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[SGRA_Kawaraban] Li Kotetsu “Could We Transcend Historical Awareness and Brainwashing Education?”
2014年4月16日 16:48:46
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SGRAかわらばん515号(2014年4月16日)
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SGRAエッセイ#406
■ 李 鋼哲「歴史認識と「洗脳教育」を如何に超克できるのか?」(その1)
近年、日本と韓国および中国との関係は厳しい冷え込み状況に陥り、なかなか解決の
糸が見つからない。この問題は日本と中韓両国との関係だけの問題にとどまらず、米
国政府も巻き込み、欧米世論も巻き込んだ世界的な大論争に発展した。1月のダボ
ス・フォーラムでも安倍首相の基調演説に対し、司会者が質疑応答で取り上げるほど
になっている。その根底にあるのは歴史認識の問題にほかならない。靖国神社参拝の
問題にしても、領土・領海問題にしても、歴史認識問題の延長線上に生まれた派生的
な問題であると筆者は見ている。
この問題について筆者は、自称「アジア人」として、国家・民族を超えた意識に基づ
いて「不偏不党」の視点を提示したい。一つは、歴史の複雑性と歴史認識の多様性に
ついて、もう一つは、歴史教育の「洗脳性」について、私見を述べたい。
○歴史の複雑性
筆者は歴史学者ではないが、歴史とは相当複雑であり、勉強すればするほど面白く
なっていることに気づいた。歴史というのは、それを見る、あるいは解釈する主体者
によってその事象が異ってくる。歴史のなかに生きた人の経験は千差万別である。さ
らに、歴史を動かしている人々、歴史を評価したり、歴史を書く人々の立場や考え方
には複雑な要素が絡んでいる。したがって、歴史は複線であり、単線で単純なもので
はないことは自明の理である。歴史に対する認識や見方には多様性があることを認め
ざるを得ない。そして、歴史は動くものであり、したがって歴史に対する認識も時代
(歴史)の変化に伴い変化する。このことを哲学では歴史弁証法という。
中国で生まれ育って、教育を受けた筆者の個人的な体験から言うと、日本に関して、
または日中歴史関係についての認識は時と共に変化してきたのである。
1960〜70年代、子供であった筆者は、田舎にいても「共産党の抗日戦争」(当時、政
権党であった国民党は抗日に消極的であったと教育されていた)の映画をたくさん見
てきた。でも、子供だったので、ただの戦争ごっこにしか受け止めなかった。映画の
焦点は共産党の八路軍と新四軍が如何に日本軍と勇敢に戦って勝利したのか、日本軍
は如何に三光政策を実施したのか、にあった。
1972年に日中国交正常化したが、田舎の人々はそのようなことはあまり知らなかっ
た。ただし、学校教育では抗日戦争の映画を見せる時に、先生は「日本の中国侵略は
一部軍閥主義者たちによるものであり、日本国民も被害者であり、日本国民は我々と
同じ無産階級(プロレタリア)なので団結すべきであり、憎むべきではない」と教
え、そのまま信じた。おそらく、そのような教育指針が政府から出されたと推測でき
る。
そして、偶然にも小学生の頃、日本人に初めて接する機会があった。1969年頃、ある
有名な画家の家族が地元の都市延吉市から私の住んでいる村に下放されてきたのだ
が、その画家の奥さんが日本人であった。「文化大革命」の真っ最中であり、知識人
や外国と関係がある人達は悪者扱いされ批判の対象になる時代であった。
しかし、村に来たその家族は不思議なことに批判の対象とはならなかった。村人達は
誰一人、日本人の奥さんを悪者とは思わなかった。逆に、その礼儀正しさ、優しさを
村人達は尊敬しており、仲良く過ごしていた。その家の末息子が小学校の同級生だっ
たので、私はいつも神秘感(日本人的な生活スタイルに対して)を持ってその家に遊
びに行ったりした。
私が高校を卒業して大学受験に4年間もチャレンジするうちに、外国語の試験が加
わったため、日本語の本一冊を持って、「日本語を教えてください」と、友達のお母
さんに頼んだら、すぐ承諾してくれた。日本語の仮名の読み方から教えてもらった上
で、独学で日本語を勉強した。
大学生の時には、専門は哲学であったが、引き続き外国語として日本語を独学し、大
学に来ていた日本人留学生(日本では社会人)と初めて日本語会話を試み、そのうち
親しい友人になり、中国語と日本語を混じりながら会話し、周りの友達とも混じりな
がら交流していたが、誰一人、日本人だから嫌いという人はいなかった。逆に、日本
人と親しく交流できる私は周りの学生から「日本通」と言われた。その後も日本友人
との交流はずっと続いていた。これが1980年代の北京での私の日本人体験であった。
つまり、毛沢東時代と鄧小平時代までは「反日教育」、「反日」は中国では非常に限
定的であったということを物語っている。中国で「反日教育」が盛んになったのは
1990年代の江沢民時代からであることは周知の事実である。
○歴史認識の多様性
話を歴史認識に戻すと、国家間で戦争が発生した場合、必ず強いものと弱いもの、侵
略者と被侵略者、加害者と被害者が出てくる。日本が中国で侵略戦争を起こしたこと
は否定し難い歴史的な事実である。しかし、その戦争によって侵略した側、侵略され
た側の両方にそれぞれの受益者と被害者がいることも理解せねばならない。どの勢力
が国の政治を司るかによって、歴史認識も変わってくるのである。これは何処の国で
も当てはまることだと思う。
あるエピソードを取り上げよう。昭和39 (1964) 年7月、日本の社会党訪中団が中国
を訪問し、毛沢東と会見した。社会党の佐々木更三委員長が毛沢東に対し、日本の侵
略戦争について謝罪したのに対し、毛沢東は「何も申し訳なく思うことはありません
よ、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利を奪取させ
てくれたではないですか。皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だったで
しょう。・・・もし、みなさんの皇軍が中国の大半を侵略しなかったら、中国人民は
団結して、みなさんに立ち向かうことができなかったし、中国共産党は権力を奪取し
きれなかったでしょう。ですから、日本の皇軍はわれわれにとってすばらしい教師で
あったし、かれら(日本国民)の教師でもあったのです。」「過去のああいうことは
話さないことにしましょう。過去のああいうことは、よい事であり、われわれの助け
になったとも言えるのです。ごらんなさい。中国人民は権力を奪取しました。同時
に、みなさんの独占資本と軍国主義はわれわれをも助けたのです。日本人民が、何百
万も、何千万も目覚めたではありませんか。中国で戦った一部の将軍をも含めて、か
れらは今では、われわれの友人に変わっています。」と述べたという。
この発言は奥の深い哲学的なものの考え方によるものである。中国には「因禍得福」
という諺がある。禍によって結果的に福がもたらされるという意味である。日本軍の
侵略は中国に大きな禍をもたらしたが、それを結果的に、そして大局的に見ると人民
による新中国の誕生につながったことも事実である。
もう一つ、「反面教師」という言葉も中国でよく使われている。仮に悪いことをして
も、それを反省し、教訓を汲むことができれば、良い結果につなげることができる。
毛沢東は思想的には哲学者でもあり、物事を考えるときに常に「一分為二」(一つの
物事の二つの側面)という弁証法的に考えるべきだと中国人民に教えたのである。中
国ではその当時毛沢東が絶対的な権威をもっており、国民の信任が厚かったので、毛
沢東はそのような「ジョーク」で会談の雰囲気を変えることができたのだと思う。も
ちろん、その発言は外交記録にあるのみで、マスコミに発表されたわけではない。
このような考え方で、日韓関係を見ると、もし日本の植民地支配がなかったら、今日
の韓国の繁栄はなかったかもしれない。独立運動家は生まれなかっただろうし、韓国
民の覚醒もなかっただろうし、朴正煕大統領のような立派なリーダーは生まれなかっ
ただろう。しかし、もし韓国の某大統領が「日本の植民地支配に感謝する」と発言し
たとしたら、それは国賊扱いにされるに違いないだろう。韓国では「親日派」を徹底
的に追求するキャンペーンを行ったが、それは「反日」である前に、まずは国内での
政治勢力間の戦いに見えるのではないか。歴代大統領が替わるたびに、「反日」に
なったり、「親日」までは言えなくとも日韓関係の歴史に終止符を打とうとする、二
つの勢力の争いが繰り返されている。現在の朴大統領が対日政策で強硬姿勢に出るの
は、親の「親日レッテル」という負の遺産から自分のイメージを払拭したい、という
心理的コンプレックスによるものと見受けられる。
筆者なりに歴史を客観的に評価するとしたら、日本の侵略と支配により、隣国は大き
な被害を被り、日本はその加害者責任から逃れられない。しかし、加害過程における
受益者がいることも否定しがたい歴史的な事実である。歴史というものは完全に客観
的に評価できない側面もあることも理解せねばならない。一つの民族、集団の文化と
しての歴史は、自分達の過去であると同時に現在と直結している自分たちのアイデン
ティティの整合性の最も重要な部分である。言い換えれば、歴史自体が自己とアイデ
ンティティの主な部分を占める。だからこそ、歴史は解釈であり、勝者と為政者が自
分たちの正当性やアイデンティティの形成に利用するものである。したがって、歴史
は最も「作為性」と「虚為性」として粉飾される客体であり、主体でもある「文学的
な物語」である、とある学者は指摘している。
結論的に言うと、歴史認識というのは時代の産物であり、為政者が自分たちの正当性
を主張するための道具という側面があることを認識しなければならない。
(つづく)
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<李 鋼哲(り・こうてつ)Li Kotetsu>
1985年中央民族学院(中国)哲学科卒業。91年来日、立教大学経済学部博士課程修
了。東北アジア地域経済を専門に政策研究に従事し、東京財団、名古屋大学などで研
究、総合研究開発機構(NIRA)主任研究員を経て、現在、北陸大学教授。日中韓3カ
国を舞台に国際的な研究交流活動の架け橋の役割を果たしている。SGRA研究員。著書
に『東アジア共同体に向けて——新しいアジア人意識の確立』(2005日本講演)、そ
の他論文やコラム多数。
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