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[SGRA_Kawaraban] Lin Shaoyang “SGRA China Forum #8 Report”

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SGRAかわらばん549号(2014年12月24日)

【1】林 少陽「第8回SGRAチャイナ・フォーラム報告」
   『近代日本美術史と近代中国』

【2】特別寄稿:奇 錦峰「憂慮すべき現在の中国大学生(最終)」

★☆★今年もSGRAかわらばんをお読みいただきありがとうございました。
   新年は1月7日(水)より配信いたします。★☆★
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【1】活動報告

■ 林 少陽「第8回SGRAチャイナ・フォーラム『近代日本美術史と近代中国』報告」

2014年11月22日〜23日、第8回SGRAチャイナ・フォーラムが北京で開催されました。
今回のテーマは日本美術史です。22日の講演会は中国社会科学院文学研究所と、23日
の講演会は清華大学東亜文化講座との共催でした。清華大学は北京大学のライバルで
あり日本でも知られていると思いますが、中国社会科学院は「知る人ぞ知る」かもし
れません。中国社会科学院は、国家に所属する人文学及び社会科学研究の最高学術機
構であり、総合的な研究センターです。中国社会科学院文学研究所の前身は北京大学
文学研究所であり、1953年の創立です。1955年に中国社会科学院の前身である中国科
学院哲学社会科学学部に合併されました。現在115人の研究員がいて、そのうち上級
研究員は79名ということです。

今回、日本から参加してくださった2名の講師は、佐藤道信氏(東京藝術大学芸術学
科教授)と、木田拓也氏(国立近代美術館工芸館主任研究員)です。佐藤氏は日本美
術史学の代表的な研究者の一人であり、木田氏は日本の工芸史の研究者として活躍し
ていらっしゃいます。木田氏が2012年に実施した「越境する日本人——工芸家が夢見
たアジア1910s〜1945」という展覧会が、今回の北京でのフォーラム開催のきっかけ
となりました。

まず、11月22日の講演会についてご紹介します。佐藤氏の講演題目は「近代の超克−
東アジア美術史は可能か」、木田氏は「工芸家が夢みたアジア:<東洋>と<日本>のは
ざまで」でした。

佐藤氏は、「美術」「美術史」「美術史学」をめぐる制度的な研究をしてきた研究者
です。その目的は、美術の今がなぜこうあるのか、現在の史的位置を考えることにあ
りました。最初は、「日本美術(史)観」をめぐる日本と欧米でのイメージギャップ
について研究し、大きな影響を与えた研究者ですが、この十数年は、欧米と東アジア
における「美術史」展示の比較から、その地理的枠組の違いと、それを支えるアイデ
ンティーの違いについて考えてきました。欧米の国立レベルの大規模な美術館では、
実質「ヨーロッパ美術史」を展示しているのに対して、東アジアでは中国・台湾、韓
国、日本、いずれの国立レベルの博物館でも、基本的に自国美術史を中心に展示して
いることを指摘しました。

つまり、実際の歴史では、仏教、儒教、道教の美術や水墨画が、広く共有されていた
にもかかわらず、東アジアの美術史ではそれが反映されていません。広域美術史を共
有するヨーロッパと、一国美術史を中心とする東アジアという違いがあります。その
枠組を支えるアイデンティティーとして、大きく言えば、キリスト教美術を中軸とす
る「ヨーロッパ美術史」は、キリスト教という宗教、一方の東アジア各国の自国美術
史は、国家という政治体制に、それぞれ依拠していることを佐藤氏は問題としていま
す。佐藤氏は1990年代以来、近代日本の「美術」「美術史」「美術史学」が、西洋か
ら移植された「美術」概念の制度化の諸局面だったという前提で、「日本美術史」
が、近代概念としての「日本」「美術」「歴史」概念の過去への投射であり、同様に
日本での「東洋美術史」も(あくまで日本での、です)、じつは近代日本の論理を
「東洋」の過去に投射したことを、いままでの著書で明らかにしてきました。

本講演において、佐藤氏は、19世紀の華夷秩序の崩壊後、ナショナリズムを基軸に自
国の歴史観を構築してきた経緯を指摘しつつ、分裂した東アジアの近代が、歴史とそ
の実態をも分断してきたのだとすれば、実態を反映した「東アジア美術史」の構築
は、東アジアが近代を超克できるかどうかの、一つの重要な課題であると提起しまし
た。そして、広域の東アジア美術史を実現するために、「自国美術史」の相互刊行、
広い視野と交流史的、比較論的な視点、知識の樹立、さらには、イデオロギー(東西
体制の両方)、大国意識、覇権主義、民族主義、汎アジア主義的視点などによる解釈
の回避、国際間でのコミュニケーションと他者理解のしくみの確立、などを提言しま
した。

木田氏は、講演「工芸家が夢みたアジア:<東洋>と<日本>のはざまで」において、ま
ず自分自身がこれまでに関心を持って取り組んできた工芸史、デザイン史という領域
において、19世紀後半のジャポニスム、アール・ヌーヴォー、アール・デコ、モダニ
ズムという流れにおける日本と西欧との文化交流に関する研究は盛んに行われている
のに対して、それとは対照的にこの時代の日本と中国との関係については、あまり関
心が払われていないことを反省しつつ、日本人の工芸家と中国との関連を紹介しまし
た。木田氏はまず、日本の20世紀を代表する、国民的洋画家といえる梅原龍三郎の、
1939年から43年までの計6回の中国訪問を紹介しました。戦争中にも関わらず、梅原
は北京が最高であると記述しており、この時代の美術史の再評価の必要性を指摘しま
した。

そして、京都の陶芸家の2代真清水蔵六が、1889年(明治22)に上海と南京の間にあ
る宜興窯に渡って、そこにおよそ1年間滞在して作陶を行ったことや、1891年(明治
24)年に景徳鎮を訪問したこと、建築家で、建築史家でもあった伊東忠太が、1902年
から1905年まで、約3年かけて中国、ビルマ、インド、トルコを経て、ヨーロッパへ
とユーラシア大陸を横断したこと、また1910年の日韓併合前から建築史家の関野貞が
朝鮮半島で楽浪遺跡の発掘に関わっていたことなどを紹介しました。そして木田氏
は、中国からの古美術品の流出と、日本におけるコレクションの形成との関係につい
て紹介し、日本に請来された中国や朝鮮半島の美術品が日本の工芸家の作風に影響を
与えたことを報告しました。

講演会には、社会科学院の研究員だけでなく、他の大学の研究者や大学院生も含む約
50名の参加者が集まりました。中国社会科学院文学研究所の陸建徳所長が開会挨拶を
してくださいました。講演の後、とても密度の高い質疑と討論で盛り上がり、初日の
講演会は大成功でした。

翌11月23日の講演会はさらに盛況でした。清華大学の会場は40名しか座れない会議室
でしたが、実際80名を越す参加者があり、一部は立ったままで講演会を聴講していま
した。講演会を助成支援してくれた国際交流基金北京日本文化センターの吉川竹二所
長や、中国社会科学院日本研究所の李薇所長も出席してくださいました。

佐藤氏の今回の講演題目は「脱亜入欧のハイブリッド:『日本画』『西洋画』、過
去・現在」であり、木田氏の講演題目は「近代日本における<工芸>ジャンルの成立:
工芸家がめざしたもの」でした。佐藤氏の講演に対しては筆者が、木田氏の講演に対
しては清華大学美術学院准教授の陳岸瑛氏が中国美術史研究者の立場からコメント
し、また清華大学歴史学科の教授である劉暁峯氏がたいへん興味深い総括をしまし
た。

紙幅の関係上2回目の両氏の講演についてご紹介できないですが、今回の出席者の積
極的な参加ぶりは感動的でした。また会場からの討論の熱さも忘れがたいものです。
参加者は美術史関係の研究者と大学院生のほか、文学研究者、歴史研究者も多いとい
う印象を受けました。その意味において高度に学際的な会議でもあったと思います。

今回のふたつの講演会は高度な専門性を持つが故に大成功したと思いますが、日本研
究と中国研究が対話する重要な機会でもあることを実感しました。

フォーラムの写真は下記リンクよりご覧いただけます。
http://www.aisf.or.jp/sgra/photos/

フォーラムのフィードバックアンケートの集計結果は下記リンクよりご覧いただけま
す。
http://www.aisf.or.jp/sgra/info/china8feedback.pdf

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<林 少陽(りん しょうよう)Lin Shaoyang>
1963年10月中国広東省生まれ。1983年7月厦門大学卒業。吉林大学修士課程修了。会
社勤務を経て1999年春留学で来日。東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
博士課程、東大助手、東大教養学部特任准教授、香港城市大学准教授を経て、東京大
学大学院総合文化科超域文化科学専攻准教授。学術博士。著書に『「修辞」という思
想:章炳麟と漢字圏の言語論的批評理論』(東京:白澤社、2009年)、『「文」與日
本学術思想–漢字圈・1700-1990』(北京:中央編訳出版社、2012年)、ほかに近代
日本・近代中国の思想と文学ついての論文多数。
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【2】特別寄稿

SGRAエッセイ#444

■ 奇 錦峰「憂慮すべき現在の中国大学生(最終)」

3. 多くの大学の中の変な雰囲気

3.2 ほとんどが低レベルの繰り返しの研究

近年、「インデックス」学術評価システムの導入と推進の結果、大学スタッフ(特に
教授)の評価は、論文数だけが必須条件として強調され、社会的、経済的効果を問わ
ず、論文のレベルは掲載された雑誌のランクで定義されるようになった。そのため、
迅速に結果がだせる科学研究のテーマを容認する雰囲気が作られた。中国の学者の多
くが高リスク、長時間の基礎研究に消極的であるだけではなく、数値化評価システム
に対応するため意図的に、短期的な効果を求めるようになっている。さらに、学術詐
欺、研究偽造、不正競争、ゴミ論文などの出来事はエンドレスで、国全体で大量の低
レベルの繰り返しの研究が蔓延し、創造的な新規のテーマを追究しようとする土壌を
奪ってしまった。現在の大学では、虚偽、誇張を軽蔑し、孤独な研究に耐える人たち
の姿を見ることがますます困難になってきている。単純な「指標化」学術評価システ
ムが中国の科学研究成果と投資のバランスを劣化してしまい、間違った道へ滑り落ち
てしまったと言える。

一言で言うと、社会生活中のあらゆる不正や醜い行為を大学キャンパスの中にも見い
だすことができる。本来、清潔で道徳的であるべき大学キャンパスは、大分前に消失
してしまった。大学は科学的精神、人間性、人格形成などの面から大学生に対して教
育を行うべきなのに、卒業証書だけを重視する風潮が大学教育を本来の目的から乖離
させ、人格育成や人材養成を無視するだけではなく、「金銭万能」を自ら実践し、政
府の推奨するGDP重視の市場経済に入ってしまったと思わざるを得ない。そこは大学
卒業証書のバブルで、大学レベルの教育を受けたとしても、ほんの少しの専門知識を
持つ以外は、教育を受けなかった人とあまり変わらない。

いずれにしろ、このような状況であるから、大学教育及びその生産品(大学生)は、
今までにはなかった道を進まざるを得ない。中国の大学は、ますます行政化、官庁
化、もしくはヤクザ化しているため、今の大学の価値観は、本来のあるべきものとは
かなり異なってしまっている。大学を含むあらゆる教育、研究機関における、評価、
昇進、招聘、採用などの場合、助手の決定からアカデミシャン(つまり中国科学院、
中国工程学院のメンバー)の選抜まで、皆「評議員」(つまり決定権を持っている
人)と「連絡する」ことが必須条件になっている(この評議員達に賄賂をしなけれ
ば、本人は安心できなくなっているそうだ)。皆がそうしているのに自分だけがしな
ければ、間違いなくその人は失敗する。こんな雰囲気の中で、学術機関が低レベルの
繰り返しの研究をするのは不自然ではない。

3.3 研究を産業化し、大学では「研究リッチ」族が新興

ほとんどの大学では、研究ファンド(資金)を獲得できれば、その一部を申請者が
「流用」することができる(政府からの資金の場合は10%で、企業からの場合は40%
ということもあるそうだ)と言われている。そのため、中国では、研究活動を産業と
して運営し、研究で「リッチ」になった一族が新興している。一部の研究者が、この
ような「豊かになれる道」をひた走っているのも事実である。メディアの報道によれ
ば、流用した研究資金で自家用車やマンションの購入もできた学者もいるようだ。
「研究」という名目でリッチになる人々がにわかにでてきて、大勢の研究者が、研究
活動及び論文執筆をも「金持ちになれる産業」とみなすようになってしまった。さら
にもっと酷いのは、大学が「博士号」の授与権を利用して、政府の関係者と「プロ
ジェクトのチャンス」、「企業の協力プロジェクト」などを交換し、学術活動を丸ご
と功利に向かって行うようになり、学術腐敗は常態化してしまった。今、学術詐欺、
研究偽造、不正競争、賄賂流行などは中国の大学で普通の現象であるが、さらに不思
議なことに、近年、数多くの大学が、政府の統計を満足させるために、偽の卒業生の
「就職率」を作ることもやり始めた。すなわち卒業する時、卒業生が就職の「契約
書」(偽にしろ、真にしろ)を本人の学校に出して見せなかったら、その人は卒業証
明書、学位証明書などを貰えないのだ。言い換えれば、大学の実際の「就職率」は政
府の統計報告書よりかなり低いのである。

終わりに

如何なる社会でも未来の発展は、若者に依存している。有用な人材を親の世代が育成
しなければ、次の世代の繁栄は幻想となってしまうのである。

中国の今の大学生は小、中、高校時代に試験指向教育を強制的に受けさせられ(だか
ら今の学生の大半が勉強嫌い)、大学時代には大量のクラスメートと付き合うように
なった(学生を大量に募集したから)ため、本人の意欲から学習環境まで、しっかり
と勉強できる場所とはいいがたい。特に生命理科系の学生は実験/実習が良くできな
かったから、習得した知識が非常に限られてくる。さらにこの時代の大学生は、幼い
頃から両親の溺愛(甘やかし)、放任、社会の悪戯容認のもとで育てられたため、言
い換えると教育の躾(しつけ)がなかったため、これらの学生が、どの様な人間に
なっているのか、普通の人は想像できないと思う。

何故、今日の大学生がこんなに問題ばかりなのか? 怠け、贅沢、礼儀の欠如、エゴ
イズム、人格の低下……。本質的な問題を考えてみると、その原因・責任は両親と
初・中等教育の学校にあると思わざるを得ない。不思議なことは、現在の大学生の親
達は一般的に言うと1950 年代から1960 年代が終わるまでの期間に生まれた人々で、
貧乏な生活から豊かな生活まで経験した大人なのに、何故自分の子供の教育の面でこ
のように集団的に失敗したのか?つまり、この世代の人々は、自分の両親からきちん
とした教育(躾)、ケアを受けたと思うが、どうして自分が自分の子供に対して親の
まねをし、きちんと子供を導かなかったのか?!まとめて言うと、習慣がだめ、教育
が下手、人口が多いという社会的な要素の組み合わせで、大学に合格した人間も育成
できないのに、優秀な人材を養成するなんて可能なのだろうか。(完)

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<奇 錦峰(キ・キンホウ) Qi Jinfeng>
内モンゴル出身。2002年東京医科歯科大学より医学博士号を取得。専門は現代薬理
学、現在は中国広州中医薬大学の薬理学教授。SGRA会員。

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