SGRAメールマガジン バックナンバー

YU Ning “I Coincidentally Started Studying Japanese”

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SGRAかわらばん873号(2021年6月4日)

【1】エッセイ:于寧「偶然から始まった日本語学習」

【2】国史対話メルマガ#30を配信
平山昇「第5回『国史たちの対話の可能性』円卓会議参加記」
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【1】SGRAエッセイ#672

◆于寧「偶然から始まった日本語学習」

日本に留学してから日本語を勉強し始めたきっかけについてよく聞かれた。まったく視野に入れていなかったのに日本語学科に入ったのは「運命」だとしか答えようがない。それは母の「山口百恵と三浦友和夫婦への愛」がもたらしたものなのだ。

大学出願票を記入した時には外国語を専攻する発想がなかったので、当然、日本語を候補にすることもなかった。中国の大学出願票には「希望する学部でなくても、その大学に入学する意思があるかどうか」という項目があり、「はい」とチェックを入れていた。そうしたら、第一志望校の南京大学に合格したものの、学部の希望は通らず、枠が余った日本語学科へ変更させられた。日本語を専門にすることはあまりにも予想外だったため、浪人することも考えた。その時、日本語学科への入学を強く後押ししてくれたのが母だった。「将来日本語が出来るようになったら、日本に連れて行ってもらいたい。山口百恵さんと三浦友和さんに会えるかもしれないから、通訳してもらうわ」と。

1980年代に青春時代を送った母は日本映画の大ファンだった。当時中国に輸入された日本映画は一世を風靡し、多くの中国人が日本の映画スターに魅了されていた。母もその一人で、とにかく山口百恵と三浦友和夫婦が好きで、私も子どもの頃から二人に関する話を何度も聞かされた。日本語を勉強して何をするかは全く分からなかったが、少なくとも「山口百恵と三浦友和夫婦に会いたい」という母の夢には役立てるかもしれないと思い、とりあえず日本語学科に入学した。

実際に日本語を勉強し始めたら、意外と早い段階で語学の楽しさを感じることができ、日本について知れば知るほど、日本の文化に魅力を感じるようになった。自分の選択ではなかったものの、日本語学科に入って良かったと思うようになった。大学3年生の時に、長野県小諸市日中友好協会のご招待を受け、ホームステイで1週間日本に滞在した。初めての訪日だったが、日本人の家に泊まり込み、市民祭りにも参加した。日常に溶け込み、肌で日本文化を感じる貴重な体験だった。教科書の限界を痛感し、日本をより知るために留学を決めた。

しかし、日本で何について研究するかには頭を悩ませた。日本に関心が芽生えてきたものの、アニメやアイドルが好きで日本語を専攻するようになった同級生と異なり、研究すべき分野をなかなか特定できなかった。当時は「草食系男子」が日本で話題になり、中国のメディアにも取り上げられていた。自分も「草食系男子」だと同級生に言われ、ジェンダー研究に関心を持つようになった。南京大学では毎年、日本語学科の共催で東京大学の先生たちによる集中講義が行われており、たまたまその年に現在の指導教官がジェンダーの視点で映画を分析する講義を行った。私は即座にその指導教官のもとで、ジェンダー理論と映画研究を専攻することを決めた。

その後、「草食系男子」をテーマにした卒業論文を書き下ろし、留学選考に無事に合格して、今日本で勉強ができるようになっている訳だ。日本留学のきっかけを聞かれる度に、自分が今に至ったのは一連の偶然の結果であったことを改めて認識させられる。偶然で始まったものが自分の人生の方向を左右するとは思わなかった。自分の選択ではなかったものの、正解に導かれている気はする。やはり、当時後押ししてくれた母に感謝なのだ。母を日本に連れて行き、映画で見た日本の風景を見させてあげたい。可能性はほぼないが、母が山口百恵と三浦友和夫婦に会えることになったら、通訳になり、きちんと「二人への愛」を伝えるように努める。

<于寧(う・ねい)YU_Ning>
2020年度渥美国際交流財団奨学生、国際基督教大学ジェンダー研究センター研究員。中国出身。南京大学日本語学科学士。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士前期課程修了。研究テーマ「中国インディペンデント・クィア映像文化」「中国本土におけるクィア運動の歴史」。

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【2】「国史対話」メールマガジン第30号を配信

◆平山昇「第5回『国史たちの対話の可能性』円卓会議参加記」

昨日は、Zoom開催となった第5回「日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」円卓会議に参加しました。

中国・韓国・日本の3カ国の歴史研究者が近代史の中の感染症についての研究報告をしました。
・朴漢珉(東北亜歴史財団)「開港期朝鮮におけるコレラ流行と開港場検疫」
・市川智生(沖縄国際大学)「19世紀後半日本における感染症対策と開港場」
・余新忠(南開大学)「中国衛生防疫メカニズムの近代的発展と性格」

感染症そのものは人類にとってたいへん困ったものだけど、歴史研究の対象としてはこれほど面白いものはないと思い知らされました。なぜなら、三人の先生方の報告から、日本・中国・韓国(朝鮮)といった国家の枠組みでの理解がまったく通用しない歴史像がみえてきたからです。
市川智生と朴漢珉の両氏の報告内容からは、朝鮮の中央政府が統一的な開港場の防疫規則を整備していなかった段階ではそれぞれの開港場ごとに外国官吏と現地官吏と居留民社会の協力関係のあり方が異なり、それによって対策の状況が異なっていた、だからこそ、感染症対策をする現場での国をこえた協力という点では、「日本の開港場/朝鮮の開港場」という違いよりも、「横浜・神戸・長崎・元山/仁川・釜山」の違いの方が際立っていた、ということがみえてきました。

続きは下記リンクからお読みください。
http://www.aisf.or.jp/sgra/kokushi/J_Kokushi2021HirayamaNoboruEssay.pdf

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