作品とこのような言説がいかに相互に作用しているのかを今後の課題とした。
討論者のマグダレナ先生は「一国美術史」の枠を超え、複数の民族が集まって国境を超える租界・植民地の美術史を再考することはとても重要であると指摘した上で、それぞれに質問した。
(1)李の発表に対しては、日英の二つの租界公園の公共空間を作る際の市民の状況や、受容の様子について。例えば奏楽堂で実際に演奏が行われたかについてなど。また使用した資料の絵葉書についても検討する必要があると指摘した。
(2)楊氏の発表に対しては、大連の住宅は植民地に住んでいた市民の状況を明らかにする重要な手掛かりであると評価した一方、日本内地と満州で住宅に住んでいる階級や階層、また文化住宅に対する理想と現実についての具体的な説明を求めた。
(3)鈴木氏の発表に対しては、植民地と内地の二元的な考え方より、植民地間の関係という新鮮な視点を提示していると評価した。その上で、石川欽一郎の研究は台湾美術史と日本美術史のどちらからの視点でなされているのかを質問。日本美術史の文脈から考えるなら面白いテーマになると指摘した。
(4)柯氏の発表に対しては、なぜ呉世昌は書芸というメディアで自己の意思を表したのか、植民地研究の抵抗(resistance)・協力(collaboration)という既存の二元論に対して発表者の意見を伺った。マグダレナ先生の質疑に対して、発表者からは文脈、内容をそれぞれ補足し90分の時間はあっという間に過ぎてしまった。
最後に座長の邱先生から総括のコメントがあった。
「李趙雪先生と楊昱先生のご発表は、外国勢力によって占領された中国天津の租界や満洲国といった特殊な都市空間をテーマにされました。お二人はそれぞれ、政治的意味を有する記念碑や建造物、また非公共的な住宅空間という異なる視点から考察を行い、これらのアプローチは非常に興味深いものでした。鈴木恵可先生のご発表は、これまで中央/地方、植民母国/植民地という二項対立的枠組みに依存していた従来の視点から転換し、植民地間の比較という新たな視座を採るものでした。その結果、石川欽一郎が台湾での生活経験を通じて、他の植民地を観察するための比較基準を形成していたことが明らかとなりました。柯輝煌様のご発表は、呉世昌の書芸とその活動を通じて、植民地支配下における朝鮮ナショナリズムを考察し、新たな論点を提示されました。今後の研究の進展が非常に楽しみです。」
本パネルは多様な美術ジャンルから成り立っているが、参加者の研究方法(美術制度論)はきわめて近いといえる。植民地・租界の美術の史的展開を全うしたとは言いがたいが、方向性や視点の提示などの面では有意義な成果を得た。パネルの後、参加者全員は会場近くのカフェに行き、発表内容についてさらに議論を深めるとともに、自身の研究方向や課題についても紹介した。今後のさらなる交流に向けて良い基盤を築く機会となった。
当日の写真を下記リンクよりご覧いただけます。
https://www.aisf.or.jp/sgra/wp-content/uploads/2024/12/EACJS8_LI-Zhao-xues-session.pdf
<李 趙雪(り・ちょうせつ)LI Zhao-xue>
中央美術学院人文学院美術史専攻(中国・北京)学士、京都市立芸術大学美術研究科芸術学専攻修士、東京藝術大学美術研究科日本・東洋美術史研究室博士。現在南京大学芸術学院の副研究員。専門は日中近代美術史・中国美術史学史。
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