SGRAメールマガジン バックナンバー

OMINO Akira “The Direction You Came and the Direction You’re Going”

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SGRAかわらばん1022号(2024年6月27日)

【1】エッセイ:小美濃彰「来し方行く末」

【2】寄贈本紹介:『中国民族誌学:100年の軌跡と展望』
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【1】SGRAエッセイ#769

◆小美濃彰「来し方行く末」

かつては大学院生としての生活すら想像していなかったにもかかわらず、どうしたことか現在も研究を続けることができている。それは偶然でないにしても、すべてが決然とした判断と行動の積み重ねであったわけでもなく、ありがたい縁に導かれてたどりついたというほかない。

大学院博士後期課程への進学後、郵便局でのゆうパック配達と大学での教務補佐とのかけもちで得た収入から研究費用をわずかに捻出していた私にとって、渥美奨学生として研究活動に没頭することのできた1年はきわめて貴重なものとなった。奨学金に支えられながらゆっくりと思考を広げることができたひとまとまりの時間は、それ以前のような生活のなかで断片になっていた時間をいくらかき集めたとしても、代えることはできない。学部生の頃から積み重なっている日本学生支援機構からの借金をさらに膨らませるわけにもいかず、あれやこれやに追われていた生活も、また別の固有な時間であったとはいえど。

釜ヶ崎(大阪)や山谷(東京)における日雇労働運動史に大きな影響を与えた船本洲治という革命家・思想家がいる。船本洲治は1975年6月に沖縄米軍嘉手納基地第2ゲート前での焼身決起をもって、当時の皇太子訪沖に抵抗した。半世紀近くの指名手配生活を経たのち、今年1月に名乗りをあげた桐島聡が加わっていた東アジア反日武装戦線「さそり」のなかでも、帝国主義や植民地主義に対する船本の思想は共有されている。

その船本が猛烈な批判を突きけていた人物である梶大介の思想と活動を、私は研究対象にしている。船本洲治の思想が『新版 黙って野たれ死ぬな』(共和国、2018年)を通じて新しい読者を獲得していることを思えば、私の研究テーマは的を外してしまっているような気がしている。船本による梶大介批判があまりに激烈なために、一体どんな人物なのかという素朴な疑問から史料探索を始めて抜け出せなくなってしまったのだ。かといって、なにかを後悔しているわけでもない。

梶大介には『山谷戦後史を生きて』上・下(績文堂、1977年)という、山谷に関心を寄せたことのある人々のなかでそれなりに知られた著作がある。それを手がかりに何か関連史料を見つけて読んでいけば、この人物がいつどこで何をしていたのかを知るのは、とりたてて難しいことではない。しかしながら、山谷における地域社会と日雇労働運動の歴史という枠組みのなかで何かを考えようとすると、それだけでは梶大介をうまく位置づけることができない気もしていた。

もともと梶大介は『バタヤ物語』(第二書房、1957年)を書いたバタヤ作家として知られていた人物で、その活動と存在は何らかのルートでインドにまで伝わっていたらしい。梶大介を中心とするバタヤ=屑拾いのグループがインドの思想家・社会運動家、ビノーバ・バーベから招待を受け、2名の仲間が渡航予定ということを『読売新聞』(1960年7月29日付夕刊)は報じていた。さらに、梶大介はミサイル試射場建設の是非が激しく争われていた伊豆諸島の新島にも足を運んでいる。思いつくだけでも切りがなく、山谷における運動の前史として時系列に記述を整えただけでは何の意味もつかめないような事実がいくつも連なる。

1993年11月14日に死去した梶大介が同年7月3日に遺した自筆には、釋襤褸という法名と共に「親鸞さま ありがとうございました。/山谷さま ありがとうございました。/和田先生さま ありがとうございました。/すべてのみなさま ありがとうございました。/南無阿弥陀仏」と記されている。「和田先生」とは非戦平和を訴え、かつ「闇の土蜘蛛」による東本願寺大師堂爆破事件(1977年)が意味することの追究にも努めた真宗僧侶・和田稠である。『実践・歎異抄:浄土真実身読記』(いし・かわら・つぶて舎基金/伊豆歎異抄に聞いていく会、1994年)という講述を遺した梶大介は、念仏者としても知られていた。

梶大介の人物の活動と思想を山谷だけで見ることはできないし、また山谷という限られた地域が一体どのような広がりを持つのかということも、丁寧に考える必要があった。そのような意味で、この1年間の研究生活は博士論文を仕上げていく段階でもう一度これまでの作業を見直す、絶対に不可欠な時間であったように思う。その成果として(いまだに…)執筆中の博士論文では、日本における社会運動の高揚期でもあった1960年代に、山谷という場所において無数に折り重なっていた思想の平面を一端でも叙述できるよう試みている。

悠長に構えている場合ではないという叱咤を各方面から受けているところだが、この1年ほど自分自身の研究活動のなかで多くの知的刺激にあふれた密度の高い時間はなかった。一刻も早く博士論文を書き上げなければならない立場ながら、いまに至る道のりを振り返っては感謝の念に堪えない。

<小美濃彰(おみの・あきら)OMINO Akira>
東京都生まれ。東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程単位修得満期退学。東京都公文書館専門員(史料編さん担当)、2023年度渥美奨学生。専門は日本近現代史・都市社会史。

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【2】寄贈本紹介

SGRA会員で日本学術振興会PD(東京都立大学)の陳昭さんから共著書をご寄贈いただきましたので紹介します。

◆河合洋尚、奈良雅史、韓敏 編『中国民族誌学:100年の軌跡と展望』

中国を対象とした人類学的研究は膨大だ。本書はそれらを系統的に整理し、ワールドワイドな中国研究・人類学の視点から特色を検討、さらにその営為を「中国民族誌学」と名付けた。地域社会や国家、民族に着目しつつ、その壁を乗り越えることが人類学の第一歩とすれば、その「方法序説」を目指すものである。

発行所 風響社
出版年月日 2024/03/20
ISBN 9784894893597
判型・ページ数 A5・432ページ

詳細は下記リンクをご覧ください。
http://www.fukyo.co.jp/book/b642901.html

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