渥美奨学生の集い2016
天災は忘れた頃に来る。これは物理学者・寺田寅彦の言葉である。初めてこれを見た時、はっと我に返り鳥肌が立ったのをいまだに覚えている。
2016年11月22日の早朝、東北地方で再び大きな地震が発生した。津波警報と同時に、福島第二原発三号機の使用済み燃料プールの冷却装置が停止したというニュースも報道された。幸いなことに、2、3時間後、冷却装置は無事に再起動したものの、その時、日本列島に再び衝撃が走り、人々は5年前のあの悪夢を思い出してしまった。
2011年の東日本大震災からすでに5年も経ったが、原発の問題はいまだに解決されておらず、原発に恐怖を覚えながら、日々を暮らさなければいけない状況もまったく改善されていない。いったい福島で何が起きていたのか、根本的な問題は何であるのだろうか。今回の地震が起きるおよそ三週間前に、東京大学名誉教授の畑村洋太郎先生は、渥美国際交流財団ホールでの「渥美奨学生の集い」で「福島原発事故に学ぶ」という講演を行い、その答えを教示してくださった。
畑村先生は、福島原発の放射能漏れの原因は水素爆発にあったという一般的な認識を否定し、津波による配電盤の水没で長時間全電源が落ちていたため、燃料プールの冷却が不能だったことを指摘した。つまり根本的な原因は、津波がもたらしうる影響を充分に想定できなかったことにあるという。もちろん、事故が起きた原因を究明することも大事であるが、一番重要なのは、この事故から学んだことを今後に生かすことである。先生は、人間は「見たくないものは見えない、見たいものだけが見える」という心理が働くため、想定不足や準備不足による事故に陥りやすいと指摘した。それを踏まえたうえで、このような事故を防ぐには、危険に直面しても議論できる文化の醸成が必要で、自分の目で見て自分の頭で考えて判断・行動できる個人を作り、真のリーダーを育てなければならないと訴えた。
講演後、参加者から多くの質問が出た。例えば、経済効率の点から考えると、原発を推奨する必要性があるのか、中国や韓国における原子力発電の現状はどうなっているのか―このような多くの質問のなかで、私にとって一番印象深かったのは、畑村先生と名古屋大学名誉教授の平川均先生が交わした会話の内容である。先生方は、現在日本の社会は「気」に動かされており、特にリーマンショック以降、他人と異なる意見が言えなくなる状況が深刻化し、ますます村八分的なことが横行する社会になっていると指摘した。
確かに日本で生活してみて、不思議に思うところが多くあった。ここで取り上げられた「気」はまさにそのうちの一つである。「出る杭は打たれる」という表現があるが、日本では度が過ぎていて、個性や他人との差異はあまり認められないようである。それは現在日本でイジメが絶えない原因の一つになっていると考えられる。集団意識、協調性はすばらしいが、同一性を求めすぎると、窮屈になり、社会の活性化はますます難しくなってしまう。
イジメといえば、最近福島第一原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒がいじめを受けて不登校になったことが大変注目を浴びている。名前に「菌」と付けて呼ばれたり、「放射能」と言われたりするのみならず、「原発事故の賠償金をもらっているだろう」と言われ、同級生らと遊びに行く時に、遊興費や飲食代など合せて約150万円もの大金を負担させられたという。そのニュースを見た時、本当にあきれてしまった。優しい、思いやりがあると自負している国の子供なのに、なぜこのような残酷なことができるのだろうか。もちろん原因はいろいろあるだろうが、賠償金の事情や避難生活をしている人々に対する社会全体の関心の低さが、その一因と考えられる。今後、原発事故に関連するほかの問題も出てくるかもしれないが、原発事故だけでなく、避難生活を余儀なくされている人々にも、スポットライトをあてる必要があると思う。このように、畑村先生の講演は福島原発事故の問題のみならず、日本の今日の在り方を見詰め直す貴重な機会も提供してくれた。
今回の地震の時、テレビのアナウンサーが繰返し口にした次の言葉が、大変興味深かった。「津波警報が出ています。至急高い所に非難してください。皆さん、5年前の津波を思い出してください。実際に津波で命を失った方がたくさんいました。至急非難してください。」この言葉にからは、過去の教訓を生かして、悲劇の再発を防ぐために努力している人々の前向きな姿勢が感じられ、少しはほっとしているが、しかし道のりはまだまだ長い。寺田寅彦は随筆「津浪と人間」で「地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである」と述べ、災害を防ぐ唯一の方法は「人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう」と熱弁している。寅彦が言うように、私たちにできることは、人智が及ばぬ天災が起こりうる現実を直視し、過去の教訓に学んで、絶えずその危機に直面したときのことを考え、警鐘を鳴らし続けるよりほかはないと思う。
(文責:林茜茜)