日本のグローバル化戦略
榊原英資
ただ今、ご紹介にあずかりました榊原でございます。「日本のグローバル化戦略」などという、大変大それた題が付いておりますけれども、今、私どもの置かれている状況がどういう状況なのか、一口にグローバル化とか、国際化とか言っていますけれども、それをまず明確に認識する必要があると思います。
国際化とか、グローバル化とか言いますと、非常に世界が国際的だった時代というのが過去にあるわけでございまして、大体1910年代から20年代、金本位制下のシステムの最後のころでございますけれども、GDPの比率でとってみますと、そのころの世界貿易とか、世界の資本移動、そういうものの総量のGDP比は今よりも若干高かったのではないか、そういう統計がございます。ですからいわゆるグローバル化とか、国際化とかいうことでは、ケインズがレセフェールの時代と呼んだ1910年代、あるいは20年代、そうしたものとあまり変わりがないというような部分もあるかと思います。もちろん経済とか、システムというのは巡回しますから、ちょうど70年、80年経って、そういう循環の局面にあるんだと、そういう解釈も可能だと思います。
ただ私は、今、グローバル化と呼ばれているものの本質は、かなりかつてわれわれが経験したものとは違うというふうに考えております。今のグローバル化をドライブしているものは、これは明らかに情報通信革命であります。コンピューター、あるいはインターネット、そういうものを通ずる、あるいはその他の通信手段ですね、そういうものを通ずる資本主義の情報化、そういうものが非常に急速なスピードで、この5年から10年の間に起こってきた。
これは明らかに資本主義の質を私は変えてきていると思います。われわれが持つに至った、あるいはこれから展開していくであろう資本主義というものは、おそらく従来の資本主義とはかなり違ったものだというふうに思います。それはただ、国境が低くなったとか、グローバル化したとか、そういうことではなくて、コンピューターとか、インターネットとか、そういうものが基本的に、資本主義、あるいはそのインフラストラクチャーである社会の構造を変えてきている、あるいは変えつつあるのだと、そういうふうに考えております。
私はこの四、五年、ずっと為替の世界に身を置いてきましたけれども、先程、中曽根総理が言われましたけれども、金融あるいは為替、あるいはマーケット、そういうところの変貌が一番大きいわけでございますね。これは明らかに金融業というのは、少なくとも国際的な金融業というものは、これはある種の情報産業になってきているわけでございます。大体、私どもはロイターとかAPダウジョーンズとか、あるいはテレビで言うとCNNとか、CNBCですとか、そういうものを見て、そういう情報というのは、大体24時間、世界のどこでも絶え間なく流れているということでございますから、同じニュースを日本でも見ることができますし、ジャカルタでも見ることができる。あるいはフランクフルトでも見ることができる。繰り返し、そういう情報が主として英語で流れているわけでございます。
それからもう一つ、そういうコンピューター化、あるいは情報通信革命の中で、金融等の取引が瞬時にできるようになった。ですから何十億、何百億の取引が、大体5秒から10秒あれば取引ができると、そういう世界でありますから。特に為替の世界というのは、それが非常に明快でございまして、例えばこの間の98年の10月に円が134円ぐらいから111円ぐらいまで、急騰したときです。1日でタイガーファンドという、これはヘッジファンドですけれども、1日で大体20億ドル損したということがあります。20億ドルというと、大体3000億円でございますから、1日で3000億円損することがあるということは、逆に1日で3000億円もうけることができる、そういう世界でございまして、これは要するにできるだけ早く情報を人より早く取得して、その情報によって、取引をして、場合によると人より早く売りにくると、こういう世界でありますから、ものを作って、コストを切り詰めて、そしてそれを売って、それでその利益を得るという、従来の産業革命以来の資本主義のパターンというのは、これは大きく変わってきたわけでございます。
おそらく、これは加速することはあっても、これから元に戻ることはないと思います。われわれは、私はこの資本主義をサイバー資本主義、情報化資本主義とでも呼びましょうか、そういうふうに呼んでおりますけれども、このサイバー資本主義から後戻りすることはない。われわれはもう既にルビコンを渡ってしまったというふうに考えております。
今、アメリカの株の取引の大体3分の1がインターネットで行われております。おそらくこれがインターネットで行われる比率はさらに高まっていくと思います。それから日本でも孫さんがNASDACジャパンを作って、NASDACを持ち込むと、孫さんの計画は基本的に全部コンピューターでやるという話ですから、証券会社とNASDACジャパンのホストコンピューターを全部つないで、それを個人のパソコンにつなぐという、あるいはインターネットにつなぐ、そういう計画でございますから、おそらく日本でも株とか、金融取引のかなりの部分が30%か50%、そういうものがインターネットで行われる日というのは、そう遠くないということでございます。
ですから現実的に申し上げましても、証券取引所という場は要らないわけですね。インターネットがあり、コンピューターのネットワークがあれば、そこで取引ができるということでございますから、事実、イギリスにはもう証券取引所はありません。日本とか、アメリカでは証券取引所がまだ存在しておりますけれども、しかしもう日本でもさすがに株の場立ちというのはなくなりましたね。場に立って、こうやって、売った、買ったとやっている人はもういなくなりました。基本的に取引そのものはコンピューター取引に変わってきております。
そういう世界でございまして、この世界の特徴というのは、非常に大量の、先程、言いましたように、20億ドルだとか、あるいは100億ドルだとか、そういう大量の取引が瞬時にできるということでございまして、私どもも為替の介入をいたしますけれども、為替の介入額も多いときには1日で100億ドル以上に達することがありますから、100億ドル以上って、1兆2000億ですから、一日で1兆何千億という介入をやるということでございます。
大体、世界中で今、取り引きされている為替の額というのは1日で1兆5000億ドルというふうに言われているわけです。ですから1日で大体200兆円ぐらいの為替の取引が行われている。ですから大体2日半ぐらいで、日本のGDPに相当する取引が為替市場だけで行われている。そういう世界でございます。
こういうところに入ってきているということでありまして、これは明らかに、しかもこれは大体、ボーダーを越えて行われているわけでございます。ボーダーを越えて決済が行われ、しかも情報もボーダーを越えて移動しているということでございますから、そのボーダーを越えて移動する情報が一体どういう形で受け取られるのか、その受け取られ方によって、一つのムードというか、一つのセンティメントが出てきます。
そのセンティメントが出てくることによって、大きく市場が上がったり、下がったりするということでございまして、しかも、そのセンティメントというのは非常に情報化された社会の中で出来るものでございますから、例えばコソボを一つ取っても、あれが毎日、CNNで同じようなニュースが流れると、そのことによってコソボに関するある種の認識というものが出来るわけですね。
おそらくテレビなり、そういう情報機関によって流れて、それで作られるコソボに対する認識というのは、現実のリアリティとかなり違うものです。かなり違うものがそういう情報産業の中で作られていくわけでございます。例えば日本経済ということについても、日本経済ということに関するパーセプションは、結局、そういう情報、メディアの中で作られている。そのパーセプションが日本の経済の現実とかなり違う場合があります。私どもがやはり政策をやっていて、非常に苦労いたしますのは、日本の政府なり、日本の、あるいは大組織というのは、自分たちが情報化社会の中に住んでいるという認識があまりありません。あるいはあっても、それに対応できていない。ですからある政策を打つ、ある決定をするということは、その内容、実質も非常に大事ですけれども、その決定をいつやって、その決定をどういう形でメディアに流すか、どういう形で世界に発信するか、これが非常に大事なんですね。ところが日本の場合には、その情報化社会ということからいくと非常に遅れています。
例えば役所とか、産業界には記者クラブというのがありまして、大体、決定がされる前に情報が漏れるような仕組みになっています。決定がなされる前に情報が漏れたのでは、これは情報に対する戦略というのは書けないわけですね。いつ、どういう決定をして、それをどのタイミングで、どういう形で流すかということが政策決定にとって非常に重要なんですけれども、それがで出来ていない。日本の大企業も、日本の官庁も出来ていないということですから、そういう情報化というのに、どういうふうに対応していくのか、この対応を誤りますと、非常に間違ったパーセプションが世界中に出来てしまって、間違ったパーセプションというのはある程度、時間が経てば自然に直っていく部分がありますけれども、その間に日本経済が崩壊してしまう可能性というのはあるわけですね。そういうパーセプションを強制するプロセスというのは一度出来てしまうと非常に大変でございます。
それからこれはインターネットの世界などで言われていることですけれども、インターネットなり、コンピューターなりで、情報通信革命が起こった一つの結果というのは、参加者が非常に多くなるということです。だれでもネットを通じて、いろんな取引に参加できる。あるいはいろんな情報にアクセスできる。ですから個人をとってみれば、個人がこれだけの情報にアクセスできる時代というのはないと思いますね。権力の中枢にいた人たち、あるいは情報の中心にいた人たちはそういう情報を持っていたかもしれません。今は関係のない市井の人たちがインターネットでウエブサイトとか、ホームページとか、そういうことをうまくひっくり返すことによって、相当の情報を手に入れることができる。
例えば私も今日、去年の7月19日にルービンさんが『ニューヨークタイムス』の、確か『ニューヨークタイムスマガジン』というのが、日曜日に出ているわけですけれども、それを取得したいなと思って、これはもうインターネットですっと手に入りますね。『ニューヨークタイムス』の主要な記事というのは、全部入っていますから、去年の7月19日のあの記事と言えば、これは5分か10分で出てくる。これは別に私が大蔵省の役人だから手に入るんじゃなくて、だれでも手に入るということでございます。
しかも、メディアの側も、役所の側も、あるいは組織の側もできるだけホームページを使って、できるだけ透明に情報を流そうとする。これだけ多くの人が情報にアクセスできる時代というのは、いまだかつてなかった。おそらくその情報量というのは、これからますます増えてくると思います。そういう状況ですから、それがそれでは資本主義内のマーケットにとってどういう意味があるかというと、これは確かにポジティブな面はあるわけです。だれでも情報にアクセスできる。ですけれどネガティブな部分は、私どもはハードメンタリティと言いますけれども、群集心理が非常に働きます。ですから一つの流れがパーッと出来たときには、多くの人がドーンとそれに乗っかりますから、一気に、例えば経済が崩壊してしまうとか、一気にバブルが出来るとか、そういうことが加速されるようになってきております。
かつて私は、この四、五年間、いろんな形の金融危機に逢着いたしまして、その処理策とか、解決策を作成するというような任にあったことが何度もございますけれども、かつての国際金融危機ですと、おそらく国際的な銀行、そうですね十数行、連絡して、日本ですと東京三菱ですとか、三和ですとか、そういうところを数行、アメリカですとシティとか、チェースとか、そういうところを数行、ドイツのドイチェバンクとか、ドレッスナバンクとか、そういうまあ大体、国際的に大きな金融機関の15から20と連絡を取れば、大体そこで解決策がまとまれば、そこで問題は決着したわけです。ところが今やそうはいかないですね。
要するに国際金融取引に参加しているプレーヤーというのは、多くの場合、年金基金ですとか、それから最近、有名になっているヘッジファンド、世界中のヘッジファンドをまとめますと、これは何千とありますから、ヘッジファンドもありますし、それから投資信託のような形で、いろんな形でインベストメント・ファンドというのもありますから、そういうのが数千のオーダー、あるいは万のオーダーであるわけですね。彼らは彼らなりに情報を取って、インディペンデントな行動をしていますから、そういう人たちをまとめて、何か一致してやろうというのは非常に難しいです。
例えばブラジル危機のときにそういうことをやりましたけれども、どうもブラジルの場合にはそういうファンド系統の取引が多くて、とても解決策を政府と主要金融機関でまとめるようなことはできない。こういう感じがございます。
今後とも、この傾向は非常に強くなっていくと思います。ある意味でNGOがどんどん増えていくというのの、金融のカウンターパートナーですね、ファンドが増えていくということでございまして、その人たちはみんなインターナショナルなネットワークを持っている。いろんな形での情報を持っている。こういう世界に入ってきたわけでございます。
こういう世界、こういうサイバー資本主義というものをわれわれが本当に21世紀にかけてマネージできるのかどうか、これはなかなか私は自信がありません。当面の国際金融危機は、この4月か5月に収まったと思いますけれども、そういう資本主義の不安定性の基本というのは変わっていません。変わっていませんからいったん危機が起こる、いったんバブルが発生すると、そうするとそれが限りなく大きくなっていって、破たんというものに結び付くと可能性というのは非常に大きいと思います。ですからわれわれが今、持つに至っているこの情報資本主義、あるいはサイバーキャピタリズムというのは、非常に不安定な、もうその形態からいって極めて不安定な、しかも極めてvolatileというか、乱高下、振幅の激しい、そういうシステムの中にわれわれが入ってきているんだというふうに考えております。
そういうことに対応しようということで、われわれは国際金融改革というようなことをやって、この間のケルンサミットで少なくとも、その抽象的なプリンシパルについては合意したわけでございますけれども、これは要するに抽象的な原理原則に合意したというだけで、デブルザインディーティルと言いますけれども、問題はやはりdetail、詳細をどういうふうにインプルメントしていくかということにあって、それについてはまだなかなか見通しが立たない。そういう感じでございます。
そういう中で、情報、インターネットとか、あるいはロイターとか、そういうところで流れる情報が非常に重要だということが一方でありますけれども、一方で情報社会に入ってきたときに、もう一つ重要なのが人脈でございますね。何かあったときに、もちろんメディアにある情報というのは、それなりの契約をし、それなりのお金を払えば取れるわけですけれども、さらにそこからもう一つ突っ込んだ情報を取りたいときに、これは知っている人がいて、その人に電話をすると、あるいはその人とEメールを交換すると、こういうことによって初めて取れるわけです。
情報化された資本主義の中ではやはり情報の量ということではなくて、情報の質が非常に大事になってきています。情報はむしろ捨てなきゃならないほどたくさんあるわけで、いかにして悪い情報を捨てて、良い情報で行動するか、それから質の高い情報をネットワークを使って、どういう形で手に入れるか、これが非常に重要なわけです。ですからこういう形で、電子化され、コンピューター化された情報社会の中で、実は1対1の人間関係、そういうものが逆に非常に重要になってきている。そういう人脈をいったいどれだけ持てるかということが、非常にクルーシャルになってきていますね。
今やはりアメリカがグローバリゼーションをリードしているということにはいくつか理由があります。もちろん情報通信革命に非常に早い時期に乗った。そういうことを産学協同で、大学と産業と一緒になって展開させた。日本は下手に産学協同をやるとすぐ検察にやられてしますから、なかなかできないんですけれども。ですけれども、そういうことでやったということはありますけれども、もう一つはこれは明らかに戦後、アメリカが大量の留学生を受け入れて、私もアメリカのフルブライト留学生の1人でありますけれども、大量の留学生を受け入れて、それが世界に散っているということです。特にアジアを考えますと、アジアの今、政権の中枢にいる人たち、あるいはNGOなんかでリーダーシップを取っている人たち、これはアメリカ留学経験のある人が非常に多いですね。
私、確か、1996年にAPEC蔵相会議というものを京都でやったことがございます。われわれが事務局で、私はそのころ、局長でございましたけれども、事務局のヘッドで、確か京都で普通やるときには国際会議場で会議をやって、ディナーを食べるのを、確か「つるや」とか何とかいう有名な料理屋さんがありまして、そこで食べるということでございましたけれども、私は食べ物にうるそうございまして、食いものは嵐山の「吉兆」のほうがおいしいと、だから「つるや」から「吉兆」に変えようと、そういうことを言いました。
ところが嵐山というのは警備の関係上、今まで警察が許さなかった所なんですね。嵐山の山から狙撃されるという話なものですから、そんな馬鹿なことはないだろうと、そんな川を越えて狙撃するなんて馬鹿なことはないから、もし問題があれば、警察のほうの局長に私が電話するというようなことを言いましたら、警察が折れまして、嵐山に行ってもいいと。ただしそのときの条件があると。大蔵大臣だと大体、車列を組んで、ダーッと黒い車を何十台と並べて行くんですね。それをやられると警備上困るのでバスに乗ってくれというので、私はAPECの大蔵大臣を全部バスに乗せまして、2台でしたけれども、バスに乗せまして、それで京都の国際会議場から嵐山まで連れていったことがありますけれども。
何でこんな話をいたしたかと言いますと、実はそのバスの中での会話を聞いておりましたら、大体、アメリカの大学の話になっているんですね。つまりアジアの大蔵大臣、あるいは大蔵大臣の周りにいる人たちの共通の体験の一つがアメリカ留学体験なんですね。おれはコーネルだ」とか、「おれはイエールだ」とか、「おれはミシガンだ」とか、そういう話が結構いろんなところで、私はバスの前のほうにいましたけれど、聞こえてくる。
そしていろいろ考えてみると、やはりこのアジア、あるいはアジア太平洋の26カ国の政策担当者たちの一つの共通項というのは、アメリカに留学していることだということに気が付いたわけでございますけれども。それがやはり今のアメリカのグローバルなリーダーシップを支えていると思います。ですから、これだけ情報化された社会であるだけに、そういう人脈が生きる。何か問題が起きたときに電話をピックアップして、こういう情報があるけれど、どうなんだということを確認できるかどうかということが非常に重要になってくるわけでございます。
もちろん、あるポストについてからいろいろ付き合って、食事をしたり何かして、人間関係を深めて、それでそういう関係を作るということは可能でございますけれども、しかし留学時代からの関係とか、そういうものが非常に重要だということは疑いを入れないところであります。ですから先程、言いましたように、そのコンピューターとか、インターネットとか、そういう面での情報化、それにどう対応するのか、あるいは個人のレベルでの情報というのにどう対応するのか、それが私は21世紀にかけての日本の非常に大きな課題だと思います。
日本人というのはまだ情報というのが非常に価値のあるものだという認識を持っていないですね。情報はタダだと思っている。情報はタダではないです。情報ほど高いものはないです。あるタイミングでのある情報を持っているか持っていないかで、先程の話ではありませんけれど、20億ドルも30億ドルも得したり損したりする。そういう時代にわれわれは入ってきているわけでございます。そういう情報化というものに、どう今後、対応していくのかということは、これはおそらく日本、アジアの諸国に課せられた一つの大きな課題だと思います。
むしろ日本よりも、私は東アジア、東南アジアの国のほうがそれに対しては進んでいるんじゃないかというような気がしております。日本というのは組織が固いだけに、官庁もそうですし、大企業もそうですけれども、組織が固いだけに、そういう急速に展開した情報化、コンピューター化、そういうものになかなか対応できていないと、そういう部分があるような気がいたします。
それからもう一つ、このグローバル化、情報化の中で展開しているのは、先程、中曽根総理からもお話がありましたけれども、グローバル化ということで一つのスタンダードで、一つの大きなシステムが出来いくのかということになりますと、必ずしもそうでないような部分が出てきますね。EUというようなものが出来ましたけれど、これは明らかにアメリカに対する一つの対立、対立という言い方はちょっと本当でないかもしれませんけれども、一つの軸が出来たということを意味いたします。
野田宣雄さんの最近のベストセラーによりますと、野田さんは21世紀は帝国の時代であるというふうに呼んでおります。一方では非常にエストニックな、小さなアイデンティティを持ったグループというのが非常に力が強くなると同時に、ネーションステートは滅びるだろう。ネーションステートは滅びて、一つの大きな帝国、緩やかな連携を持った一つの帝国が出来ると。帝国という言い方は若干、ジャーナリスティックで、差し障りがあるかもしれませんけれども、やはりかつてのローマ帝国なり、かつての唐とか、漢とか、あるいはイスラム帝国、そういうものを念頭に置いて言っておられるんでしょうけれども、かなりエスニック、あるいは文化的に違った要素を持っているグループを大きな枠で囲い込んでいくと、そういうものがおそらく出てくるんだろうというふうに思います。
明らかにヨーロッパはEUが出来て、今、ユーロイレブン、11カ国でございますけれどもいずれ15カ国になるのは、これは時間の問題だと思います。いずれ15カ国になった上で、おそらく中東欧、ロシアを含む旧ソ連圏がどうなるかというのはちょっとまだ分かりませんけれど、少なくとも中欧、東欧、あるいは北アフリカ、そういうものが大きなEUの枠の中に入ってきているのは、これは相当、明快になってきているというふうに思います。
それからアメリカも、今、例えばアルゼンチンなんかはダラリゼーションといって、もうアメリカの、アルゼンチンの通貨をドルにしちゃうというような話をしていますけれども、中南米でも経済統合が進んでいます。いろんな形での経済統合が進んでおりますし、それからNAFTAというような自由貿易地域も出来ている。ですから当然これはアメリカ圏というのが南北アメリカを中心に出来てくる。これは非常にはっきりしていることだと思います。
そうするとまだ色が付いていないのがアジアでございまして、よく言うんですけれども、アジアというのは非常に難しい地域ですね。ヨーロッパの人によく言うんですけれども、ヨーロッパというのはやはり歴史的に見ても一つの地域だということが言えるでしょう。それはヨーロッパの文化というのは非常に多様ですし、歴史もいろいろありますから、ヨーロッパをひとくくりにして、みんな同じだというのは乱暴な話で、これはラテン系の文化もあります。ゲルマン系の文化もありますし、ケルト系のいろんな伝統というのもあります。そういうことを理解した上でもやはりヨーロッパというのは、キリスト教圏ですし、それからやはり文化的にもギリシャ、ローマとか、そういうものをある程度、背景にしている。それにイスラムが混ざってきている。そういうような感じでひとくくりにできないこともない。
ところがアジアというのは、これは西アジアまで入れますと、世界のすべての宗教がありますし、民族、raceということから言っても、おそらく一番多いでしょうね、数が。それから歴史もそれぞれ非常に古い。いろんな形のカルチャーがあるということですから、アジアということで、アジアを一括りにするのは非常に難しいですね。日本のようなちょっと特殊な国もありますけれども。しかし、そういう日本なども含めて非常に多様な地域でありますから、これが今後どうなっていくのかということをわれわれは考えていかなきゃいけないということであります。
私はよく通貨を例にとって言うんですけれども、日本にとって三つのチョイスがある。それはユーロ圏に属するというのが一つのチョイスだ。もう一つはドル圏に属するというチョイスだ。もう一つは非常に難しいけれどもアジアで何らかの形の共通通貨政策というのを作っていくことだということですけれども、第3の道というのは非常に難しいですね。
それを性急にやること、かつてのアジア主義みたいなものには、僕は非常に抵抗を感じます。非常に抵抗を感じますけれども、やはりある種のリージョナルなコーポレーションというのをここで展開していく必要があるんじゃないか。おそらくアジアの文明というのは、世界の文明の中で一番古い文明ですし、それから産業革命のぼっ興までを考えれば、むしろ南シナ海とか、インド洋とか、アラビア海とか、ああいうところを中心としたアジアとイスラムの交流というようなもの、それをベースにする貿易というようなもの、それがむしろ世界の中心にあったんだというふうに思いますから。やはり世界の文明の長い間中心にあったアジア、それだけに多様性も大きいし、歴史も深い、コンフィクトもある。そういうようなところを今後、どういう形でまとめていくという言い方はおかしいですけれども、どういう形でリージョナルな協力を作っていくのかということが、非常に重要だというふうに思っております。
私は日本を含めて、東アジアにしても東南アジアにしても、大きなくくりで言えば、今やはりアメリカ圏だと思います。通貨で言えば、これはドル圏ですね。やはりそれに対しては、私、若干、日本の通貨政策なり、外交政策の中で、もうちょっとアメリカに対してインデペンデントにならなきゃ駄目だよということを言い続けてまいりまして、相当、抵抗もありましたし、相当、批判もされました。アメリカの人たちと仲が良いということと、もうちょっとインデペンデントに外交政策を展開するということ、これは別のことでございますから、日本人が今、一番親しいのは個人的なレベルをとっても、ほとんどアメリカ人だと思うんですけれども、しかしそのことと、もう少しリージョナルなことを考えて物事を展開するということは非常に大事なことだというふうに思います。
確か何かの会議で言ったときに、これはアジアの人が、日本と、ヨーロッパと、アメリカと、カナダと、アジアか何かの会議でしたけれども。日本とカナダとアメリカとアジアでというようなことを言ったら、それは駄目だと、カナダというのは必ずアメリカの言うことを聞く、日本もアメリカの言うことを聞く。するとアメリカの言うとおりになる国、3カ国とほかのアジアの国を入れたって意味がないと、こういうことを言っていましたけれども。やはりある種のアメリカからのインデペンデンスというのをわれわれがアジアの中に入っていくとき、非常に大事なんですね。これは選択をする必要はないです。アジアか欧米かと、『脱亜入欧』というような福沢諭吉が本を書きましたけれども、脱欧入亜をする必要は全くない。しかし、ある意味では対等な立場に立って、ヨーロッパなりアメリカと話をしながら、アジアの中に入っていくということが、今、日本に求められていることではないかと思います。
アジアの国々にとって、今、一番大事な国というのはどの国かと、これはアメリカですね。シンガポールのリークワンユーは非常に明快に言っています。シンガポールにとって一番重要な国はアメリカであると、その次か、その次の次のぐらいが日本かなと、こういう感じでございますから(笑)。おそらく日本の政治家がそれと同じ問いに答えてくれと言ったら、同じことを言うでしょうね。日本にとって一番大事なのはアメリカだと、その次の次の次ぐらいがシンガポールかなと、こう言うんでしょうか(笑)。アジアの国というのは大体そういう状況になっているわけですけれども。
そういう状況の中から中期的に、やはりこの地域のある種の共通のアイデンティティ、なかなかその共通のアイデンティティというのは難しいかもしれません。難しいかもしれませんけれども、そういうものを見出しながら、新たなリージョナルなという言葉はあまり好きじゃありませんけれども、エンパイヤーという言葉も好きではありません。しかしヨーロッパ、アメリカと中長期的な、匹敵するような一つの第3の極というものを作っていけるのかどうか、それが友好関係を維持しながら、もちろんヨーロッパ、アメリカと維持しながら、そういうものを作っていけるのかどうか。そういう新しい実験をわれわれはやらなければいけないところに来ているのではないかな、そういう気がいたします。
情報化が進展し、人脈というものが非常に重要になって来つつあるだけに、この実験は非常にむつかしいと思いますし、またいろんなところでの、小さな努力を積み上げなきゃいけないと思いますし、また留学生というようなことは、とってもこれは時間のかかる話でございます。アメリカは延々と戦後、やってきたわけですから、それが今、実りつつあると、そういうことですから時間もかかると思います。
ただ、そういう努力をそろそろ新しい資本主義が出来ていく中で、われわれがやっていかなければならない。当然、先程言いましたように、新しい資本主義が非常に不安定だと、非常にvolatileだと、そういうものに対してはアメリカやヨーロッパ等と協力して、その不安定性を除去する努力を一方でしなきゃいけませんけれども、他方ではやはりリージョナルな問題を考えて、新しいここに何らかの形でのリージョナル・コーポレーションを作って、中長期的にですね、これは1年、2年、3年、4年ではできません、5年、10年、あるいは20年、30年の話だと思います。ヨーロッパがユーロという通貨を作ろうと思い出してから、大体10年かかっています、ユーロが出来るまで。あれはユーロピアン・エヌフィケーションというのはもう50年以上かかっていますね。そういう非常に中長期の課題ではありますけれども、そういうものに向かって、そろそろささやかな努力をする時期に来ているんじゃないかなというふうに思います。時間が来たようですから、私の話はこれで終わりにさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
●榊原英資(さかきばら・えいすけ)
大蔵省顧問。
東京大学経済学部卒。同大学院修了。大蔵省入省。ピッツバーグ大学、ミシガン大学に留学し経済学博士号取得。IMF派遣職員、ハーバード大学客員教授を経て、大蔵官房審議官、財政金融研究所長などを歴任し、1997年より大蔵財務官を務め「ミスター円」と称される。1999年7月より現職。
*榊原氏は1999年10月より慶應義塾大学教授に就任されました。